「コミュニケーション・スペシャル:ことばは人を結び世界をつくる!」のビデオへの感想

1. N.H.
 ビデオを見て、改めて言葉の威力を感じました。人類は、二足歩行、火・言葉の使用を通して進化してきた
と言われているだけはあると思いました。
 コサ族の人にとってはわからないはずの日本語、逆に日本人にとってはわからないはずのコサ語を、言葉の
響きから推測可能というのには驚きました。英語を耳から入ったとおりカナに直し、話してみると、何とか通
じるものだというのは知っていました。昔の人の知恵だと思います。
 しかしながら今、外国語を学ぼうとすると、どうしても文字に頼り、音を軽視しがちです。小さい子供が、
親の言葉の音真似で言葉を覚えていくように、私達もすればいいという話はよく聞きます。でも、この年齢に
なると、とてもネイティブの真似はできません。やろうと試みても、すぐ挫折です。単語でぶつ切りのジャパ
ニーズ・イングリッシュを話してしまいます。
 それはさておき、個人が文字をどれだけ理解していようと、相手とメッセージをやり取りできなければ、言
葉を利用しきれません。現代の人はすばらしい言語を持っているので、伝達手段として有効活用するべきです。
確かに、紙に文字を書いて後世に、あるいは数日後に伝達していくというのも立派な役割だと思います。でも、
同時に意思疎通できることも立派な役割だと思うのです。この意思疎通は意識的にするものなので、相手の気
持ちを読み取る一方、耳と口を使う重要性を忘れてはならないと思いました。

2. K.H.
ネアンデルタール人以来の言語の発達振りにはまったく驚かされます。
 世界各地の言語、各時代の言語をいろいろと見ていき、言語というものは、その時代や人々、地域性を象徴する物の一つであると考えました。そしてそれは、絶えず変化を続け、時には消滅する事さえあるのです。
 室町時代、”は”を”ふぁ”と発音していたように、日本各地でその土地の純粋な方言を話すことのできる人が少なくなっているように、同じ言語の中でさえそういった現象は起きています。この様に、言語とは不変ではないものです。しかし、普遍している限り、お互いに正しい意思伝達を行うことが可能です。
 現代の日本語は乱れている、汚い、とよく言われますが、私たちは、お互いの意思を通じ合うことに何ら不都合を感じることはありません。
 それに、いくつもの言語が現れては消えていったのですから、日本語だけ例外という訳にはいかないはずです。相手とコミュニケーションをとる事を言語使用の第一と考えるのなら、これからの日本語の変化を楽しみつつ、柔軟に使いこなしてゆきたいと、ビデオを観ながら考えました。

3. T.K.
 言語とは意思とか情報を伝達する道具でると思う。それが時代によって変化しているし、国によって使う言語は全く違う。でも五感を使っての実験はとてもおもしろかった。簡単な言葉ではあったけど、感覚でその言葉のイメージみたいなものがだいたいわっかってしまうのは不思議だった。私たち日本人からはとうてい言語とは思えない「鳥の鳴き声の言語」も一種の言語なんだと思った。文法があるから言語なのではなくて、「だいたいわかる、感じる」から言語と呼べるのかなと思った。
 人がコミュニケーションをするときに言語の文法とかは大切なものだけど、その時代、その国の人々がが作り上げた言語を、「わかる、感じる」といった五感的なものもまた大切だと感じた。

