TESOL 2001カンファレンスへの旅

0. はじめに
 今回の米国出張は2000年度科学研究費の海外出張旅費を使ったもので、1年前に研究成果を発表する予定があり、申し込んだ後に認可される必要があったが、調整がつかず、資料収集目的の大会参加のみの少し気楽な出張旅行であった。とはいえ、現在研究中のCALL(Computer Assisted Language Learning)関連の発表を中心に聞いて、資料収集をする必要があったことは言うまでもない。

1. いざ出発
 2月26日午後のデトロイト経由セントルイス行きNorthwest便での出発のため、早めの昼食をとり、京都駅で「はるか」に乗り換えて関西国際空港に向かった。春休みの卒業旅行シーズンということもあり、結構混んでいた。Continental便との合同便ということもあり、ほぼ満席の状態で午後4時25分発が10分速まり、出発した。幸いにも(?)隣りには卒業旅行で米国各地を旅行するという神戸からの大学4年生たち2名がいたので、雑誌や本を読む以外は多少おしゃべりを楽しむことができた。偏西風にもうまく乗り約12時間でデトロイトに着いた。

2. デトロイト空港で

 入国審査を済ませ、荷物を税関経由で再び預けた後、国内線へのゲートに向かったが、Northwestの基幹空港の割にはやや施設が見劣りした。カフェやお土産屋も小さく、単なる通過空港の感が強かったと感じたのは筆者だけだろうか。待つこと約2時間半でいざ出発かと思いきや、途中でゲートの変更あり、予定機の整備不良と代替機のないことで、あっさりキャンセルとなってしまい、さらに2時間待たねばならなかった。そのせいか、その便は満席状態となり、所謂「オーバーブッキング(oversold)」となり、200ドル分の一年間有効の航空利用券をもらって席を譲り、30分後に出る別会社の便でシカゴ経由で行くか、同様に500ドル分をもらってホテルで一泊し、早朝の便で行くかというサービス(?)提供があり、いつもながらの光景に出くわし、「またか」といった気分であった。疲れていて、一刻も早くセントルイスに着いて、ホテルで休みたいのに、とてもそのサービスを受け入れる気分ではなかった。まあ、日程的に余裕があって、長距離でビジネスクラスにでも変更してくれるなら、受け入れたかも知れない。

3. セントルイス第1日目:空港からホテルへ
 約1時間25分で滞在先のセントルイス空港に到着。荷物を引き取り、いつものようにホテルを回ってくれるシャトルバスを探していたら、切符を購入できるところへ行っても誰もいない。しかたがなく、シャトルバス乗り場に行ってみたら、すでに満席の1台が止まっていたが、すぐに出発してしまい、同じ学会に参加する数人と次のシャトルバスを待つことにした。暫くすると1台やってきて、「切符がないなら予約満席だから乗せられないよ」と言って乗車拒否をするのかと思えば、それは特有のジョークで、別の数人を待って出発し、もうスピードでホテルに向かった。帰りのシャトルバスも必要なので往復切符(18ドル)を購入した。筆者が一番最後に降りる結果となったが、なんとか無事ホテル(Raddison Hotel & Suites Downtown St Louis)にチェックインできた。

3.1 ホテル
 ホテルは29階建ての高層ビルで目の前にセントルイス名物の大アーチ(The Gateway Arch)が見える。一流のホテル環境とは言いがたいが、まあ、一人で学会期間中滞在するだけなので、ゆっくり寝られればいいかといった感じで、学会指定のホテルでは会場に近く、料金が安いところで選択した関係でまあ満足できるレベルであった。しかし、部屋に入ってチェックしてみると、なんとタオル類がないではないか。疲れた体を休めるのにシャワーは欠かせないのに、タオルがなければどうにもならない。早速フロントデスクに電話をして持ってきてもらった。クイーンサイズのベッドが2つあり、冷蔵庫とテレビがある一人には十分すぎる広さの部屋であったが、集中暖房システムをコントロールする装置がやや古く、暑くて良く眠れない時もあり、仕方なくパソコンで旅行記などを書いて時間を過ごすことにもなった。

