ノンバーバルコミュニケーションビデオ2の感想

明田 佐智子
 ビデオを見てジェスチャーの必要性は理解できました。日本人はジェスチャーの少ない性質を持っているが、私は日本人がジェスチャーを身に付ける必要性はないと思います。アクションが少ないのは日本人の個性だから、それをなんでもかんでもほかの国に合わせると、日本人の独自性がなくなってしまうのではと感じています。これはほかの国にも当てはまると思います。ただ、外国にいったときは「郷に入れば郷に従え」精神で、すべてを郷に従えてしまうのはどうかとは思うが、従えた方が有益な時や、従えなければならない時は、ためらわずに、どんどん自分を変化させていくことが重要だと思います。私はそういう変化させられる人になりたいです。
 最後に、それぞれの国の独自性に対して、こちらが優れている、などと張り合うのは間違っていると思います。お互いの文化を認めあうことが必要であると思います。

浜川 直子
 人の心を察する力を持ち得るという点では、日本式のコミュニケーションもいい手段だとは思いました。ただ、他人の顔色をうかがいながら話をしたり、聞いたりするのは、精神的に疲れるのではないかと思います。私自身、これを言ったら相手はどう思うのだろう、と考えてしまい、思っているように話せないことがあります。これでは本当に言いたいことを言わず、自分の信念や哲学といったものを持ち得ないのではないかと思います。
 一方、欧米人のコミュニケーションは表情豊かに行われるので、相手の気分は一目瞭然です。しかも私のイメージでは、物をストレートに言っているようで、効率的だと感じました。
 顔のつくりが違うと言われてしまうと悔しいです。でもひとつ思うのは、シンクロナイズドスイミングや新体操の演技でのことです。日本人の顔は表情に乏しいと言われながらも、化粧が手伝ってか、日本の選手の人がすごく活き活きして見えます。動作を見ても大胆ながら繊細さが感じられ、共感を持って演技を見入っていました。
 今自分に備わっているものを有効利用する大切さを感じます。場面に合わせて、特に自己主張してみたり、あるいは控えめな行動を取ったりと、日本と欧米のコミュニケーションの仕方で、互いに長所である部分を組み合わせていけばいいと感じました。

Norihiko Hatanaka
   Today, there is a lot of discussion about differences between Japanese and Western, particularly American culture. This video let me recognize that these two are very opposite cultures.
This video clearly shows that Americans are so expressive that it's easy for others to catch their feels. Against that, Japanese are poor expressive people. So I respect that point of American culture. Being expressive would help us make good relationship and being poorly expressive would unable us from easily making good relationship.
It's very important for us to keep or guard own culture, but we should learn other culture and respect each other.

本多 可英
 日本人は、アメリカ人に比べて表情が豊かではないことについて、ウィンクが下手、眉だけを動かすことができない、などの表情についての能力の乏しさが取り上げられていたが、確かにその通りである。多くの日本人は、片目だけつぶることも、片方の眉だけ動かすこともできない。しかし、日本国内で生活する分にはそれで十分事足りてはいる。問題は、異文化の人々とコミュニケーションをとる場合である。言葉の壁に加えて、感情を表情で伝えることさえできないとなると、われわれ日本人は一体どうすればよいのだろうか。もちろんここでは、日本人固有の『察してもらおう』などどいう甘えも通用しない。微妙な表情の変化から、相手の感情を『察する』という行為に無縁の人々が世界にはたくさんいることは、ビデオでも見た通りである。
 これはもう、大袈裟に表現することを心がけるしかない。もしくは、自分の感情をこと細かく伝えることができるほどの言語能力を身に付けるか、である。ここで、どちらが手っ取り早く、現実味があるかというと、
やはり前者の方である。うまく異文化コミュニケーションをとりたいとき、しぐさにしても表情にしても、日本人同士でのそれよりも大袈裟に行ってちょうどいいぐらいである。
 私個人の経験から言うと、『耐えている』という感情を表すのは日本人のほうが上手であるような気がする。うつむきがちに、眉を寄せ、唇を噛んで、「K\Ev$O6l$7$/$C$FHa$7$$$s$@$1$I!"$G$b0l@87|L?$3$i$($F$$$k$N!#」!!という状態を非常にうまく表現することができる。仮病を使って学校を早退する時も、大袈裟に苦しんでみせるよりも、耐えている振りをした方がはるかに成功しやすくなる。この表現においては日本人独自の路線を貫いてもいいのではないか、と思う。
 自分が伝えたいことを相手にどう伝えるかというのがこれほど難しい問題だとは思っていなかった。ノンバーバルコミュニケーションは、バーバルコミュニケーションのおまけのようなものだと思っていたが、そんなことは全然ない。コミュニケーションをとる上で、特に異文化間では気をつけていきたい問題だと思う。

