みなさまからのメッセージ

ご支援者インタビュー

立命館学園は、校友(卒業生)、企業、父母はじめ多方面の方々からご支援を得て運営しています。このページでは、学園の教育・研究充実のために、ご支援くださっている方々をご紹介します。

第19回


中西 俊泰(なかにし としやす) 氏

中西 俊泰(なかにし としやす)

1989年 経済学部 卒業  中西電建株式会社 代表取締役
第19回は、中西 俊泰さんにお話を伺いました。

立命館入学にまつわるエピソード   

Q:立命館への進学を目指された理由やきっかけ等をお教えください。

中西(敬称略) 当時は、受験戦争時代。高校時代はあまり勉強せず、合格できそうな大学を受験しましたが全て落ちました。浪人が決まったうえに、大手予備校の入学試験までも落ちました。ところが、同じ様に遊んでいた友人は、受験直前に突如猛勉強をはじめ、志望大学へ現役合格。私も心を入れ替え、一年間真面目に受験勉強に取り組み、関関同立をはじめ6校を受験した結果、立命館大学経済学部に合格し、入学しました。

学生生活にまつわるエピソード   

Q:学生生活において特に印象に残っている学びやエピソード等があればお教えください。

中西 学生時代はハンドボール部に入り、部活に明け暮れました。クラブ仲間と時には喧嘩しながらも、勝つことに拘って練習に励みました。
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回生の購読の授業にて、担任の濱崎正規先生に、「諸君も読み返せば読むほど、涙が溢れ出る様な本に出合いなさい」と言われ、アダム・スミスの『諸国民の富』の原文を読み通したことは今でも記憶に残っています。
3
4回生時は、坂本和一先生のゼミに所属しました。坂本先生は、学生たちの自主性を重んじてゼミを進めてくださり、社会で求められるプレゼンテーションやディスカッションのための力を養うことができました。また、先輩含め学生同士の交流も活発で親交が深まりました。



2013年5月 坂本先生ゼミの同窓会でのお写真

ご卒業後のエピソード  

Q:ご卒業から現在までのお仕事の歩みについて簡単にお教えください。

中西 私は昭和から平成へかけてのいわゆるバブル世代1年目で、就職は学生にとって超売り手市場でした。就職活動と言えば、OB訪問をして夕食をご馳走になるのが普通でした。不動産業を営む家業との兼ね合いもあり、長谷川工務店(現在は株式会社長谷工コーポレーション)へ入社しましたが、バブル崩壊と共にジェットコースターが下るように会社の状況が変わりました。経理部に配属され、上司は仕事に対する姿勢が大変厳しい方で、日常業務は勿論、各種資格の取得など色々勉強させて頂きました。

その後、長谷川工務店を退社、実家に戻りましたが、不動産業界はバブル崩壊による未曽有の不況で、仕事はありませんでした。しかし、そのような中だからこそ、事業の立て直しに一から取り組みやすい状況だったと思います。父も私のしたいことを見守ってくれていたように思います。

弊社も業界柄、不良債権はありましたが、幸い銀行からの借り入れは少なかったため、早々に処理をし、次のビジネスに展開できたのが良かったと思います。経済にバブルは付き物ですが、不動産や金融に携わる方は、特に実態とバブルの見極めが大切だと思います。

ご支援にかける想い  

Q:立命館(附属校)に継続的なご支援をいただいている想いや背景についてお教えください。

中西 立命館への継続的な支援を始めたのは、子どもが附属校へ入学したことがきっかけですが、立命館とのつながりは以前からありました。坂本ゼミの同窓会も定期的に行われており、毎回参加しています。ハンドボール部での明治大学との定期戦や納会に加え、体育会OB・OG組織である「立命館スポーツフェロー」にも機会あれば参加しています。京都を地盤として事業を営んでいる関係上、仕事でも立命館の校友の方々と自然と親密になります。校友会組織の「Rits不動産ネットワーク」にも参加しています。
自分なりに立命館と関わりを持ち続け、それが結果的に立命館を支援していることに繋がってきたように思います。寄付はあくまでもその一部です。一度きりの寄付でなく少額でも長く続け、立命館との関わりも末永く続けたいと思っています。


