中江 大樹

2014年

中江 大樹

株式会社ORCHUN CROWN 代表取締役

あなたにとって、
「国際関係学部」はどんな存在ですか?
私にとって国際関係学部は「学び方」を学んだ場所でした。少し矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、文字どおり「自分が何を学ぶべきか」という課題を探求し、「どのようにして学ぶのか」という技術や知識を研鑽することのできる場所だったと思います。
国際関係学という学問が扱う範囲は幅広く、政治経済や外交政策,安全保障といった時事的なテーマから、国際法や国際文学などの歴史的なテーマまでその範囲は広大で、また地域研究の対象は無限と言っても過言ではありません。総合的で広範にわたる学問だからこそ、自身の指針としての「学び方」を知っていないと、魚群探知機のない漁船で沖へ出ることとなり、思うような成果を得ることは難しいでしょう。そんな主体性が求められる環境だったからこそ、「自分が挑むべき課題」の探求に本気で向き合うことができたのだと思いますし、経験豊富な先生方に指南していただきながら「どのようにして」学ぶのかというスキルを磨くことができました。
また、実際に大学で学ぶ期間は4年間だけですが、「学び方」を修得することで卒業後も永続的に学び続けることが可能になります。現在、私はカンボジアでの商品企画や輸入販売などの事業を行っていますが、現地の生産者との協議や、その際に必要となるデータの収集などの技術は学部で学んだことが多いに役立っています。新たな課題に直面した際の「どうすればより建設的な対話ができるか」「どうすればより信憑性の高い資料になるか」という問いへのアプローチにも、それらを応用することで解決の糸口を探ることができます。今後もどのような課題に遭遇するか分かりませんが、大局的な視野を持って冷静に対応することができるのは、国際関係学部での学びがあったからだと思っています。
あなたの「今」を国際関係学部で学んだことと
関連づけて語ってください。
ある発展途上国では、3つのNGOが活動を行なっている。1つめは、コストは高くつくが住民のニーズに適った質の高い支援を提供しているNGO。2つめは、支援者らに納得してもらうためにも作業費用の削減を重んじるNGO。3つめは、時間や手間は余分にかかるが、支援終了後のことも見据え現地住民の技術研修や啓発活動に力を入れるNGO。――さて、あなたはどのNGOにもっとも共感しますか?
これは、ある講義の中で取り上げられた問いです。 もちろん正解はなく、どれを選んだら間違いということでもありませんし、実際にどのNGOも存在していると思います。国際協力(或いは国際関係論全般)に関わる活動は、マニュアルや公式に照らして行われるのではなく、臨機応変に最適解を策定していく必要があります。文化や慣習の異なる地域で他者と協同しながら行う活動は、殊に慎重さが求められるでしょう。実際に私も在学中、ボランティア活動としてカンボジアの地方の農村で衛生環境を改善するためのプロジェクトを行なっており、夏期休暇・春期休暇を中心に、年に数回現地を訪れていました。とは言え、学生主体の任意団体だったため専門家のサポートがあるわけでもなく、(いま考えてみれば無謀ですが)文字通り手探りの状態で活動を続けていました。そのため、自身の活動に活かすことができれば、と思い受講してみた国際協力論の講義で最初に投げかけられたのが冒頭の問いでした。
大学卒業後はカンボジアへ移り住み、衣類や雑貨の製造販売業を始めたのですが、案の定、日本では到底予測し得ないような問題の連続でした。また、ある程度クメール語(カンボジアの公用語)は習得していたので意思の疎通は図れているはずなのに、なぜか会話に食い違いが生じてしまうことも少なくありませんでした。現地の人々の想い(ニーズ)や気付きを引き出す実践的な対話手法を説明した『途上国の人々との話し方』*1 という著書がありますが、まさに「途上国の人々との話し方」は、言語を超えたある種の専門分野だと思うことがあります。このことは途上国で活動している方だと共感してもらえるのではないでしょうか。異なる文化やバックボーンを持つ者どうしが協同することは容易ではないということを身に沁みて感じる日々でした。
現在も、トライ・アンド・エラーを繰り返しながら、日本とカンボジアとの間で様々な課題に臨んでいます。常に環境は(日本にいるとなかなか気付かないが、途轍もないスピードで!)変化し続けているため毎日が未知との遭遇ですが、学部時代に培った多角的かつ複眼的な視野・思考を意識的に思い起こし、臨機応変に対応できるように努めています。
(*1 和田信明, 中田豊一 (2010)『途上国の人々との話し方 ―国際協力メタファシリテーションの手法―』 みずのわ出版 )
あなたの「越境」体験を教えてください。
“越境体験”と問われて思い浮かぶのは、カンボジアでの活動を始めて2年目のことでしょうか。先述の通り、私はボランティア団体の代表として年に数回カンボジアを訪れ、地方の農村で衛生環境を改善するためのプロジェクトを行なってきました。もう少し具体的に話すと、ある地域でコレラやチフス,赤痢などの下痢を伴う感染症が蔓延していたのですが、それらの感染症は主に経口感染であるため、石鹸を用いた手洗いを徹底することで予防できるのではないかと考え、「手洗い」に関する啓発活動を始めたのです。(農村部では排泄後の臀部を素手で拭くが、現金収入の少ない同村は手洗い石鹸の普及率が特に低く、水洗いで済ませる場合が多かった。)
当初は、村民の方々に寺院に集まっていただき、石鹸による手洗いの重要性を説いていたのですが、見知らぬ余所者の話しに耳を貸してくれる村民も少なく、思ったような成果を上げることはできませんでした。しかし、何度も同村を訪れ、民家に泊まり込み、約1000人の村民ひとりひとりと直接対話をして手洗いの重要性を説いて回ったところ、少しずつ協力してくださる方が現れ、2年が経つ頃には、村長や学校を含む村全体で「手洗い活動」に理解を示してもらえるようになりました。この頃には村内の感染症患者数を当初の13%にまで減少することに成功し、他の地域やNGOからも感謝の言葉をいただくことができました。この時、村民の方々と自分との間にあったすき間を越境できたように思います。また、潤沢な資金や高度な技術を持たない自分でも、こうして人の役に立つことができるのだと知り、自身のセルフイメージをも越境することができました。
現在、私は日本とカンボジアが(支援者・被支援者としてではなく)ビジネスパートナーとして協同できる仕組みづくりを目標に活動しています。先進国・途上国という枠を超え、互いの強みを生かして新たな価値(商品やサービス)を創り出すことで、互いの発展を支え合うことができると考えているからです。日本のものづくり(を通して培われてきた “ひとづくり“ )のノウハウを以って、カンボジアに「賃金の安さ」に代わる新たな武器をつくり、国際社会にその存在感を示してゆきたいと考えています。そのためにはまだまだ越えなければいけない壁は少なくありませんが、いままでの学びを糧に、越境に挑んでゆきたいと思います。