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立命館高等学校空手道部 創部50周年記念
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 創部50年を迎えた我が空手道部は、昨年、記念式典を行い、今後のさらなる発展と伝統の継承を誓い合いました。以下、「立命館空手道部50年史」から一部、抜粋いたしました。

立命館高校空手道部50年を振り返って

 
 50年…本当によく続いてきたものです。私が高校空手道部に入部してから43年、今思い返してみますと、部を発足させ、現在の基礎を築いて下さった先輩達への感謝の気持ちでいっぱいです。特に今は亡き森田幸雄・前OB会長のご努力とお力添えがなかったら、今日という日は間違いなくなかったろうと思います。昭和32年のOB会発足と同時に、初代会長・松尾和行先輩の手足として、OB会の運営はもちろん学生の指導と学校との交渉、また現在の高体連空手道専門部の前身である京都府高等学校空手道連盟を発足させ、京都府高等学校空手道選手権大会を開催し全国大会にも参加…これらのご努力が現在の京都府高校空手道界の隆盛につながっていきました。今後も森田前OB会長のご遺志を引き継ぎ、努力してまいりたいと思います。
 しかし我が空手道部の50年、けっして順風満帆とは言えない厳しい時期も経験してまいりました。昭和38年頃の不祥事による部活動停止、続いて昭和40年頃の練習中の事故による部活動停止、また部員不足による停滞時期等々。こういった大変な時期に学校との交渉や父母との話し合いに初代顧問・佐々木利功先生の献身的なご努力を忘れることは出来ません。先生自身、退職覚悟の強い決意の中で解決していって下さいました。先生には今現在も、我が空手道部を暖かく見守っていただいております。
 高校空手道もこの50年の中で大きく変化してまいりました。現在は学校体育の一環としての競技スポーツとしての空手道という側面が大きくなってきました。京都府高体連空手道部も発足以来、次第に活発になり、我が空手道部においても昭和50年から55年頃には5年連続インターハイ出場を果たし
また、長野国体デモンストレーション競技にも出場することができました。京都府連の高校の部においても3度にわたる優勝を勝ち取り、部員も多く、全盛期ではなかったかと思います。
 しかしその後、他校では小学生の頃から空手道を始め経験豊かな者が入部するようになり強化されていくのを感じながらも、我が立命館では高校に入学して初めて空手道と関わる者がほとんどで、高校でのクラブ生活わずか2年余りで勝ち抜いていくことが大変困難になってまいりました。その中、私たちの念願であった部出身の顧問として、平成3年に上田正治先生が立命館に赴任して努力され、少しずつ実績があがり、形ではインターハイに3度出場、春の全国選抜大会にも団体で初出場する事が出来、大変喜んでいます。
 今後も盛衰はあるとは思いますが、OB会長としてOB会員全員の力を結集して、先輩達に負けないよう立命館高等学校空手道部を守り、前進させていきたいと考えています。OBの皆様、今まで以上に空手道部に対するご支援とご援助をお願い申し上げます。                               平成11年1月
                                           OB会長 朴原 玄

