挨拶もできず国際感覚が乏しい人物を、一国の代表に選ぶ日本の先行きに危惧を覚えます。
前首相急死の緊急時、自民党幹部の密室協議で決まったと言われる選出方法への不信感の強さは、その後の内閣存立基盤のもろさや自民党内での首相不信任決議での派閥抗争までももたらしたが、リ−ダ−である森首相への支持率の低さは歴史的なものになっている。朝日新聞などの記事を見ただけでも、2000年5月の「神の国」発言や6月の「国体」発言以降、所謂「失言」問題が数多く報道され国民感情を逆なでしてきている。また、テレビを中心としたマスメデイアもそういった「失言」問題や森内閣への支持率低下問題などを何度となく取り上げてきているが、これまでの森首相自身の言動を見る限り、大きく変わったとも思えなく、一度は自粛した活動もすぐに翻して再開してしまうなど、不評・不信感が続いている。いったい、その原因は何なのであろうか。
その原因の一つは、単独ないし政策を共有する他政党との提携で長年政権を担当してきた自民党という政党の体質が大きく影響しているのではないかと思う。とかく料亭などという国会外の非公開の密室で、特定の幹部による決議で大きな政策が全て決まってしまうということ自体、とても先進国の政治スタイルとは思えないのである。しかし、それがまかり通ってしまうのが自民党政治の世界なのである。そんな中で当選回数や派閥の長たる者の中から指名された森首相のような人材は国民本位の真のリ−ダ−とはなり得ないのである。何とも情けないが、選挙によってきちんと選んでこなかった一般国民につけが回ってきたとも言える。
また、結果的には国債に頼りきった政策で国の更なる財政悪化を招いてきているものの、歴代の首相には経済政策や外交に長けた者も多少いたりしたが、森首相には何が得意なのか見えてこない。官僚たちによって企画されたものに踊らされているように見える「IT革命」にしても国政のリ−ダ−として中・長期の独自のビジョンを明確に提示できていないと思う。激務の首相として、どうも学生時代にラグビ−・フットボ−ルで鍛えられてきた体力だけはあって、体力勝負の長い会議や宴会は得意らしいが。
クリントン米国大統領との再会時、"How are you?(お元気ですか?)"と挨拶され、"Who
are you?(どなたですか?)"と答え、"I'm the husband of Mrs. Hillary.(私はヒラリーの夫ですよ。)"という冗談にも対応できず、冗談への切り返しとは思えない"Me,
too.(私もそうです。)"と答えて顰蹙をかってしまうような「国際感覚」「国際語としての英語力」の貧弱さからは、とても世界のリ−ダ−たちと対等の立場でコミュニケ−ションをとりながら政策論議をして実行していくことなど残念ながら期待できない。
21世紀の真のリ−ダ−としての首相とはどんな人材が求められているのだろうか。出身地方に公共事業をばら撒き、一部の国民に利益を与えるような国会議員や首相など今は求められていないのではない。もっと広い知見と語学力や国際感覚を身につけ、具体的な財政正常化政策の中・長期ビジョンを持ち、族議員としての特権を利用した過去の悪しき慣行を毅然として断ち切り、改善・改革を即実行できるエネルギッシュでアジア諸国を十分に理解し代表するリ−ダ−となるべく人材が必要なのである。
森首相には全く期待できないので、2001年の参議院選挙を待たずして新しいリ−ダ−の出現を期待したいが、そうもいかない情勢なのが悔やまれる。このような状況では日本が国際社会の中でますます孤立化するか、後退していってしまうのではないかと危惧してしまう。
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