臨床心理
対人援助

融合を産み出す土台をここでつくる

Masayoshi MORIOKA 森岡 正芳
Tadashi NAKAMURA 中村 正

まず「クラスター制度」について。クラスターそのものは、さまざまな業界で使われている
用語ですが、立命館大学の「クラスター」の意味は何でしょうか?

森岡 前身の応用人間科学研究科では、臨床心理学領域と対人援助学領域は個々に特化するのではなく、2つの交差領域を作り、多様性を持たせることが重要でしたね。

中村 多領域を横断させることで複眼的な視野を持たせる。実際の臨床や援助の現場では、
クライアントが多様な現実を生きていることに応対することになる。家族、職場、学校などの場としても多様なのです。

森岡 多様性という意味では、大学よりも社会が先に進んでいますよね。現実が先に行っていて、
それを追いかけて大学の研究がある。

中村大学院の教育を行うにあたり、社会の中の現象を実際の教育に取り込むことを考えました。
クライアントの生きる場で問題が生じていることを重視するということです。また社会人院生の職種も多様で、医療・保健・看護・福祉の援助職だけではなく、ご住職、バーのママさん、ドッグトレーナーなどヒューマンサービスとしてはますます多様に広がっていきました。こういった方々から逆に学ぶことが多い。
カリキュラムは、これらの現実の要素を含んだ「山」をいくつか作る必要があると考えます。その「山」で一番注意しなければいけないことが、「福祉」に閉じない、「教育」に閉じない、など特定の領域に閉じないこと。そこでチームティーチング方式を取り、臨床経験者も教員に数多く迎えたのです。
院を修了し職業を得た人も絶えずリフレクションする、そんな多様な専門家になってほしいと思いますね。
またクラスターに家族機能・社会臨床の領域を置いたのは、親密な関係性の激変があったからです。たとえば日本社会全体で暴力は減っているのに、一定の訴求性のある関係性での暴力が激増しています。いじめ、体罰、DV、虐待等です。そしてなによりも家族の経験をしていない人はいない。社会性ある臨床や支援にひらかれていくべきだと考えました。

Tadashi Nakamura 中村 正

立命館大学副学長/産業社会学部、応用人間科学研究科教授/立命館大学法学部、立命館大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。1989年より立命館大学助教授を経て現職。社会学修士。カリフォルニア大学バークレー校、シドニー大学客員研究員など経験。専門は社会病理学、臨床社会学、社会臨床論。日本社会学会、日本社会病理学会、日本心理臨床学会、日本犯罪社会学会など所属。主な著書に『対人援助学の可能性』(福村出版)など。

これらの話に臨床領域が関わることの意味はどうでしょうか?

森岡 人間科学における臨床領域はまだ若い領域です。これらの実践に関わることで臨床が育ち、社会における人間理解が深まります。心理学の発展と交差しつつ自分たちの学問を建てる段階です。そこに総合的な人間理解を加えることが、融合を産み出す土台となると思います。

中村 深く掘り下げる専門の知識に加えて、広く連携しながら横に広がる知識を協働で得ていきます。連携は見えやすい。それでも融合はまだ見えない。これは相当難しい。知の融合はある意味結果です。私はその縦と横に加えて斜めが必要で、それは人間理解や高度な教養だと思う。いまここにつながる歴史認識、自らや異なる文化への敬意と理解、アートなどの感性等です。

中村先生が取り組まれていた家族機能・臨床クラスターでは、その問題解決のために、
事例を多く用いてその生の事象について議論をやられていましたね。

中村 現実とは何かの定義も含めて生きた課題をテーマにすることをすすめています。
常識的なものの見方の乗り越えも重視しています。

過去現在・未来と考えると、昭和の時代は家族一丸となって、とにかく家族で頑張る。
おじいさんから子どもまで序列があった。それが現在は、縦のつながりよりも、SNSなどを使った横のつながりが活発となってきました。クラスターも時代に合わせた形を作っていく必要があると思いますが。