空手道部50年の歩み

1948年(昭和23年) 同好会として発足
1950年(昭和25年) 部に昇格 活動が活発になる
  立命館大学との合同稽古 他高校との交換稽古
1957年(昭和32年) 誠志館との合同稽古 寒稽古
1958年(昭和33年) OB会発足  初代会長に松尾和行氏
1962年(昭和37年) 第2代OB会会長に森田幸雄氏
1964年(昭和39年) 剛柔会記念全国大会に5名参加  全員ベスト8の活躍
上森(準優勝)、林省(3位)、川口、近藤、猪ノ口
1970年(昭和45年) 創部20周年行事行う(嵐山)
1972年(昭和47年) 全京都空手道選手権大会 少年男子組手 橋本尚志 第3位
1974年(昭和49年) 全国高等学校空手道連盟が発足
第1回全国高等学校空手道選手権大会 始まる
1975年(昭和50年) 京都府高等学校空手道連盟発足 理事長に森田幸雄氏
第1回京都府高等学校空手道選手権大会 始まる
   第2回全国高等学校空手道選手権大会(東京都)に初出場
1976年(昭和51年) 第3回全国高等学校空手道選手権大会(熊本県)に出場
1977年(昭和52年) 第4回全国高等学校空手道選手権大会(岡山県)に出場
   全京都空手道選手権大会 少年男子組手 辻本尚史 優勝、
                   田中淳史 第3位
            一般男子組手 林 良介 第3位
1978年(昭和53年) 全京都空手道選手権大会 少年男子組手 上田正治 第3位
                              渡辺一弘 第3位
   第5回全国高等学校空手道選手権大会(福島県)に出場
   男子団体組手競技(辻本、上田、南、渡辺、田中、島田、森野)で3回戦に進出
   第6回全日本空手道選手権大会(長野国体DS大会)に
一般軽量級・・・・池本日出夫
一般男子形・・・・上田正治、辻本尚史   出場
1979年(昭和54年) 全京都空手道選手権大会 少年男子組手 島田 徹 優勝
全国高等学校空手道選手権大会京都予選会 始まる(全種目制覇)
個人組手優勝 南 宗和、個人形優勝 田中淳史
第6回全国高等学校空手道選手権大会(高知県)に出場 
5年連続出場の表彰 授与される
1980年(昭和55年) 創部30周年行事行う(都ホテル)
1982年(昭和57年) 全京都空手道選手権大会 一般男子組手軽量級 渡辺一弘 第3位
1988年(昭和63年) 学舎が深草に移転 道場開き行う
          森田幸雄OB会会長逝去  第3代OB会会長に朴原玄氏
1989年(平成元年) 第8回近畿高等学校空手道選手権大会(奈良県)に出場
1990年(平成2年) 創部40周年行事行う(京都ブライトンホテル)
1992年(平成4年) 第19回全国高等学校空手道選手権大会(宮崎県)に出場
            個人形競技の部  高畑國正
剛柔会全国空手道選手権大会(東京都)に出場
         少年個人型競技の部  高畑國正 優勝
第12回近畿高等学校空手道選手権大会(滋賀県)に出場
1993年(平成5年) 第13回近畿高等学校空手道選手権大会(奈良県)に出場
団体形競技の部  7位入賞  
個人形競技の部  中川育弘 8位入賞
1994年(平成6年) 第21回全国高等学校空手道選手権大会(富山県)に出場
個人形競技の部  中川育弘
剛柔会全国空手道選手権大会(京都府)に出場
少年個人型競技の部  中川育弘 第3位
1995年(平成7年) 第15回近畿高等学校空手道選手権大会(大阪府)に出場
1996年(平成8年) 第16回近畿高等学校空手道選手権大会(京都府)に出場
            団体形競技の部  準優勝(全国選抜大会の出場権を得る)
第16回全国高等学校空手道選抜大会(東京・武道館)に初出場
          団体形競技の部(杉本、中島、岡村、楳村、岩佐、三輪)
1997年(平成9年) 第24回全国高等学校空手道選手権大会(京都府)に出場
        個人形競技の部   中島誠治(準決勝進出)、岡村圭造  剛柔会全国空手道選手権大会(宮城県)に出場  
少年個人型競技の部  岡村圭造 準優勝
1998年(平成10年) 朴原玄OB会会長 京都府スポーツ功労賞受賞
1999年(平成11年) 創部50周年行事行う(立命館高校)
第19回近畿高等学校空手道選手権大会(奈良県)に出場



私と空手道部とOB会

立命館高校空手道部名誉顧問 佐々木利功

 私が立命館中学校へ勤務して4年目。昭和27年の4月に高校へ所属が変更になって何となく周囲になじめず訳も分からずキョロキョロしていた頃に、確か高2だった森田幸雄君が私の所にやってきて、空手道部の顧問をしてほしい、顧問がいないと部として認められないので困っていると、思い詰めた様子で訴えるので、何となく可哀想になって引き受けることにした。実のところ私は空手というのは柔剣道とは一味違った武道の一つであるという事と、もう一つ、空手を練習すると初歩によく間違って傷害事件を起こすといった程度の認識しかなかった。後になって大変なことを引き受けてしまったと内心後悔したものであった。当時私はまだ新米教員、学校の仕事がいろいろ廻ってきて部員の練習振りをゆっくり見ることも出来ずに日を送っていたが、それでも年1回の昇段級審査には偉そうな顔をして岡村師範、小泉師範、神谷師範、多田師範、松尾先輩等、錚々たる先生達と机を並べて座っていた。そのうち何回も見ていると、何となく上手下手が判るようになり、型を通じて空手の持つ肉体的精神的なものも理解出来る様になってくると、道場から洩れてくる大きな掛声も快よく耳に届くようになって、何時の間にか、この空手道部をつぶしてなるものかという気持ちが強くなっていくのであった。とはいえ若気の至り、時々アクシデントは起こるもので、その都度職員会議で吊し上げ同然の発言に遇って、校長も私も困ったことになったと思うことが再々あった。それでも何とか持ちこたえる事が出来たのはOBの諸君の熱心な後楯だった。森田先輩が生前「顧問から電話があるとぞっとする」とよく言っていましたと奥様から聞いて恐縮した事を思い出す。森田君に恩を売ったつもりの私が、結局後で何回も彼の恩になったと近頃つくづく彼の事を思い起こしているのである。長時間の職員会議の結果クラブ活動無期限停止と言い渡され、残念きわまりないが、空手部そのものの廃止でなくてよかったと思い直していると先輩の一人が自宅内の場所を提供して下さって練習を休むことのない様にと配慮して頂く。もしあの時OB会の諸君の一致した支援がなかったら私は学校で孤立無援、空手部はどうなったことだろう。全くOB会の諸君には頭が上がらぬ思いがする。空手部創立50周年と聞いて唯々懐旧の念に浸るばかりであるが、OB会が現役に対する思い入れは綿々と今に続いている有様を眼の当たりにして大変喜ばしく又私の壮年期の貴重な試練体験を懐かしく想い出す。お世話になった先輩諸氏、OBの皆様方に改めて心から御礼申し上げると共に、益々クラブが発展することを心から念じながら筆を措く。
                                  平成10年11月