4. F.K.
 今回のビデオを見て改めて感じたことに、言葉は奥深いものだということがある。最初のシーンでは、ジョン万次郎がいかにしてコミュニケーションを図ったか、ということが再現されていたが、これは私にとって長年疑問であったことであった。異なる言語に接した人は、いかにしてコミュニケーションを図るのか。その問題の解決法は、予測はしてはいたが、驚くべきものであった。聞いた言葉をカタカナで記述し、そのまま発音するというのである。
 これは、外国語を学ぶ基本姿勢といえるのではなかろうか。というのも、いくら理論を学んでも実際生きた言葉を聞き、活用しなければ言語は習得できないと私は考えているからである。実際、私が海外に行った際に、学問として学ぶ外国語と、日常用語として使用する外国語は似て非なるものであると感じた。学校で学んだ通りの発音をしても、通じないことはある。ジョン万次郎のカタカナ英語も意外と通じるものである。
 言葉は生き物であり、それを学ぶためには、我々は柔軟な視点を持たねばならない。ジョン万次郎はそのことを直感的に感じ取っていたのではなかろうか。つまり、生きた言葉を耳で捕らえ、書きとめていたのである。私は、今私が学んでいる言葉が死んでいる言葉だと言うつもりはない。しかし、生きている、より鮮度の高い言葉を学ぶことは重要だと感じるのである。
 言葉が生きていることの証拠として、言葉は進化することが挙げられる。はるか昔、大陸から伝来した漢字に音をあて、日本人は文字として使用してきた。また、漢字から仮名を作り出したことも周知の事実である。しかし、昔の言葉と現代の言葉が異なる発音をしていたことは知る由もない。というのも、発音される言葉はその瞬間の生きた言葉であり、書きとめられた言葉はその瞬間から存続する言葉であるからである。つまり、文献の事実は必ずしも事実ではないということだ。このビデオでは、その矛盾を突き止めるために別の文献を使用していたことがおもしろかった。つまり、過去を表すはずの文献が、その限界を突き止める鍵となったのである。
 これを解明するために、はるかポルトガルまでの旅をしたことには驚いた。南蛮人の古文書には、過去の日本人がどのように発音していたかが記録されていたのである。
これは、前述のジョン万次郎と同様、聞いた言葉をローマ字に近い表記で記述しているものである。このシーンを見て、人間はやはり近しい発想をするものだと感じた。
 その記述に基づいて発音をすると、確かに前述の文献と一致する。これには驚かされた。言葉はやはり、生き物であるということであろう。人の言葉は、その瞬間にしか輝きを持たないものである。ビデオでは、人の言葉は過去と未来の情報を伝えるものだと語られていたが、それらの情報は発せられたその時点でしか輝きを持たないだろう。
無論、考古学や古典等の価値とは別である。
 ただひとときの間に輝きを発する言葉。我々は、この刹那の輝きとともに生きている。
言葉は生命の様に重く、過去に戻ることはできない。一度発した言葉は、最早訂正することはできないのである。だからこそ、我々は言葉のことを正しく理解せねばならないであろうし、その正しい使用法を学ばねばならないだろう。言葉は生き物であるため、あるがままの姿で捉える必要があると思う。この姿勢が、正確なコミュニケーションを生み出すのではないだろうか。異文化コミュニケーションにおいて、誤解はつきものである。
言葉について、上記のような正しい理解をしておかねば、コミュニケーションにおける誤解を減らすことは不可能であろう。この考えを持ちながら、今後の学習を深めていきたいと思う。

5. T.K.
  とても興味深いビデオでした。と言うのは、今まで聞いたことのないような言語を耳にすることができたからです。しかし、珍しいと言われている言語は、消えてなくなる傾向にあります。それはやはり、それにとって代わる言語のほうが便利であることの現れだと思います。つまり、旧言語では伝えられることに限界があり、それだけでは不十分だとされ新言語を取り入れることとなったのでは、と推測しています。もちろん、戦争などで強制的にその言語を使用禁止にされてしまったという背景もあると思いますが、それは、言葉の進化の上では、別の話だと私は考えます。
例えば日本語でも、数多くの輸入品とともに外来語も入ってきました。その品を表す言葉が日本にはなかったので、新しく作り出す、または、外国から取り入れるといった方法が使われるしかなかったのです。これが、言葉の進化ではないでしょうか。言葉は、不足しているものを補いその姿を確立していきます。それこそが、言葉の進化だと思います。
  ビデオの中で、口笛語なるものが紹介されていましたが、あれなども結局は、若い人に受け継がれてはいないようでした。一人の老人は、戦争中の連絡手段としてその言語を用いていたことを語っていましたが、もし今現在戦争が続いているとしたら、口笛語は今なお必要不可欠な言語として若い人も習得しているに違いありません。
  私が言いたいのは、言語とは「必要不可欠」のように、追い込まれて初めて習得できる言語であり、基本的生活に不十分を感じない限り人間は、その新しい言語を覚えようとしない、と言うところにあります。もしくは、本当に新しい言語に興味を持ち、自分で自分を追い込んでこそ、習得できるものだろうと考えます。

6. C.K.
The video we watched in last class was really interesting. I know that Japanese has only five consonants, and it is much less than the other languages. Though, I never know and couldn't believe that there are people who communicate with whistles or clicking their tongues. It was really hard for me to follow like them, however, I tried to talk with clicking my tongue, because they have talked like that since they were born, and it is normal thing for them to do it. So I think it is kind of normal thing for Japanese to be bad at speaking in English and some other languages, because we have used just few consonants since we were born.