Takashi Kawazoe
 言葉は口から発する音を人が聞きとりそれを理解しコミュニケーションが成立するものだと思った。しかし、それ以外にも、一つ一つの言語にも意味はもちろん表情みたいなものがあり、それは口から出る音のトーン(言い方)プラス顔の表情がとても大切だとわかった。これはビデオをみた感じでは私たち日本人にとってはとても苦手というか、表情を顔に出すのが苦手らしい。しかしこれは日本人のぶんかみたいなものが関係しており、これが苦手だから外国の人たちとコミュニケーションが取れないかといったらそうでもない。かといって異文化コミュニケーションを理解するのに言語や文化だけでなく、こういった顔の表情などから理解できるNonverbal Communicationも大切だと思う。ジェスチャーひとつにしたって、国や文化によって異なることがあり、誤解を招くといったことが生じることを理解することも大切だと思った。

河野 文彰
 今回のビデオは、日本人と欧米人の比較が中心だった。日本人は姿勢がよく、伏目がちで仕草が控えめであるとあった。対して、欧米人はリラックスし、目を見て話し、仕草が大きいとあった。これは、面接時の各タイプの特徴として挙げられていた点である。
 この面接を始め、様々な実験が行われていた。その中には、以前見たパーソナルスペースの実験もあった。
 特に、欧米人は感情表現が豊かであり、日本人はその逆であると言われていた。その裏返しとして、日本人は察する能力があると言われていた。
 確かに、日本人のものの言い方や付き合いの仕方、日常行動には当り障りのないものが多い。ともすれば様々な誤解を呼んでしまうような表現を好み、はっきりと明言することを避けがちである。これに関しては、少なからず理解できる。
 しかし、日本人の良さを示す例として使われていたものが、日本の古典芸能である能だったことには、少々疑問を感じた。日本人の文化を現代に伝えているものなのではあろうが、現在どれほどの人が能をたしなんでいるのだろうか。そのようなものを、日本人の特性として述べることに意味はあるのだろうか。どうしても、疑問を感じざるを得ない。
 この疑問はありながらも、能の文化は確かに察しの文化であるとも言える。全く同じ表情をしながら、光の当たり具合により全く異なった意味を持たせる。この表現方法は、日本人特有のものであるかもしれない。日本人には、そういった意味での感性というものは存在するのであろう。
 このことを示す理由ともなるものに、顔の形状の比較が挙げられていた。日本人は欧米人に比べ眉が目から離れているため、一般的に表情が分かりにくい。また、顔の表現があまり豊かではない。表現がうまくできないからこそ、相手の気持ちを察する能力が養われたのではなかろうか。
 この、顔の形状の違いは漠然とは感じていたが、改めて言われると納得がいくものである。ハリウッドのスターなどを見ていても、欧米人は彫りが深く、眉と目が近い人が多い。当然すらっとしてカッコイイとも思える。何より、表情がわかりやすい。
 ここで、新たな疑問がわいてきた。察しの文化が日本にはあるというが、それは果たして本当なのだろうか。実際、私が生活している中で、相手の表情を見て、察することをしたりもする。だが、その行為を他の全ての人がいつもしているかというと、疑問である。こちらが察しようとして、いろいろ考えてみても、実際は何も考えていないということが多々ある。また、感情を露骨に顔に出したりすることも最近では多く見られる。これは、日本人が欧米化しているということの表れなのであろうか。ひょっとしたら、日本人は察することができなくなってきているのかもしれない。繊細であることは、日本人の美徳とまでは言わないが、旧来持ちえたものを失っていくことはやはり何か悲しいものがある。これも、時代の流れなのだろうか。
 以前の感想にも書いたが、コミュニケーションは変化するものであると思う。それは、コミュニケーションの対象とする人が変化することに起因しているのであろう。我々は、その時代にあった方法で相手を知り、自分を伝えるのではないか。それが本来の姿であるのかもしれないが、何か勿体ない気もする。懐古趣味というわけではないが、私はつい、そう感じてしまう。我々は、日本人の心、いや、日本人らしさを忘れつつあるのではないか。アイデンティティなきコミュニケーションは果たして存在するのだろうか。今回のビデオを見て、ふと思った。