 ホテルの部屋のやや汚れた窓から見えた大アーチ(西部の道への門)

4. セントルイス第2日目
 時差ぼけのせいか時々目が醒めたが、なんとか眠れ、翌朝身の回りの整理をしていたら、電話が鳴った。それはTESOL2001の前に通常開催される通称AAA (American Association of Applied Linguistics)大会に発表にきていた同じ大学の同僚Lさんからだった。一緒に昼食でもと誘っていたので、Lさんのハワイ大学の友人Iさんと一緒に滞在しているAAA会場のホテル(Hyatt Regency Hotel)ロビーで待ち合わせをした。筆者の滞在したホテルからは4ブロック程歩いて、一部地下に潜る市電(MetroLink)に8番パイン通り駅から乗って3番目の駅が大陸横断鉄道の駅のあるユニオン・ステーション(Union Station)駅で降りた。途中の区間は午前11時半から12時半まで乗車無料であるのであるが、どうもまともに切符を買って乗っているのかと疑わしくなるほど、駅はオープンであった。好景気を繁栄した米国ならではのサービスなのであろうか。正直のものの筆者は往復2ドル50セント支払って乗車したことは言うまでもない。
 Lさんとの待ち合わせ時間までかなりあったので、ユニオン・ステーションのショッピング街を休み休み回って、本屋で見つけたインタ−ネット関連の本を購入するなどをして過ごした。

Upper Left: Union Station Shopping Mall/ Upper Right: Inside the Mall
LowerLeft: Hyatt Hotel and US Shoping Mall / LowerRight: Free Mail Corner

 昼食はLさんとIさんの3人で美味しいという評判の中華料理店でバイキング・ランチではなく、一品料理を幾つか注文して、おしゃべりを楽しみながら食べた。サービス担当者がとても愛想よく、多少日本語も話す中国系米国人だったので、いろいろとサービスをしてくれた。
 食後はAAAの最後のプログラムに飛び入りで参加したが、特に有意義と言うべき内容のものではなかったのが残念であった。早めに切り上げ、ホテルに戻ったが、なんと雪がちらつく寒い天気になって寒かった。ホテルへ戻る途中に少し回り道をしながら戻ろうと歩いていたら、「カンサスから来たのかい?(Are you from Kansas?)」と後ろから声をかけられた。その中年白人男性は私が背負っているバッグを見たらしい。彼もアメリカン・フットボールのプロリーグに所属するカンサスシテイ・チーフスのジャケットを来ているではないか。歩きながら少し話をして曲り角で突然「小銭があったらくれないか(Don't you have any changes to offer me?)」と言われた。「えっ、今着いたばかりで銀行にも行っていないので。ごねんよ。」と言い、さっさとその場を逃れ、別の道へと別れた。失業中でもあったのであろうか。小銭をねだるホームレスだったのだろうか。身なりはそれほど汚れていなかったので、安心していたのであるが。
 寒い天候状況からとても夕方から始まる大会会場に行く気にもなれず、昼食の余りを持ち帰ったもので夕食を済ませ、テレビでニュースを見たり、パソコンで仕事をして過ごした。夜電話が2つあり、現在準備作成中のテキストを出版する会社の専務Sさんとサンフランシスコ州立大学大学院で勉学を続けている知人MさんとMさんの同級生と翌日それぞれ昼食と夕食を一緒にする約束をした。