I was really surprised at an experiment which certifys that people can guess in nuance what some words which we never know mean.(I guessed 2 right answers!) I also surprised to hear that Ainu sounds like Japanese, so we can speak in Ainu easier than to speak in some other languages even we use only few consonants.

It was very good for us to watch videos like that to know new surprising things. So I would like to watch another interesting one if we have enough time to watch.

7. H.M.
 高校の時、古文の授業があったので、昔の人々は今とは異なった文章の書き方をしていた事は知っていたけど、ハ行がF音やP音で発音していた事を知って、話す言葉も今とは異なっていた事にとても驚きました。
 また、日本語が分からない外国人にも語感でどっちが「あつい」か「つめたい」か分かったりする事を見て、私は、本当に言葉はすごいと思いました。言葉が存在することが当たり前で便利なものだけれど、口笛語のようにnon-verval communicationの方が便利な時もあるのだと思いました。このビデオで色々と興味深いものが観られたので良かったです。

8. Y.M.
 あのビデオを見てまず驚いたことは、語感というものがそれほどに強い力を持っているということで、解らない言葉でもその言葉に込められた微妙なニュアンスを感じとることができるんですね。それを知ったら、言葉のわからない国にも恐がらずに行ってみたい、という勇気が出ました。

9. W.M.
 世界広しといえども生きていくためにお互いのコミュニケーションをはかることは必要である。その方法は人によってまた、国によって違う。私が頭に思いつくコミュニケーションの方法は言語を用いるもの、ジェスチャー、顔の表情である。言語の種類が国によって違うことは、もちろん知っている。しかし、コミュニケーションは言葉によるものだけではないということがビデオを見てわかった。
 例えば、人がオラウータンと「ウホ、ウホ」(←私にはそう聞こえた)というオラウータン用語で挨拶をする、放牧地区の住民が口笛で会話する、言語と舌打ちを交えた言葉、といったようにたくさんの方法がある。どれも私にはコミュニケーションをとっているとは思えなかったけれど、考えていくうちにその土地の文化や生活様式にあったコミュニケーション方法なのだと思った。遠くの人に的確に何かを伝えたいときは、言葉で話すより口笛で会話したほうが伝わるといった感じで。
 このビデオを通して、私の思っていたコミュニケーションという概念が広げられました。異文化と接触することは型にはまらないことだと思いました。

10. Y.M.
 私の両親は鹿児島の離島の徳之島というところの出身なのですが、おばあちゃんの世代になると日本語とは思えないような方言を話します。あれは本当に外国語だと思うような感じです。
 昔の日本は’は’行をHではなくPと発音していて、その間にFで発音する時があったというのは本当になるほど!と思わされてしまいました。でも唇と唇が触れ合う発音が下品であると言うことでだんだん現代の発音になっていったというのはなんとも日本人らしい考えだなと思いました。
 たまにテレビの特番なんかで大陸移動説の話が取り上げられたりする時に、「アジア大陸と日本はつながっていた」とか言われますが私もそれは本当だと思います。島同士が離れているのに沖縄とかその周りの離島の言語や文化がお互いに類似しているし、人の顔なんかも似ている。いろいろと考えてみると日本の中でも異文化は存在するし、決して外国にいって始めて異文化に触れるということはない。近い例を使って言えば個人個人、育ってきた環境(家庭など)によっても文化が違うので「異文化間コミュニケーション入門」にも取り上げられていたようにかなり奥が深くて興味深い科目だと思います。
 温故知新という言葉がありますが昔の人はいいことを言ったとおもいます。このビデオを見てまさにそんな気持ちになりました。

11. C.M.
That video was very interesting. There are many, many languages I did not know. My most interesting thing was kind of feeling tests. I was surprised that people could understand the languages they do not know by thier feeling. I also understand Africa's language by feeling. "Hot" or "cold" and "fast" or "slow". So I think there may be common language of world in human's hearts.

