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1964東京五輪と清和会員

 「TOKYO2020」の文字が世界中に伝わったのはつい先日のことでした。国内ではこれと併せて「TOKYO1964」の懐かしい映像も何度も紹介されていました。この1964年東京五輪に清和会会員の方が大きく関わっておられたことをご存じの方は少ないと思い、ここにその卒業生をご紹介いたします。
 五輪のポスターをグラビア多色刷りで世界で初めて製作されますが、それを撮影された写真家が立命館高校昭和27年卒業の早崎治さんでした。中学・高校・大学と立命館で学ばれた早崎さんは、高校時代から写真部で活躍され、大学では日本学生写真コンテストのグランプリを受賞されます。その後に東京五輪のポスターを担当されることになるのでした。3月中旬の肌寒い国立競技場で、映像効果をだすため午後6時から始められた撮影はスタートダッシュ80回、3時間にも及んだそうです。当時はまだフィルムの時代。1枚の写真に生命を送りこむ厳しいプロの目ならではのことでしょう。このポスターは1964年のイタリアポスター展でグランプリを受賞されることになり、早崎治さんの名前はポスターと共に世界中に知られることとなったのでした。その後、大阪万博のポスターも製作され、日本広告写真家協会会長も務められましたが、1993年11月、取材中に不慮の事故でお亡くなりになりました。
 北大路時代をご存じの方は、覚えておられるでしょうが、狭い校舎の北西隅で薬品の匂いが漏れてくる薄暗い写真部の部室と暗室から、世界に羽ばたく写真家が誕生したのでした。
  清和会 副会長 西田