Tomoki Kumada
 アメリカ人の演劇と日本人の演劇の違いを見せる試みは非常に面白かったです。あれは顔の違いというか国民性の違いが大きく現れていたような気がします。面接においてもやはり日本人は小さくまとまっている傾向を見ることができました。あのビデオはかなり以前のビデオであると聞きましたが、多少の変化はあるにせよ、日本人は相変わらずだと感じました。
 いろんな国の人とともに長時間にわたって何かを行ってみると、色々なことを感じることができると思います。私は、多国籍の人々とともに勉強する機会を持つことができましたが、やはり日本人は、ちいさくまとまり、小集団を形成します。そして、会話にジェスチャーがあまり伴わなかったことを記憶しています。その点、ヨーロッパ、アメリカ等の人は比較的オープンで「これでもか」といわんばかりのオーバーリアクションで話をします。しかし、それは見るものを飽きさせない楽しいものでした。日本人は独自の長所をいかしつつも、欧米のフランクさを取り入れるべきだと痛感しました。

Chika Kushiro
 先週の授業後、家に帰り鏡で自分の眉の動きを見てみました。やはり、片方の眉だけを動かそうとすると、口や頬までゆがんでしまい、眉だけというのは無理でした。よく考えてみると、私たちは片眉を使って何かを表現するという行為を普段しないのだから、当然かと思います。日本人は眉を表現方法として使わない上、眉と目との間隔が欧米人に比べ広く、眉や目を使っての表現のインパクトがどうしても弱くなってしまいます。ビデオの中で大学生がシンデレラを身振りだけで表現していましたが、あんなにも違いが漠然とするとは思っていなかったので、驚きました。日本人が欧米を訪れた際、通常の身振りでは言葉を使うとはいえ、相手に自分の意志を正確に伝えるのは、困難ではないでしょうか。
 私が海外に行った時のことを思い出すと、現地の人とコミュニケーションをとった際、私は日本で日本人とコミュニケーションをとる時よりも、リアクションなどが大きかったような気がします。驚いたとき、嬉しかったとき、悲しかったときなど、顔や体全体を使って表現しました。それは、私が英語を堪能に使えない分、体で表現しようとしていただけでなく、欧米人を見てそれを知らず知らずのうちに真似るようになっていたのです。今も残っている彼らの真似の一つですが、片眉は動かせませんが両眉を使って「YES」を言うときがあります。気のせいかもしれませんが、以前よりは眉の動きが大きくなったと思います。日本人は身振り自体をあまり使いませんが、身振りをよく使う欧米人と接する時間があれば、それを真似るようになり、多少は欧米人と同じ表現をするようになるのだと思いました。
 私がこれから習得したい欧米人の身振りは、方眉を動かせるようになることと、効果音です。日本語では擬音語、擬態語があるので、効果音をリアルに表現することがあまりありません。例えば、日本人はドアが開くのを「ギー」と言って表現しますが、欧米人は文字では表せないような音を言って表現します。欧米諸国で「ギー」と言っても通じません。だから、次に海外に行った際はそれを習得するのが私の目標の1つです。

Hiromi Matsuoka
 外国人は表現力が豊かであるのに比べて、日本人は表現力が乏しいのは、眉と目の間隔に関係がある事に私はとても驚き、同時に「$J$k$[$I」$H;W$$ました。外国人は眉と目の間が狭いため、眉が大きく動き、大きな表現ができるけれども、眉と目の間が広い日本人の場合、あいまいな表現になってしまいます。私も色々表現してみましたが、自分では例えば、驚きの表現をしようとして顔をつくっても、他の人にはわかりにくいのだろうなぁと感じました。日本には昔から「0J?4EA?4」$H$$$&8@MU$,$"$k$1$l$I!"?M$N?4$OFIめるものじゃないし、顔で気持ちを表現することがいかに大切か改めて感じました。