There was the country whose language was whistle once. That language is able to understand by only people who use it.

It is also interesting that there are some Japanese we can not understand. In Kyusyu, there are such languages. I recognized that old languages tend to be left at country. Long, long time ago, people pronounced Japanese different way. So language is changing continuously, even now. I felt that language is alive. I really want to hear future Japanese.

So, now, new languages may be made. I think learning languages helps us to understand their culture, so I want to attention to many languages also.

12. S.M.
 このビデオを見て、私が今まで思っていた人とのコミュニケーションについての考え方が少し変わったように思う。考えが変わったというより、新しいこと、語感についてのことや、人が言葉を使い出した初期のことなどがわかって、大変興味深く面白かった。
 びっくりしたことに何も知らない国の言語で、その「ことば」それ自体の意味はまったくわからなくても、人がその「ことば」を発しているのを聞くことによって何かしらその「ことば」の持つ感じ・ニュアンスがわかることができるというのである。甘い・辛い、冷たい・熱いなどである。なぜわかるのだろうか。その「ことば」を発するときの音だけでなく、ちょっとした
人の表情やリズムはどこの文化であってもわかり合えるものなのだろうか。そう考えると、言葉がわからなくても、通じなくてもコミュニケーションは取れるはずであると思ってしまう。実際、ある程度の気持ちは伝えることは可能であろう。しかし、はっきりと細かい部分まで相手に伝えることは無理であると思う。言葉が理解し合える同士ですら完璧に100%自分の気持ちを伝えるのは無理なことであると思うし。
 このビデオを見て人とコミュニケーションをとるには、お互いの言語だけがわかっているだけではだめだし、その人の背景にある環境・文化の理解も重要であることがあらためてわかった。

13. S.O.
 先週のビデオはとても興味深いものでした。改めて「言語」の奥の深さに感心させられました。普段何気なく使っている私たちの日本語、昔は発音が違い、今となっては発音することが困難な話し方で話されていたとはとても驚きました。
 最近なくなりつつある地方の方言だってビデオによると大事な古代からの話し方だということで、もっと大事にしなければならないと思ったと同時にとても興味が湧きました。
 世界の言語文化を見てみると、今まで聞いたこともない言語が多くあり、意思の伝達方法にはいろいろな形があるということを知らされました。特に印象に残っているのは、舌を打ちを言葉の中に入れる言語です。日本などでは舌打ちはむかついたときなどあまりいい様には取らません。でもこれはある国では立派な言語です。もし日本での意味でその国でしたうちをするとどうなるのでしょう?少し気になりました。
 世界中にはいろんな言葉が奏でる音があり、柔らかなメロディのように聞こえるものやスピーディなもの、高音、低音などさまざまです。しかし言葉簿意味がわからなくてもその言葉の雰囲気、ニュアンスで意味を悟ることができるということがわかりました。
 このビデオを見ていまは、経営学よりも言語学のほうがとても興味を持てるということがわかりました

14. M.T.
People had used verbal communication before non-verbal communication was made. There are some unique verbal communication in the world. For instance, people use "click" language in Transkai, South Africa. People click their tongue for their communication.

In addition, people use "whistle" language some area in France. People give a whistle and make a sound like birds for their communication. Those verbal communications are unusual. Nobody wouldn't have understood what they said even today except them. I think it helped to save their own culture.

In the video, they had an interesting experimentation. They listened two words that they have never heard, and guess which one is picked. As the result of the experimentation showed, people can identify the meaning of the word. They would have understood the meaning the sound or expression. I'm studying sign language now and I identified the sound and the expression is most indispensable for non-verbal communication. And I think those expressions are common all over the world.

