小野寺さんが「忘れたい過去」と振り返る、1回生で初めて参加し不甲斐ない結果で終わった大学弁論大会。しかしその苦い経験があったからこそ、2018年1月6日に開催された「第34回土光杯全日本青年弁論大会(以下、土光杯)」で、立命館大学からは24年ぶりの受賞となる「ニッポン放送杯」に輝いたのかもしれない。

大学だからこそ出会えた多様な仲間

「中学の頃、表彰された作文を全校生徒の前で発表したものの、緊張して上手く話せませんでした。そのときから、人前でも緊張せずに話ができるようになればと思い、大学で弁論部に入りました」という小野寺さん。しかし大学弁論大会がトラウマになり、大会への参加が遠ざかっていったという。

その間、弁論部と並行して所属していた政治研究会の会長として活動したり、全国各地の学生とともにインカレサークルを立ち上げ運営するなど、多様な活動をしていた。「部員たちが積極的に協力してくれたからこそ、うまく運営することができました。共感してくれる、協力してくれる仲間に会えて本当によかったです。立命館での多様な出会いは、自分のやる気にもつながりました」

先人の偉業を伝えたい

他の活動を経て、弁論でも結果を残したいと思い、挑戦した大会が2016年度の土光杯。一次選考の論文審査を通過し、本番に挑んだが結果は惨敗。「江戸時代に活躍した学者・蒲生君平を題材に主張しましたが、会場は無反応。『蒲生君平って一体、何者?』という人のほうが多かったです」

蒲生君平は寛政の三奇人と言われた人物の一人で、古墳の形状である「前方後円」墳の名付け親としても知られる。著書の『山陵志』は幕末尊皇論に多大な影響を与えるなど、先駆的な思考に小野寺さんは3年前から興味を持ったという。土光杯での蒲生君平の認知度の低さを実感し、もっと彼の偉業を伝えたいと研究にも力が入った。

2017年度の土光杯のテーマは「人口減少社会と地方再生」。自らの想いを伝え、蒲生君平のアピールにもなれば、と再挑戦。宮城県出身の小野寺さんは、東日本大震災後「故郷の力になろう」と協力し合う多くの人たちに支えられていると感じた実体験を踏まえ、若者が地元へ帰る“原点回帰”の機会を増やすことが重要だと主張。「前回は文献から得た情報を並べただけの内容で説得力がなかったので、今回は自分の実体験を織り交ぜました。もちろん、『生まれ育った土地、先祖や親を大事にする教育が重要だ』と蒲生君平が幕府に提言した文章なども盛り込みました」。応募の結果、2年連続論文審査を通過し、見事11人の弁士の一人となった。

論文をもとに原稿をつくり、練習を重ねて挑んだ当日。結果は、優秀者5人に与えられる賞の一つ「ニッポン放送杯」に輝いた。「正直、賞をとれるとは思っていませんでした。2年連続で蒲生君平の話をしたので、周りからは“執念の勝利”と言われました」。会場には応援に駆けつけてくれた家族の姿もあり、「大学4年間の成長を見せることができました」と、大学生活を見守ってくれた家族と過ごしたひと時も思い出になったという。

研究者として新しい扉を切り開く

次の目標は土光杯の頂点「土光杯」受賞と、将来、蒲生君平研究の第一人者になること。卒業後は研究を究めるために他県の大学で学び続けるという。蒲生君平のさらなる魅力を流暢に話す、小野寺さんの勇姿が再び見られる日を楽しみにしたい。

PROFILE

小野寺崇良さん

宮城県白石高等学校(宮城県)卒業。弁論部と政治研究会に所属。他にインカレサークルを立ち上げ、運営するなど活躍の場を広げる。蒲生君平と出会うきっかけとなった宇都宮への旅行をはじめ、日本各地を巡るのが趣味。

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