Wakana Miyamoto
 自分の中で異文化との関わりをもつときに最大のポイントになっているのはジェスチャーである。ビデオを見て、アメリカ人と日本人の違いがはっきり出ていた。一般的にいわれているとおりにアメリカ人の表情は豊かで、アクションも大きい。一方日本人は顔の表情が乏しく、身振り手振りも小さい。言葉を使わないジェスチャーだけの演劇では、もちろんアメリカ人が演技した方が確実にわかりやすかった。
 私が中学生のとき友達同士が道でふざけてファックの身振りをしていたら、車で通りかかった人が自分にしたと思って車を降りて、友達にけんかごしに怒鳴りつけていました。もちろんその友達は車の人にけんかを
ふっかけるつもりはなく、遊んでいただけでした。日本ではたとえ誰かがファックの指をしてきてもけんかを売るという意味はありません。海外ではその行為が日本と違った意味を持ちます。
 単にジェスチャーがお互いの意思疎通を担うだけではないことを認識しなければいけないと思いました。国によって違う意味を示す身振り手振りをもう少し見てみたいです。

Yuri Mizushima
 日本人は確かに人の表情を読み取ったりするのが得意であると思う。人が伏目がちにしてたら、心配をしたりするし、嫌そうな顔をしていたら話題を変える。だけどそれは同じ日本人でも人によってそれを敏感に読み取る人がいたり反対に鈍感な人も結構いる。同じものを見て得る印象なども民族間、男女間で全く異なるものであると思う.
 例えば、私があくびをしたとすると日本人ならそれを見て「眠たいんであろうな」と思うしかし、外国人は「疲れたのだ」とうけとる。疲れたー眠たいは一見同じのようにも思えるが日本人は簡単に疲れたと口にして疲れた=眠たいではない場合も存在する。
 そう考えると異なった文化でしぐさに対する受け取り方が違うのも興味深いと思いました。

Saori Morita
 今回のビデオで、日本人の表現力の乏しさがありありとわかった。日本の文化も以心伝心、侘び寂の世界など、そこにはさまざまなよい部分はあるとは思うが、やはりケントさんに言われたとおりそれは外人にとっては意思主張の弱さであったりしてしまうのであろう。わたしもそのことはやはり日本人にとって克服しなければならないところであると思う。わたしも実際、自己表現がかなり苦手なほうである。ビデオにもあった面接のときの場合を考えてみると緊張して固まってしまって、自分の思うように発言、表現することができない。そんな自分が嫌いでたまらなくなったりするときもある。アメリカ人のようにとまでは高望みしないけれど、もっといいたいこと、思ってることが自信を持ってちゃんと主張できるようになることを今のわたしの課題にしようと思ういい機会となった。

Mayumi Okamoto
 今回のビデオは日本人と欧米人の違いのようなものだったのでわかりやすかった。とくに面接の時の態度は足を組んだりしていたのでみていてはらはらした。日本人が同じようにやっていたら多分面接では落とされるだろうと思った。たいてい面接というと姿勢を正して緊張するものだと思っていたのでアメリカ人の面接の受け方をみて驚いた。でも面接とはいえ人と話をするのだからあまり堅くなりすぎずにもっとリラックスしてできたらいいなぁと感じた。劇はやはりアメリカ人は表現力があるというか表情が豊かでとてもわかりやすかった。日本人のほうは照れているのもあると思うがつながりがなくとぎれとぎれで理解できる程度だった。私が同じことをしていたらきっともっとわからないものになっていたと思う。日本人はやはり察するというのが美徳とされているのかと感じた。能の表情もなんとなく理解できたところでやはり日本人なのかと思った。能は実際に見たことはないが同じ顔の面でさまざまな表情を作り出せるというのがとても日本的だと感じた。あの顔が日本的だというのはあまりうれしくないが。日本人の顔は彫りも浅いし表情がわかりにくい顔だとはおもっていたが昔の気候などが関わっているというのは初めて聞いた話だったのでとても興味深い話だった。アメリカ人が眉を動かせるというのも日本人よりかなり多かったので驚いた。私もできなかった。どうしてあんなことができるのだろうと思う。顔の筋肉に関係しているのかとも思った。あと初めて会う人と話しをするときに日本人は目を見ないがアメリカ人はしっかりと相手の目を見ていたのを見てやはり相手の目を見て話をするのは日本人は苦手だが実際に相手と良い関係を作っていけそうなのは相手の目をみて話をするほうだと思う。欧米のほうがいいというわけではないが学ぶべき部分は多くあるように感じた。