15. Y.T.
 ビデオを見て、たくさんの言語に触れることができました。ほとんどの言語の多くが、今まで聞いたこともない言語で、私にとっては大変興味深いものでした。
 その中で、私が一番印象深かったのはアイヌ語です。アイヌ人は、北海道に住む少数民族で、日本民族から迫害を受けていたと歴史で学びました。そして、世界の少数民族と同様に、アイヌ民族は減少し、それに伴ってアイヌ語も衰退していると言われています。
 私の中に、日本人は単一民族であるというイメージがあります。日本は、アメリカのように、アフリカ系、ヨーロッパ系などたくさんの民族が混ざりあった文化ではないからです。外見的にも黄色人種の人たちばかりの社会だからかもしれません。
 今回、初めてアイヌの言語を耳にしました。アイヌは日本に住む民族です。私たちの多くはそのことは知っていても、アイヌについてほとんど知識をもっていません。同じ日本にすむ民族でありながら、私たちはなぜ言語すらしらないのでしょうか。
 ビデオの中で、アイヌ語を話していたおじいさんが「公の場でアイヌ語をこのように話せるのは大変うれしい」というふうに話していました。私はそれを聞いて、なんともいえない悲しい気持ちになったことを覚えています。日本人が太平洋戦争中に、植民地化した朝鮮などに日本語を学ばせていたことはよく知られています。同じようにアイヌの人々も日本語を話すように強要されていたのだと思います。私たちは認識しているのでしょうか。外国で行ってきた過ちを日本でも行っていたのだということを。
 現代は国際化社会であるとよくいわれます。この講義名でもある「異文化コミュニケーション」いう言葉もよく聞きます。そして私たち日本人は、異文化コミュニケーションを外国の人たちととりたいと必死になっています。私たちは日本以外の言語や文化を学ぶことだけに集中していえます。アイヌのことすべてを学ぶぶきであるとは思わないけれど、もっと自国の他の文化についてももっと学ぶべきです。自国のことをしってこそ、外国とのコミュニケーションができるのではないでしょうか。

16. S.Y.
 ビデオで100年以上たった今でもジョン万次郎が作成した英語辞書のカタカナ読みが外国人にうまく通じているのには驚きました。初めは辞書を半信半疑に思っていましたがよく聞いてみると単語と単語のつながりがスムーズで、一つ一つの発音にこだわって単語と単語の間に区切りをいれてしまう私の発音よりもとてもいい感じがします。現代の私たちの周りには数多くの教材が氾濫していますが、単語の意味を調べる際にスペルでもって辞書を引くという習慣が身についていて音声に関する認識がうすい気がします。
 私が初めて英語の授業を受けた中学生の頃、聞きなれない音声に英語という未知の言語に対する違和感が強かったことを今でも思い出します。ABCのスペルと発音にとまどったり、ついついローマ字読みをしてしまい発音が違うと注意を受けたり、日本語にない発音があると聞き取れなかったり正しく発音できなかったことなどがしばしばあり、外国語の壁の厚さを感じました。日本は四方を海に囲まれていて外国文化が入りにくかったせいもあるのでしょうか。その頃の私には外国人の存在がものめずらしく、英語がどうして重要な科目になっているのかその必要性を否定し嫌悪感すら覚えていました。そういう環境で育ったためか英語の音声やスピードに今でもかなりの抵抗感があります。日本人が他の国と比較して会話に弱いのは英語教育だけではなくそれを取り巻く環境が大きいのではないでしょうか。現代の日本人と比較して私たちの古い祖先ともいえるジョン万次郎が英語の正確な音声を後世まで記録に残していることはとてもすばらしいことだと思います。
 私たちが違和感を感じているものは外国語だけではなく、ビデオでも紹介されているように方言やゴリラなどの動物の鳴き声などに関しても当てはまります。キャンバスでも全国各地から学生が集まっていて聞き慣れない言葉をよく耳にしたりしますし、学生の間では少々言葉が異なっていてもうまく意思の疎通をはかっているように見受けられます。しかし地域によっては方言があり同じ日本語でも理解できなくて言葉のもつ音声の難しさをしばしば感じることがあります。
 学校ではアメリカ英語を中心に学習していますが英語においても国や地域によって発音が異なりますので、私たちはできるだけ多くのタイプの英語に接し音声に関する理解を深めコミュニケーションをより円滑にはかるための努力をしていく必要があります。