森岡 総合心理学部が入ることで交差軸が増えました。基礎心理学の実験精神をもとに、応用のレンジが広がりました。とくに法と心理、子どもの司法面接や生涯にわたる発達支援は本学の独特の領域だと思います。そこにアートを加える。臨床技法として描画や語り、音楽を介したアートセラピー。それを斜めの軸として融合に向かうことができます。

中村 ドラマセラピーなどもありますね。海外の刑務所ではプリズンシアターなど、芸術療法を取り入れた受刑者の再犯防止もあります。これは受刑者が自分の人生をドラマにして、シナリオを書いて配役を決めて、一年間練習して演劇形式で演じていく。

森岡 日本でも、音楽療法を取り入れた受刑施設での実践やプリズンラジオなどが、
これから注目されます。

中村 犯罪心理学で確認されているのですが、罰を与えて直接犯罪リスクに対応するリスクアプローチではなく、本来満たされていないニーズを満たし、個人ケアをしていくことを目指す。これは本来の刑務所教育の形ではないんだけど、それがあるべき姿かと思います。これらは社会臨床のテーマ群です。

森岡 再犯防止に認知行動療法が導入され、カナダなどでは活発に行われていますが、その効果の測定に関して数字では見えないことも多く、日本では多面的なアプローチが探られています。

Masayoshi MORIOKA 森岡 正芳

立命館大学総合心理学部教授/1982年京都大学大学院教育学研究科教育方法学専攻博士課程後期課程修了。博士(教育学)。神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授などを経て、現職。専門は、臨床心理学、文化心理学。日本心理学会理事(2017-現在)、日本心理臨床学会代議員(2013-現在)。主な著書に『臨床ナラティヴアプローチ』(ミネルヴァ書房)、『うつし 臨床の詩学』(みすず書房)、『物語としての面接』(新曜社)など。

クラスターでいろんな人たちが集まったときに、若者の考える器量を育てることについて、
どう考えますか?

森岡 若い人たちの器量を育てるには時間がかかりますよ。彼らの横のつながりへの意識は社会性というよりは、まだ仲間性が基本なのです。一旦自分に立ち返って、積極的な意味で閉じる。物事を考え、内省を深める時間が大学院でも用意できればいいのですが。
人間科学は世代継承という視点が要ります。すぐに役に立つスキル・即戦力にばかりに着目されがちだけれど、次世代へ繋いでいく人間科学をつくらないといけない。臨床実践の意味を次の世代が深めていくようにできればいい。

中村 クラスターを組織した大学院教育をさらに重視したいと思います。領域として強化したいのは産業や組織行動の領域です。それから、グローバルな視点での臨床や援助の領域です。例えば、以前には研究していた院生がいたのですが、戦争の後の少年兵の心のケアとかです。「国境を越える医師団」はチーム活動だし、コミュニティ心理学的支援をしています。「国境を越える心理職」にも学びたいです。

血の通った心理学っていりますよね、ともすれば、心理学って学問化すると、分析を中心としたも
のって、若干の冷たさも感じます。そういう意味では、森岡先生の大事にされている一人称の
カウンリング、私とあなたとっていうことが大事ですよね。

森岡 それが本来なんです。これまで人の心理を分割対象化して分析してきた部分があったんですが、生きた個人に私が関わっていて、動き、動かされている。コミュニケーション自体を活きた題材とする、こういった方法論が最近話題になっているんですよ。カウンセリングは会話を通して進めていく治療法なのですが、なぜ会話が人を癒すのか?臨床面接場面を録画して詳細を分析しても、掘りおこされたデータだけでは解明できないのです。そうじゃなくて、「空気感」「間」なんですよ。これは、録音しても記録には残らない。話す前の「間」がなければ、感情は伝わりにくい。「余白」や「陰影、シャドー」などもそうです。「シャドー」の広がりが多様性ということです。これは日本文化が洗練させてきたもので、この「間」が産み出す何かを突き詰めてみたいですね。