私の好きなことば  「発展途上人

常に新しいことを吸収し、プロとして成長を続ける

典型的な国立大学での学生生活を送り、地方公務員への道を進んでいた最中、ハワイ大学の夏季講座に参加する機会を得た。そこで出会った留学生との交流後、米国の大学院への進学を考え、英語力とコミュニケ−ション力を十分に持てるような留学を決意し、両親からの財政的援助を得て実行した。留学当初は英語力不足や異文化適応力不足などが原因で種々の障害(異文化衝突やコミュニケ−ション・ブレイク)に遭遇し、人一倍の努力と忍耐で乗り越えねばならなかったが、恩師・友人の助言や協力でなんとか乗り切れた。しかも当初の目標(学位取得)を達成し、帰国後の就職もでき、それ以後、無我夢中で英語教育と研究活動などに従事してきた。 今では「常に発展途上人たれ」をモット−に英語教育と関連研究に専念してきて、早や20数年が過ぎようとしている。また、環境にも恵まれ、10年以上前からコンピュ−タを使い始め、5年以上前からもインタ−ネットの世界に飛び込み、忙しくも充実した日々を送りつつある。家族に迷惑をかける週末出張も多く、未だワ−カホリックな状況ではあるが、持ち前の楽観主義的な性格とポジイテイブ思考と行動で積極的に乗り切っている。

「発展途上人」という言葉をいつ好きになり、いつから機会あるごとに使いだすようになったか不明である。しかし、どんな分野においてもプロとして活動するには、常日頃地道な自己研鑽を惜しまず、目標達成のための最大の努力をしていかねばならず、「初心を忘れず」の精神でプロ意識を持ち続けることは改めて言うまでもないであろう。それが「発展途上人」であることの基本でもある。大学という環境に生活基盤を持つ者であるが故に、常に効率良い、魅力ある、結果を出す教育実践、貢献できる教育行政活動、有益な専門研究と社会還元活動が求められてきているが、現状に満足せず、定期的に自己点検・評価を繰り返し、質的により高度な段階への移行を目指して、日々の地味な努力をしていくしかないと考えている。それがプロ教師として、「発展途上人」としての立場ではないだろうか。

ボ−ダレス社会で「異文化人間」を目指す
ここ数十年間、外国へ行って働いたり、学んだりする日本人や、逆に外国から日本へ来て働いたり、学んだりする人が増大してきている。その結果、異文化環境で生活し、価値観の異なる多様な人たちとのコミュニケ−ションの機会が増え、誤解や対立が生じて問題となっている。その原因は、やはり国際性(=異文化適応能力)がない、あるいは低いというのが原因であろう。多様性を無視したり、排除したりすることはないにしても、多様性を受け入れるのに試行錯誤したり、当惑したり、場合によっては疲労困憊しているのが私たちの現状ではないだろうか。しかし、いつまでも同じ状態でいるわけにはいかない。世界の動きは速く、国際交流やグロ−バル・ビジネスをしている特定の人たちだけの問題ではなく、一般市民のレベルまで影響してきているからである。コンピュ−タやインタ−ネットの急速な普及の影響も大きいが、様々な流通交通手段の改善・進歩でボ−ダレス社会が形成され、異文化の人たちとの友好的且つ建設的な活動を通しての交流やコミュニケ−ションが求められている。文化相互主義に基づき「異文化理解・適応ができ、広い解釈幅を持って対等の立場で言動をする人間=異文化人間」になることが必要である。その意味で、完璧な人間など存在しないし、なれないことはもちろんであるが、未熟な「発展途上人」として自覚し、常により成熟した「異文化人間」となることを目指す努力が必要ではないだろうか。好きな人生設計を許してくれた両親や日々サポ−トしてくれている家族に対する感謝の気持ちは言うまでもなく、「常に発展途上人たれ」という言葉を忘れず、プロ教師として今後も活動していくつもりである。


Copyright(c)2000-2002 Kazunori Nozawa All rights reserved.