日豪文化衝突

日豪文化衝突の一部を考える

野澤 和典(豊橋技術科学大学)

異文化衝突とは、異なった文化が接触する時、それら文化を形成する慣習、価値観、生活様式、コミュニケ−ション・スタイルなどの違いが原因で生じる文化摩擦を言うが、筆者の滞豪体験から、その事例の一部を紹介し、問題点を検討してみることとする。

<事例その1>

日本人観光客が多く訪れるオ−ストラリアのクイ−ンズランド州南西部には幾つかのテ−マ・パ−クがあるが、その1つシ−・ワ−ルド(Sea World)での出来事。「イルカと一緒に写真を撮ろう」という場所で、プロのカメラマンが撮って、数時間後でき上がった写真を希望者が買うというビジネスがある。そこで、日本人新婚さんグル−プが筆者の前に並んでいた。順番が来ると、数組のカップルが自分達のカメラでもお互いに写真を撮ろうとして、プロのカメラマンの近くへ行って写真を撮った。その専属カメラマンは、もちろん英語で「ここでは撮らないで下さい。ル−ルで決まっているのです。」と忠告した。しかし、英語がわからなかったのか、あるいは無視したのか定かではないが、勝手に撮って立ち去ってしまった。その後、スペイン語を話していたある家族の一人が、同様に写真を撮ろうとしたら、やはり注意された。その人は英語が堪能であったので、「前の日本人たちは撮って行ったのだからいいじゃないか!」と言って強行しようとした。しかし、その専属カメラマンは、「あの人達は英語がわからなかったので、仕方なかったのです。しかし、あなたは英語がわかるので、ここでのル−ルを守っていただきたい。」と言ったが、「君が撮影する私の家族の写真も購入するのだから、自分のカメラで撮ったっていいじゃないか。」と反論した。結局のところ、納得して自分のカメラでは撮影しなかったが、「もっと厳しくチェックしてコントロ−ルせよ。」と捨てせりふを残して立ち去った。日本人は、グル−プ・ツア−で旅行する人達も多く、一緒に旅行をしていると仲良くなって、訪問地での写真を自分達のカメラでもお互いに撮りあう傾向がある。その行為自体は十分理解できるが、そこは時と場所をわきまえねばならない。英語がわからなかった場合でも、そういった状況における非言語情報で、各自のカメラでの写真撮影を差し控える必要があることは理解できた筈である。異文化理解力あるいは語学力のの欠如が問題となった一例である。

<事例その2>

亜熱帯の安定した気候と美しい自然環境を持ち、安全で物価も安く、観光名所の1つゴ−ルドコ−ストの中心地はサ−ファ−ズ・パラダイス(Surfers Paradise)である。当然、日本人観光客も多く、それら観光客を主たる対象にとしたお土産屋も多く、日本語の看板が必ずあるが、それらのサインの在り方が問題になった。基本的には日英語のバイリンガルで書かれるのが普通であるが、店によっては日本語でのサインしか書いていなかった所もある。ある州議会議員の一人が「日本語サインの氾濫は豪州らしさを失わさせるし、観光客は日本人ばかりでなく、韓国人、香港人、台湾人、シンガポ−ル人なども多いのだから問題だ!」と論議をかもしだした。一方、地元の観光担当の議員は、「実際、日本人観光客を対象に商売をするのは訪れる人数(観光客全体の約半数)や落としてくれる金額を考えると、決して大きな問題とはならない。現地の実情を理解していない人が言うことだ!」と反論した。観光業が大きなウエイトを占めていることから、英語の不得意な日本人観光客相手のビジネスでは、購買力を高める手段として、日本語表示をしたり、日本語が話せる店員を配置したりと、自然と安心感を売る努力をするのは当然かも知れない。しかし、いくら日本語教育の重要性を認識し、小学校から外国語としての日本語を教えているクイ−ンズランド州であっても、多分、ワ−キング・ホリデイ・プログラムなどで働いている若者の呼び込み屋の存在も含めて、過多な日本語/日本文化の侵入に不快感を示した例と考えられる。多民族多言語社会の促進も国家的政策として推進し、特にアジア、オセアニアに焦点を絞って、同胞国として国家建設をしている豪州なのにである。やはり、約50年前に撤廃されたとはいえ、主たる民族である欧州からの移民白人の白豪主義の一端が見え隠れしているのであろうか。日英語のバイリンガルで文字の大きさもほとんど同じ広告サインなら問題は生じないはずであろう。お互いの文化を理解し合い、同等の立場で交流するという文化相互主義に立たなければ、真の信頼感に基づく異文化交流環境は生じないのである。

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