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SGH  Rits Super Global Forum (RSGF) 2016 実施報告③

2016.12.01

Super Global High School (SGH)
GL/GJコース(クラス)SGH取組報告

SGH  Rits Super Global Forum (RSGF) 2016 実施報告 ③

 11月15日(火)~19日(土)にかけて本校で開催されているRits Super Global Forum(RSGF)2016。4日目( DAY 4 )は、RSGF2016の大きなヤマ場となるMini-Plenary Discussionでした。
前日までのディスカッションは8人程のアプローチ毎のグループ討論だった。本校生と海外生がそれぞれ4名程の構成からなる少人数グループで、互いの距離も近く人間関係も築きやすい状況のなかで活発な意見交換や意見の擦り合わせ等もしやすく、概ね満足を得たものとなっていた。しかし、この日は5つのアプローチ・グループが集まって40名程度の集団をA、B、C、Dと4つつくって討論するものだった。アプローチ毎での議論で得たSOLUTIONを5つ統合して一つの全体的な結論に導く。そしてそれを翌日に全員の前で発表する。教員と生徒実行委員が数か月の議論を経た末に行き着いた、このMini-Plenary Discussionという議論の形式は、われわれスタッフも経験したことのないもので、今年度の挑戦でもあった。
 昨年度のRSGF2015で初めて挑戦したBIG ASSEMBLY SESSIONという形式。最終日に全員が一同に会して議論をおこなうこの形式の結果は、海外生の独壇場だった。活発な議論が展開されるなか、本校生はただの一度も発言することなくただ協調的に振る舞うのみであった。それまでの小グループでの議論で発言していた生徒たちもこの日はその姿はなく、議論に積極的に貢献することができなかった。得るものは多かったものの、十分なコミットメントができなかったというこの最終日の議論での本校生の思いは、拭い去ることが出来なかった。
それを肌で体験した今年度本校生の一つの解決策は、150人規模での議論を中心に据えるのではなく、その前段階として40人規模でのそれを中心に据えることで昨年度の課題を克服出来ると考えたのだった。十分な達成感と充実感、激しい議論の応酬の末に導き出されるSOLUTION。国際的に共同して一つのグローバルイシューに取り組むことで見えてくるもの。そして、その議論の勢いで最終日のPLENARY SESSIONという大集団での議論に突入し、自分たちの主張や存在感をもってSOLUTIONに貢献し、たとえ一片であっても、世界の貧困問題解決のために寄与することができるという意識を共有できると考えたのだった。
 しかし、蓋を開けてみると…。各グループで前日までの議論のシェアが行われたのち、各グループでのSOLUTION等作成のために意見が戦わされたが、本校生は海外生に圧倒されていった。熱の入った彼らの言葉のスピードについていけず、またブロークンな英語は文脈依存のみでは理解に限界があり、シリアスでデリケートな問題を積み木を重ねていくように慎重に議論を重ね何とか出来上がりつつある楼閣を軽率な言葉で台無しにするわけにはいかないという思いが先走り、議論の後半になると、本校生の多くが重苦しい沈黙に支配され、プレーヤーとしてではなくオーディエンスと化していった。少なくなってきたとはいえそれでも懸命に議論に参加していた一部の本校生たちも、そのような状態に孤立感を深め、海外生との激しい議論の応酬に最後は気持ちがついていかなくなっていった…。
 この日にあったCultural Performance。歌やダンス、本校生からは日本舞踊や書道部パフォーマンスなど各国生徒が出しものを披露し、さながら最終日のような高揚感であった。しかしその高揚感は、この日のディスカッションを「忘れる(たい)」かのようなそれにも見えた。「私たちの目指している高みは別のところにある。これじゃもう『おしまい感』」がでてダメだ」。この日にこの企画を持ってきたことに憤る生徒たちの声。パフォーマンスの喧噪のなかにあって、われわれの意識だけは冷え冷えしていた。
 その後にあった、グループ毎の代表プレゼンテーション準備のための議論。誰が代表になるのか、どのようなプレゼン資料を作成するのか。今や議論は全体のものとはならず、一部の発言力の強い海外生たちの主導で行われていった。ちりじりにばらけていく40人の集団。帰路につく本校生たちの表情は一様に疲れて見えた。
 自分の無力感に涙するもの、海外生と議論するといいながら要は自分の主張を如何に相手に飲ませるかというテクニックなんじゃないかと深く溜息をつくもの、大きな声で何度も発言し主張することで存在感をアピールし、結果的にその議論の場を支配する。そんな形は本当の議論じゃないと憤るもの、議論をハンドルするTAのファシリテートのあり方に疑義を呈するもの。この日の終わりは、これまでわれわれが見たこともない生徒の挫折感が全体を覆っていた。国際的な共同研究をするということの難しさを自分のこととして体験しているその打ちひしがれた生徒たちの姿を見て、われわれは思った。「これこそ学びだ」と。
 叱咤激励しながらそういう生徒たちに寄り添っていたわれわれスタッフも、生徒たちの不規則な動きに十分に対応できなくなってきていた。舞台で十分に振る舞うために準備することと、舞台を用意するということの難しさに直面したわれわれ。一つの綻びは次の綻びを誘発する。1日の終わりにはわれわれ教員自身も疲弊しきっていた。明日はどうなるのか…。

 明日は最終日のPANEL DISCUSSIONとPLENARY SESSION。今フォーラムのハイライトです。
 RSGF2016の挑戦は続きます。