写真


剛柔相摩 而養浩然之気
「剛柔相摩して 浩然之気を養う」
(ごうじゅうあいまして こうぜんのきをやしなう)

       剛と柔が互いに摩擦しあうことによって、天地間に充満している至大至剛の気が
       養われる。この気は人間に宿ると何物にも屈しない勇気となり得るものである。

 立命館名誉総長であられる故・末川博先生により1967年に書されたものである。北大路学舎でも武道場に、また深草に移転してからも格技場に掲げられている。我々空手道部員はこの書に見守られながら稽古に励んだ。



編 集 後 記

 
 今回、立命館高等学校空手道部創立50周年記念誌を発刊するに際しまして、多くの諸先輩方からご支援、ご協力を賜り厚く御礼申し上げます。また、大変お忙しい中、貴重な時間を割いて原稿をお書き頂いた諸先輩方に対しましては深甚の感謝を申し上げます。
 50周年記念式典を開催する計画を進めていく中で、この機会に半世紀の歴史をひもとき、それぞれの3年間の思い出をつなぎ合わせてみようという提案がなされました。50年という長きに渡って空手道部OB会が存続し、今なお活発な活動が行われているという事実は、まさにそれぞれの空手道部時代の3年間があまりにも強烈な青春の思い出であり、その経験がそれぞれの道を歩んでいる現在の各会員を支えている、いわば心のよりどころとなっているということを物語っているのではないかと思われます。さらに、この機会に過去の歴史をまとめておかなければ今後、その作業はより困難なものになっていくでしょう。この「50年史」によって、世代を超えたOB各位と現役部員のさらなる親睦が深まっていくことを願っております。
 一口に50年と申しましても、やはりその間いろいろなことがありました。部員も多く各種大会で上位入賞するなどの活発な時期もあれば、部員のトラブルで公式戦出場が出来なかった時期、さらには部員が揃わず活動存続そのものが危ぶまれた時期・・・・そういった中で、常に公正かつ温かい目で空手道部を見守り続けて下さった前OB会長である故・森田幸雄先生の貢献は大変大きいものでした。京都府高等学校空手道連盟発足に際しましても森田先生が中心となり、今現在の隆盛を見るに至りました。その他、OB諸兄の中にも惜しまれつつ急逝なされました方々がいらっしゃいます。この場をお借りして、哀悼の意を表します。
 さて、今回「50年史」の編集作業を進めていく中で、多くの諸先輩方からの原稿を読ませていただき、多くのことを感じることが出来ました。時代は違っても、それぞれの3年間は紛れもなく同一年齢時の経験であり、同じ事に苦しみ、同じ壁を感じ、そして同じ喜びを知っていったのではないかと…。環境や練習システムそのものは時代と共に移り変わっていくものです。しかし、空手道部に脈々と流れ続けている精神は今現在の部員の中にも少なからず受け継がれていっているのだと確信しております。また、中高生を中心にした青少年の問題行動が毎日のように新聞をはじめとするマスコミに取り立たされている昨今、こういう時代だからこそますます「立命館空手」「剛柔流空手」が果たしていかねばならない役割りが大きいものになってきているのだと思っております。50年という節目を契機に、OB会がより一層一致団結し、現役高校生をしっかり見つめ、正しく導いていけうる団体でありたいと願っています。また、今後、60年、70年、そして100年と継承、発展していけるよう、会員全員で努力していきたいと思っております。
 最後に、今回の50年史作成の中で、名誉顧問である佐々木利功先生、京都府高体連空手道専門部委員長である山野成思先生、立命館高等学校長である加藤直樹先生から御祝辞を頂戴し、この場を借りて厚く御礼申し上げる次第です。

1999年2月
立命館高等学校空手道部「50年史」編集委員会



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