奥平 紗知
 日本の顔と骨格と欧米人の骨格の違いについてはは興味深かったです。私が海外に行ってすごく悩んだことが日本人と欧米人との顔の違いでした。なぜこんなに目が細くて凹凸がないのだろうと思いました。ビデオでは寒いところからやってきた日本人の祖先は寒いので目を細める習慣から目が細くなったと言っていました。でも同じ大陸でとても寒い国ロシアなどの人はどうして顔が欧米人のようなのかが不思議です。
 ビデオに中に一人劇にもあったように日本人は細かい動作で表現するのに対して、アメリカ人は顔の表現、大きな振りでの表現によって、劇の中の人物たちを演じ分けていました。私はこの体での表現は性格にもかかわっているように思います。欧米人はおおらかな人が多く、日本人は細かできちっとした性格の人が多いような気がします。
 演劇や表現に関しては少し日本人は損しているような気がします。その代わりに伝統的な能などの顔以外での表現の芸能が発達したのだと思います。

Shingo Sato
 授業で見たビデオ興味深かったっです。でも、あのビデオは古いせいか現在の日本人と比べると少し違った印象をもちました。日本はいろいろな面で欧米化していますが、我々の体を使った表現力もそのうちの一つだと思います。よって、今現在あのビデオでやっていたような実験をするとしたらまた違った結果が出るのではないでしょうか。現に最近の若者は全体的に見たら積極的になったと思うし、体を使って器用に自己表現できる人も少なくありません。また、その人がどの地方にすんでいるかによっても変わってくると思います。例えば、大阪の人なら自分をさらけ出すような演技もできたりするし、反対に田舎の人は控えめかもしれません。また10年くらい経ったらもっと極端なことになっていることでしょう。

徳元 円佳
 アメリカでの留学時代に、言葉だけでなく文化の違いもいろいろ体験した。しぐさもそのひとつである。
 日本の若者は、写真をとるとき多くの人がピースサインをする。私は、以前からこの、意味不明なポーズのとり方に疑問をもっており、そのような習慣はなかった。だから、私の写真をアメリカの友達に見せたときも、支障はなかった。しかし、日本の学校の友達と一緒にとった写真には、多くのピースサインがあり、アメリカの友達に見せる度、「何がpeace(平和)なの?」とたずねられ、返答に困った。たしかに、外国の人から見て、不思議に思ったであろう。しかも、中には笑顔でもないのになぜかピースサインはしっかりしている者もいる。奇異としかいいようがない。私はいつ、誰がこのような習慣を広めたのか未だに疑問である。
 代表的なしぐさの違いに、「こっちへおいで」の手の振り方がある。日本式では、外国では「あっちへ行け」をあらわすらしい。頭では理解できていたが、私も何度か無意識のうちに間違えていたのだろう。先日、留学時の日記をみていると、このような文章があった。「ピーター(ホストシスターが飼っていたウサギの名)をつかまえるため、backyardへいった。名前を何度も呼んでも、こない。こっちへおいで(日本式のものだった)、としても来なくて、むこうに逃げていってしまった。やっぱり、飼い主じゃないと無理なのかもしれない。(後略)」もちろん、突然現れた東洋人によばれて素直に言うことをきくようなペットは少ないとおもうが、そのうえ、「あっちへ行け」のしぐさをされては、アメリカのうさぎとしては、頭にきたのかもしれない。そう考えると、非常におもしろい思い出だと思った。

Yukiko Toyooka
   As I watched video, I think Japanese were sure to be not good at expressing one's feelings. And I am poor at expressing my feelings same almost of Japanese. So I sometime be said" You are a stiff expression." When I have to make a speech or presentation in public, I usually am a stiff expression. Still more, as I want to use a gesture and change voice tone, I don't it. I think this thing is very important for speech and presentation. And I remember the word in video. This word is host in the video said "Knowing deference of each culture is good, and knowing it is better than not knowing it" I think so too. It is difficult for Japanese to do like Americans doing, Thought we try to be flexible expression, it often do not go well. But it is important to try one's hand at knowing American culture. If we can imitate another culture's good thing, I think it is very nice.