5. セントルイス第三日目
 暖房のせいなのか、時差ぼけがまだあったのか、夜あまりよく眠れず、体調が思わしくない状況であったが、早朝からシャトルバスでカンファレンス会場へ行き、コ−ヒ−とマフィンで朝食を済ませ、幾つかの分科会会場を回りながら、CALL関連の研究発表を聞いた。この日から本格的な大会が始まったのである。参加者数は昨年のバンクーバーに比べてもやや少なく感じたが、米国中西部で寒い地域でもあり、観光地としての魅力も余りない都市セントルイスなのかは分からない。残念ながら取り立てて斬新な方法での報告は少なく、すでに筆者が実践してきている、あるいは理解している内容のものが多かったという印象であった。余りに基本的でつまらない内容であった場合には途中で抜け出し、教材展示会場を見回って時間を過ごしたが、購入したい新刊本がこのTESOL大会前のAAA会場で売り切れとなっていたとのことが唯一残念であった。TESOLへの参加者数は圧倒的に多いのに、なんとも情けないビジネス戦略であろうか。最新の研究テーマのものだけに、殿様商売でも大丈夫とでも考えているのであろうか。猛省を促したい。

TESOL2001の会場となったアメリカズセンター(America's Center)

 予定していたSさんとの昼食を介しての会合では、待ち合わせた後、Sさんの時間が十分に取れないことが分かり、結局話を30分ほどしただけであった。仕方なく、教材展示会場にある食事ができる場所で、高いホットドック(4ドル)と水ボトルを購入して済ませた。その後の午後のセッションもあちこち動き回りながら、情報収集に努めた。
 夕方5時で主だった研究発表が終わることもあり、登録受付場所で待ち合わせて、Mさんとその友人Kさんと夕食に出かけようとして、お勧めレストランを聞いてみた。セントルイス在住の女性が親切にこと細かく教えてくれ、幾つかのエスニック・レストランのあるCentral West End駅近くの The Loop地区に市電を使って出かけることにした。駅を出て指示された方向に進むと、なんとも病院などの工事中の建物が多い場所に出た。信号待ちをしていると、少し美味しそうなにおいを感じるようになり、幾つかレストランのサインを見つけることができた。その中で迷うことなくジャマイカ料理を食べられるBabadu'sというレストランに入り、本日のお薦めを各自が注文し、分け合って食べた。まあ、日本人ならではの食べ方であるが、インフォーマルな食事と会話を楽しむためであるからよいとしよう。

ジャマイカ料理:本日のお勧めを3種類注文して食す。

 食事後、MさんとKさんが宿泊している学生さんが迎えにきてくれたついでに、筆者もホテルに送ってもらった。持つべき者は友だちの友だち?ホテルの部屋に戻ると、疲れたのか、シャワーも浴びずにテレビを見ながら寝てしまった。ところが、テレビを消したのは覚えているのであるが、その後寝入ってしまったのにも拘わらず、やはり夜中に目が醒めてしまい、横たわっていてもなかなか寝つかれなかったので、5時頃起きてパソコンで作業をした。

6. セントルイス第4日目
 早朝に目が醒めてしまったので、再びベッドに横たわったら、寝坊をしてしまった。しかし、一人旅の気軽さ、まあいいかという感覚で遅い朝食をホテルのレストランで済ませ、歩いて会場に向かった。
 午前中はプログラムから遠隔学習(Distance Learning)に関わる発表などを中心に聞いたり、友人K夫妻が発表されていたポスターセッションの発表を回った。そこで出会ったオクラホマの大学院で修士号取得を目指して勉強している日本人学生に大学レベルへの就職可能性について質問された。かなり現実は厳しくなってきているが、地道な努力(論文作成と学会発表)をしていけば、可能性はあることを助言しておいた。多様な雇用形態で対応していく近未来を想像すると、専任ポストへの就職は厳しいばかりではあるが。。。。
 昼食はポスターセッションの発表を終えた友人K氏と近くのショッピング・モールにあるフード・コートで話をしながら素早く済ませ、午後の発表会場に戻った。期待はずれのプレゼンテーションもあったが、夕方まであちこちと聞き回った後、教材展示会場である出版社が無料提供してくれているサイバーカフェで並んで待って借り、Eメールをチェックした。
 友だちとの夕食の約束もなかったのと、寝不足ぎみの毎日で疲れていたので、歩いて戻る途中で水とターキー・サンドイッチを買って、ホテルの部屋に戻った。テレビのニュースを見ながら食べるという寂しい夕食となってしまった。CNNやPBSの番組では米国経済の最近の落ち込みについての特集が中心で余り興味もなかったので、ドラマを幾つか見て過ごした。内容はまさしく米国の抱える現代の問題(武器と暴力・恋愛と性・家庭愛などを扱ったもの)をよく反映している。

