口西まり(旧姓:高柳)

2002年3月

口西まり(旧姓:高柳)

BNPパリバ香港 RISK ORC APAC Project Manager

あなたにとって、
「国際関係学部」はどんな存在ですか?
恥ずかしながら高校からの推薦入学だったため、普通の入試を勝ち抜いてきた同級生とは学力の差があるのだろうと負けないように一生懸命勉強しなくては、と必死でした。打ち解けるうちに、多彩なバックグラウンドで全く違う分野から推薦入学や帰国子女入学した同級生からの刺激もとても良かったです。
国際関係学部は手をあげればたくさんの機会に恵まれる非常に実りの多い環境でした。入学直後から留学生サポートの活動TISAに参加、JALスカラシップの受け入れで夏休みをアジアの学生たちと衣笠寮で過ごし意見交換することもでき、高校までの海外=欧米という思考からアジアにシフトできる基盤ができました。帰国子女ではない私がTOEICやTOEFLの講座にもお世話になり高得点を得たことから奨学金を頂くこともできました。2年生からは交換留学を利用し香港中文大学に留学したのですが、この1年で香港ではスターバックスを片手にスーツ姿にヒールでバリバリと強い女性のイメージが脳裏に焼きつき、こういう風になりたい、と朧げながら就職へのイメージができたようです。また元ドイツ大統領ワイツゼッカー氏との対談にも登壇させて頂き、その時言われた「あなたがやってみなさい」という言葉が非常に重く、その後の人生でも疑問に感じたことを自ら打開できるような思考を持つことができました。
あなたの「今」を国際関係学部で学んだことと
関連づけて語ってください。
多様性が問われる今、世界有数の金融都市香港で日本人としては唯一オペレーショナルリスクという仕事を担っております。日本人という枠組みを超えてフランス系投資銀行の香港支社で仕事ができるのも、これまでの経験からのものかと思っています。日本ではどうしても国際的=英語、外国=交流といった浅薄な 概念に偏る傾向にありますが、国際関係学部では本当の意味での国際的とはどうあるべきかということや、外国とどう接していくべきかという日本人に欠損している感覚が得られたと思っています。
それでも香港で初めて仕事をした時はなかなか香港人との仕事にうまくいかず悩んだこともありました。色々試行錯誤し「やってみる」ことで香港人との仕事のコツのようなものを得られたようです。現在はフランス系の会社にいるので新たに「フランス人との仕事のやり方」を習得しているところですが、国際関係学部で良かったのはやはり「多様な同級生」です。同級生には留学生はもちろんのこと、狂言師の友達やウェイトリフト全国1位の選手など勉強ができる友達だけではありませんでした。
現在の仕事でもイタリア人、香港人、フランス人とチームメートのバックグラウンドが全く違う中、それぞれの良さを活かしつつうまく仕事を進めるにはどうすればいいかと考えることができています。もし一律的な入試のみならこのような感覚は持てなかったと言えます。
あなたの「越境」体験を教えてください。
前職ではタイ、スリランカ、インド、香港、フランスなど国籍の異なる7名の部下がいましたが、全員が年上というなんともマネージしにくいチームでした。特にアジアでは日本と同じく年上を敬う文化があるので、試行錯誤でした。香港のビジネスのリスク管理を日本人が行うのですから、「なんで日本人なの?」とか現地のスタッフには納得のいかないことが多かったかと思います。
ある人は細かく言われることを嫌い、ある人はどうしても他のチームの香港人の反感を買うような言動をしてしまうなど、チームをまとめたり、仕事を進めたりすることに苦労しました。
女性はランチやコーヒーブレイク、男性はハッピーアワーに軽く一杯など、それぞれ違うスタイルでコミュニケーションをとったり、ミーティングの頻度も人によって変えてみたり、グループチャットを活用したりとともかく話し合うこと、伝えることに注力しました。仕事のストレスをぶつけられたり、愚痴をこぼされたりしたら、話をゆっくり聞くと共に、私はわざと日本語を多用するようにしていました。
「ARIGATO」はチームで普通に使われる用語となり、「縁の下の力持ち」という言葉を日本語のままプリントしてPCに貼り付ける部下が出るなど、いい意味でお互いに理解しようという雰囲気のあるとてもいいチームになったと自負しています。
週替わりでそれぞれの国の食事で飲み会をするようになったりと全く違う国籍の7名が楽しく仕事ができるようになったのは非常にいい経験でした。