Sachiko Yamakawa
 私たち学生は非言語コミュニケーションにおけるジェスチャーに触れ合う機会は一般の人々と比較して多いと言えます。なぜなら私たちは英語の先生を通じて会話の一部としてジェスチャーを受け入れ、とても新鮮で楽しいというイメージを持っています。私たちにとってジェスチャーは英語学習を継続していくためになくてはならないものとなっています。
 英語の先生が言葉と共に用いるジェスチャーは言葉の意味を理解しやすくし学習者の不安感を取り除き面白さを植え付けます。その影響を受けて今度は私たちが自分の言いたいことを理解してもらおうと仲間に不慣れなジェスチャーでもって英語で語りかけます。不器用なせいでしょうか。先生のようにはうまく意志を伝えることはできません。日本人は普段からジェスチャーを使うという習慣がなく、自然とジェスチャーが会話の中に溶け込んでいる欧米人とは文化的背景が大きく異なっています。私たちが先生の真似をしてジェスチャーを使いこなそうとしても相手が日本人の場合は耳を傾け音にこだわるために会話がスムーズに流れますが、相手が欧米人などの場合は最初は会話の楽しさよりもぎこちなさや不快感を与えてしまう時もあるかもしれません。そのようなことになっても異文化を理解し世界の人々とコミュニケーションをはかっていくためには、私たちは徐々にでも進んでジェスチャーを用いることが大切です。
 ジェスチャーはコミュニケーションで大きな役割を果たしていますが、ではこのジェスチャーがなくても私たちはこれまでと同レベルの英語能力を保つことができるのでしょうか。私が初めて職場で海外電話を受けた時、相手の早口に圧倒され最初の一言からぜんぜん英語を聞き取ることができなかったことがあります。私は自分の英語力の稚拙さと日本語の時と同様電話だと間接的なので音も聞き取りにくいせいだと思い込みました。後になって先輩より電話だと相手の顔がみえないので表情やジェスチャーに頼ることができなくて彼女も困っているという話を聞きました。そして彼女は英会話の先生にお願いしてお互いに顔をあわさないようにして練習に励み、悩みも徐々に薄れてきているということでした。学習者にとって言語以上にジェスチャーの影響力は大きく英語の運用能力そのものまで左右していると言えます。
 今後私たちがグローバルなコミュニケーションをはかるためには、言語と同様にジェスチャーやその他、非言語コミュニケーションも注視していかなければなりません。  

Atsuko Yamamoto
 私はこのビデオで言われていた通り、日本人は自己表現が少ないと思います。曖昧で、静か、これが本当に行儀の良い日本人らしい姿だと自信を持って言えるのでしょうか。確かに面接などであんなにもリラックスできるとは思えませんが、外国人にとってはあれがごく普通の感覚なんだろうなあと思いました。
 私が一番面白いと思ったことは、日本人と外国人の顔の作りについてでした。今回のビデオでなぜ日本人と外国人はあんなにも表情に違いがあるのかがわかりました。眉毛と目との距離が確かに外国人の方が狭いし、それによって眉毛を上下に動かす回数が日本人よりはるかに多いし表情の種類も豊富だと思いました。私達日本人は手や顔の表情で感情や伝えたいことをを表現するよりもまず言葉で表現しようとしてしまいます。なぜ、こんなにも感情表現に違いが生まれたのか、もっとその歴史を詳しくたどってみたいです。きっともっと面白い発見がいっぱいあると思います。

Akiko Yamashita
There are some differences to express emotional movement between Japanese people and western people. I think our country is surrounded by ocean and is constituted mostly by Japanese people. But, for example, the US was founded by immigrants from all over the world. So, in our society common sense and basic idea is resemble. But, in the immigrant community, they were needed to understand each other using face and body besides language. In this situation, both culture are created. Direct and indirect. I like both way. And I believe "Isin densin" also work between foreign people.

吉森 元樹
 非言語コミュニケーションについて、普段私たちは会話が主体であってジェスチャー的な要素はほとんど無意識のうちに、いろんな感覚や印象や雰囲気を感じたり、与えたりしている。今回、ビデオのなかの言葉を使わず会話するという実験を見て、豊かな表情や動作がより強い表現として相手に影響を与えてるのだと感じた。
 私たちは例えばある誰かと仲良くなりたいと思っていても、表情や動作の豊かさの欠けることで、仲良くしたいという気持ちを相手にうまく伝えられないことがある。逆に、話したことがなくても不思議と「いい人」なんじゃないかな、と感じることもある。このように、自分の気持ちを表現するのには言葉が与えるのと同じくらい表現や動作といった非言語のコミュニケーションが重要であると気付かされた。


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