7. セントルイス第5日目
 この日は一日中研究発表を聞き回り、有意義な情報を幾つか入手できた。昼食はホテルから歩いて大会会場へくる途中で見かけ、昼食サービスのビジネスしかしていない「急いで食べるカレー屋(Cury in a hurry)」へ行ってみた。Yeah, I ate curry in a hurry at "Curry in a Hurry".何種類かあるカレ−の中から2つを選び、ナン2枚と蒸し御飯の組み合わせ(Combo)に飲み物を追加して食べたが、その量の多さに少し残した。やはり米国人たちはぺろりと食べてしまうようなので、米国人の胃袋に合わせた量なのであろう。
 午後の発表が終わる5時頃に友人MさんとKさんと待ち合わせ、彼女らが参加を予定していたワシントン大学セントルイス校(Washinton University in St. Louis)の社会福祉学部留学生会が主催する「インターナショナル・フェステイバル」に便乗させてもらった。一緒に市電を利用してフォレスト・パーク(Forest Park)駅で降り、歩いて会場まで行ったが、20分ぐらいかかった。冷静に地図を見て判断すれば、その次の駅のデルマー(Delmar)からの方が近かったようで、友人二人は重たい荷物を持ちながら大変であったと思われる。
 この「インターナショナル・ナイト」は留学生たちが用意した各国料理とパフォーマンスを彼等たち自身と関係者が楽しむ企画であった。会場に着いてみると、料理を配りはじめており、長蛇の列であった。20分くらい待ち、ようやく各国料理を少しづつもらったが、すでにないものもあり、すべての料理を味わうことはできなかったが、まあ十分であった。食べ終わらないくらいの時間にパフォーマンスを見るため、別会場に移動した。大学関係者の挨拶の後、多種多様なしかもレベルの高い歌、踊り、楽器演奏などがあった。一番印象に強く残ったのは日米人混成チームと思われる「太鼓パフォーマンス」であった。セントルイスでは有名なグループだそうであるが、チームワークもよく、かなりレベルの高いものを見せてくれ、感動するものがあった。その他のものもパワーポイントやビデオを駆使して各国を紹介したが、多文化多民族の存在と国際交流の意義を再認識した一時でもあった。こういった行事は準備が大変であるが、日本でも大学レベルに限らず、地域社会でも大いにすべきである。文化が異なっても人間と人間とが積極的に理解し合おうと交流すれば、言葉や宗教的な壁は大きいが、おのずと異文化を受け入れる心の解釈幅が広がり、本当の交流が実現するであろうから。

Upper Left: African Drum / Upper Right: Berry Dance /
Central Left: Kazfstan Dance / Central Right: Korean Drum
Lower Left: Native American Dance / Lower Right: Japanese Drum