Q:この度、立命館大学体育会ハンドボール部にご支援いただきました背景についてお教えください。

中西 一昨年、衣笠キャンパスの体育館を新設していただき、素晴らしい環境でクラブ活動に励むことができるようになりました。少しずつですが、ハンドボール部も実績を積み上げているようです。
今までは、OB・OG会を通じて支援するのが一般的でしたが、大学を通じて支援することにより、現役学生たちの受け止め方も変わるのではないかと思い、寄付をさせていただきました。また、このように意向に沿った寄付に応じていただける大学側の計らいにも感謝します。




1987年 ハンドボール部のご友人とのお写真
(解体された第一体育館のエントランスにて)
※写真中央が中西様


Q:ご子息・ご息女が立命館の各附属校に進学された経緯についてお聞かせください。

中西 私は4人の子どもを抱えており、高校・大学とそれぞれが受験することとなると、子どもたちと十分な関わりをもてないと思い、中学から一貫校への進学を目指しました。
長女の香帆は、クラシックバレエを続けており、バレエ学校からSA推薦を頂き、立命館宇治に入学しました。はじめて立命館宇治がSA推薦制度を導入した頃でした。スポーツや文化活動などで活躍している様々な個性をもった生徒たちがいる環境で学べることに興味を持ちました。

次女の萌は、立命館守山のかがやき入試で入学しました。様々な学校見学会に参加した結果、本人が「立命館守山を受験したい」と言いました。
末っ子の泰介は、オープンスクールや体験学習にも積極的に参加し、本人が立命館小学校への入学を希望しました。私も4・4・4制、ハウス活動、モジュールタイム、オープンな教室、始業終業のベルが鳴らないなどの教育制度のユニークさが気に入りました。

義父や義姉も立命館を卒業しており、子どもたちに自信と誇りを持って立命館を勧めることができました。正直、2人目からは他の大学の附属校を目指しても良いと思いましたが、通学の問題や本人の意志など、結果的に立命館とのご縁があったように思います。




2012年 ご家族とのお写真
(ホームステイで受け入れた立命館宇治の留学生の実家を訪問した時のご様子)



Q:立命館の教育(小中高・大学)に対するご意見やご期待についてお聞かせください。

中西 立命館宇治・立命館守山・立命館小学校と、3人の子どもたちがお世話になりました。それぞれ学校のカラーを大切にしつつ、子どもたちが目を輝かして将来の夢を語れるように、個性を伸ばして欲しいです。

子どもたちを附属校に通わせている経験から純粋に感じますが、卒業生の子どもに対する受験時の優遇制度があれば良いのにと思います。親が卒業した学校に子どもが通うことを誇りに感じ、子どもへの教育により深く取り組み、学校への愛校心も深まるものです。世代を超え立命館の遺伝子が受け継がれることは、学園側の財産ではないでしょうか。また、卒業生に限るわけではありませんが、兄弟が立命館の附属校へ入学した場合、2人目から入学金を半額にする等の金銭面の優遇制度もありがたいですね。


私立としての立命館学園を考えれば、もっと学校側も良い意味で卒業生を大切にしてほしい、もっと言えば利用すればよいと思います。たとえば、大学には様々な入試制度があると思いますが、企業でよく採用しているリクルーター制度のように、卒業生が面接を行い推薦する制度なども面白いと思います。世界中で活躍する卒業生が学生を面接し、この学生は立命館で学ばせたい、また学生本人が立命館で学びたいと思う熱意ある学生を発掘してもらってはどうでしょうか。

以前に比べ、近年は卒業生との関わりも活発になって来ていますが、さらに学校側と卒業生との交流が進んでいってほしいと思います。


Q:今の立命館や学生(後輩たち)にメッセージをお願いいたします。


中西 学生時代の友人は、一生の宝。学生時代に色々な活動に関わり、人との出会いを大切に。

(掲載日:2014年12月5日)

中西 俊泰(なかにし としやす)様のインタビューを終えて