17. A.Y.
 私は異文化理解というとつい、英語でコミュニケーションをとり、その地の文化や習慣を体感してお互いに理解し合うことだと思ってしまいがちでした。しかしこのビデオを見て、決してそれだけではないということを改めて感じました。話せないにしても英語や日本語以外にいろんな言語を私は知っています。でも舌の音だけで会話をする人々には本当に驚きました。その人達に失礼かもしれないけど、イルカが口笛で合図し合うのと似ている気がしました。一体何種類の音と意味があるのかをもっと知りたいと思ったし、一度挑戦してみたいです。ところであの民族には文字はないのでしょうか?舌の音をどうやって文字で表現するのかとても不思議です。それと、私はビデオを見る前から「ホッタイモイジルナ」というのは知っていたけれど、本当に通じるとは思ってもいませんでした。
 それともう一つ知っています。「アゲドオフ」(揚げ豆腐)I'll get off.これも通じるような気がしてきました。カナダで試してみればよかったなーと思います。そして最後に一つ質問があります。桐島かれんは知っていますが、あの実際に色々とトライしていた男の人は誰ですか?有名な人ですか?

18. A.Y.
When we think something, we use our native language. We verbalize it when we tell it to other people. When we speak, we change intonation, tone, and stress quite naturally. It is closely related with our emotion. Thus sometimes we can guess what people talk in unfamiliar language.

Once I went to have a lunch with my foreign friends. They used to live in Kyoto for a year or two, but they just understand simple Japanese words. We ordered using menu with pictures. (Sometime it takes time to translate hole of a Japanese menu into English for them). Then a waitress came back bring our meals and told in Japanese how to make sauce. After she left, my Dutch friend explained to others in English just exactly what she said. After he ended it, he saw me and asked, "right?"

Also opposite situation happened. Few Dutch friends talked in Dutch in front of me. It was about me, but without using my name. Suddenly I sensed something, then asked, "are you talking about me?" They started laughing and said "how do you know?"

I think many people have same king of experiences. In the video program which we watched last time, I like the part of linguistic sense test. It was quite fresh for me to know people can guess the meaning by its sound.

19. M.Y.
 この間の授業でビデオを見て、本当に世界には様々な言語があることに関心した。特に舌うちしてはなす民族が印象的だった。私達にはすごく難しい発音であっても、生まれた時からそれに馴れている人にとってはできない方がおかしいという事になる。きっと外国の人にとったら日本語もそう感じるのだろうなあ。
 日本にずっと暮らしてきた私が日本語以外の言語を習得することは本当に難しいことだけれど、とても大切な事だし、文化を知るうえで必要不可欠なことだと思う。わたしもまず英語をものにして世界中の多くの人々としゃべろうと改めて思いました。

20. G.Y.
 私たちが言葉の不思議さに気付かされるのはたいてい外国人の話す言葉を聞くときが多いだろうと思っていたが、このビデオでタテ(時間)における発音の違いなどにも触れているところはとても興味深かった。
 初めに紹介されたコサ族の珍しい発音方法を見ていて、同じ人間でこんなにも違った発音の仕方を思いついたことがとても不思議で、そこには環境の違いが大きな要因になったのではないかと思う。例えば日本において現在の東北弁は、寒い気候が影響してあまり大きく口を開けない特徴からあの発音が生まれてきたと聞いたことがある。言葉の生まれた背景には、その土地特有の環境や気候や地理的要因などがあって、それらがからみあって一つの言語として成り立っていくと思われる。
 また語感実験が行われていたが、あれは少し難しいものがあると感じた。感覚は似通うところもたまたまあるが、まったく異なるところもあるので本当に感覚的に正解したのかは分からないのではないかと思う。
 漢字の伝来については、それをうまく活用してきた日本人はとても効率的ですばらしい知恵を持っていたのだと思う。私たちは平仮名・片仮名があるおかげで、一見パッと見ただけでもその書かれている内容が予想できたり、いろんなイメージを持つことができたりする。また子供が最初は平仮名から学ぶことができるのもとてもいい方法だし、利点は数えきれないほどある。しかも日本語は英語を取り入れて、より多彩な表現方法を手に入れていて、そういう意味ではとても豊かな言語だと言えるだろう。
 異なる言語と私たちの日本語とを比べることで、日本語の利点、不利な点なども見つけることができるのは、とても面白いことだと感じた。


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