男性は女性の立場を理解し、新しいスタイルの「家族」の創るようにしてよい時代を迎えているのではないでしょうか

 かつては結婚すると、専業主婦になり、「妻」として「夫(パ−トナ−)」を支え、子供が生まれると、「母親」として子育てをしながら、家事もこなすという家庭が多かった。しかし、女性の社会参加が進んでくると、女性の役割が急激に変化し、「妻」、「母親」、「職業人」の3役に、「女性」、「代理父親」をも加えた1人5役をこなす人まで出てきている。しかし、その実態は、どうなのであろうか。
 確かに、そういった1人5役を演じられる女性は、ほとんどが極めて有能な女性であり、「夫(パ−トナ−)」あるいは同居家族や近隣に住む親族などからの十分な理解と継続性のある協力のもとで全てを無難にこなしているように見える。
 しかし、「夫(パ−トナ−)」や関係者に多かれ少なかれ犠牲を伴わせていることも否めない。もちろん、5役を完璧にこなすことなど至難の技であり、そういった完璧な女性などいないと思う。一部の役割で不満の出ない程度で「手を抜く」あるいは家族が妥協できるレベルで「我慢してもらう」というのが実情ではなかろうか。
 このところ過激な少年犯罪が頻発しており、特に「女性(母親)」の子育て、子供とコミュニケ−ション不足などの論議が盛んに行われ、「女性(母親)」の迷いを生じさせているが、「女性(母親)」のみに責任転嫁してしまうのは大きな間違いである。それは、こういった事件を犯す少年たちの子育て論が出てくる時、「父親」や家族の本当の姿があまり出てこないからである。もちろん、所謂「シングル・マザ−」で近くに身寄りの少ない、あるいはないような場合は例外で、全ての基本的な責任を持つこととなる。
 両親がいる場合、「子供」でもなく、まだ「大人」でもない心身ともに不安定な少年期に直面している少年たちに、「女性(母親)」だけに責任を押し付けるのは無理があり、「夫(パ−トナ−)」であり「男性(父親)」の責任も当然半分は伴う。
 平穏な日常生活を送るための主たる収入者としての「男性(父親)」が朝早くから夜遅くまで働かざるを得ない状態の中で、子育てにはほとんど無関心で、「女性(母親)」に子育てをほとんど任せてある場合であってでもある。年中そういった状態である家庭は少ないはずであるから、「夫(パ−トナ−)」としての「男性(父親)」は「女性(母親)」の立場をもっと理解し、できる範囲内で相互コミュニケ−ションを図り、円満な家庭を維持することに努め、子育てに少しでも協力することが求められるのは当然ではないだろうか。
 一方、すでに一人2役、3役、4役、さらに5役までそれなりにこなし、家族構成員間の不和が生じてもすぐに解決でき、ミスコミュニケ−ションの問題を最小限に済ませられる「女性(母親)」には大いに声援を送りたいし、さらなる増加を期待したい。
 我々「男性(父親)」は一枚看板で表舞台に立って「家族」を代表する顔を維持することに固執せず、逆に裏でサポ−トする新しいスタイルの「家族」を創る役割を演じても良い時代になりつつあることを自覚しなければならないのではないだろうか。


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