7. セントルイス第6日目
 いよいよカンファレンスも最終日となり、帰路に着く参加者もかなりいたが、同じ会場内に別のイベント(Home Show)があって、家族連れも行き来してカンファレンス・ホールは混雑していた。午前中は最後の発表を聞きに出かけ、昼食はホテル近くの中華料理店で済ませた。その後、セントルイスの象徴であり、米国近代技術を代表する建築物でもある大アーチへ出かけた。週末でもあり、かなり混雑していたが、その建築理念や建設プロセスを紹介するドキュメンタリー映画を見た後、8連の5人づつに分乗するトラムで最上部へと昇った。あいにくの曇り空で遠方は見渡せなかったが、近くの旧裁判所、高層ビル、ブッシュ野球場などがよく見えた。数分程滞在して下に降り、西部開拓時代からの歴史を理解できる博物館を見回った。
 その後、セントラル・ショッピング・センターをひと歩きしたが、それほどお客は入っていなかったし、面白みに欠けるお店ばかりで、再度市電に乗って、セントラル・ウエスト・エンドに出かけた。そこでびっくりしたのは人の多さ。平日に一度行った時はがらがらでゆっくりと歩き回れたのに、どこの店も人ばかり。帰路分かったが、この日はアイスホッケーの北米プロリーグであるNHL(National Hockey League)に所属するBluesがカルガリーとの試合とイリノイ州、アイオワ州、ミゾリー州の幾つかの大学バスケットボールの大会であるミゾレー・バレー・カンファレンスがあったので、観客や応援団も含めて多くの人たちがセントルイスを訪れていたせいだったようである。筆者が滞在したホテルにもチャーターバスが前に止まり、ブラスバンド関係者を降ろしていたし、エレベーターの中でも何度か一緒になった。
 夕食も簡単に済ませ、翌朝出発だったので、帰国準備をしたり、テレビを見たりして少しのんびりした。しかし、早めに寝ようとしてベッドに潜り込んだが、2時間程で目が醒めてしまい、暖房で乾燥していることもあり、なかなか寝つかれなく、結局ホテルのチェックアウトをした5時までパソコンで仕事をしてしまった。

8. 帰国へ
 デトロイトへ向かう便が午前7時発であったため、6時くらいまでには空港に着く必要があり、往復の乗車券が使えたシャトル・バスは調べてみるとそれほど早い便に対応していなく利用できなかった。仕方なしにタクシーを使って空港へ向かった。チェックインをしていると、同じ大学の別学部の先生Mさんや知り合いのFさんと出会い、同じルートで帰るということで、セントルイス空港やデトロイト空港での待ち時間はコーヒーを飲みながら、いろいろと話をして時間を過ごすことができた。デトロイトから関空までの隣の席に座ったのは、シカゴで会計士をしているフィリピン系米国人Lさんで、暇な時間を少しおしゃべりで過ごせた。途中気流の悪い所で少し揺れたが、全体的には問題のない飛行で約14時間の空の長旅を終えた。

9. 米国再訪問への雑感
 一年ぶりの米国であり、初めてのセントルイスであったが、ニュースでは国際的に一人勝ちの経済がやや陰りを見せている状況を放映していたし、滞在したホテルのあるダウンタウンは一度かなり落ち込んだ環境になっていたのを再開発をしているようで好況さも少し伺えた。セントルイスはアフロアメリカンが過半数を超えていることもあり、どこでも彼等特有の行動パターンに出くわし、これまで訪れた米国の主要都市の中では少し異様なしかし陽気でパワフルな雰囲気を感じた。といって危険一杯というわけではないのであるが。いつもより身構えてしまうことが多かったように思う。低所得者層もそれなりにいるのであろう。小銭を乞う浮浪者らしき人物も時々見かけたし、ちょっとした大衆レストランで関係者に分らないように残り物を食べていた風景も見かけた。
 今回はカンファレンス会場まで歩ける距離のホテルを選び、できるだけ歩くことを心掛けたが、やはり車社会の米国では車無しでは行きたいところへもなかなか行けない。夜遅くなると、場所によってはタクシーも見つけにくいし、公共交通網が不十分だと困ってしまう。セントルイスへ再度訪問することはきっとないであろうが、初めての地を訪れ、何かを発見する楽しみはいいものである。来年は時期が4月初旬で、冬季オリンピックの後のソルトレイク・シテイであるが、行けそうもない。若き留学生時代にバス旅行の途中に訪れたことがあるが、二度目の訪問はなさそうである。


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