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立命館大学 国際関係学部 国際関係学部 校友会
 立命館大学国際関係学部 校友会 校友会業種別懇談会 #4「研究分野懇談会」
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校友会業種別懇談会 #4「研究分野懇談会」
     
   
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浅羽祐樹 さん
浅羽祐樹 さん
山口県立大学国際文化学部准教授
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井出文紀 さん
井出文紀 さん
近畿大学経営学部専任講師
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川村仁子 さん
川村仁子 さん
東洋大学法学部助教
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佐藤史郎 さん
佐藤史郎 さん
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中戸祐夫 さん
中戸祐夫 さん
立命館大学国際関係学部教授
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中根智子(さとこ) さん
中根智子 さん
龍谷大学国際文化学部講師
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 研究者を目指したきっかけは

浅羽:国際関係学部の卒業生の数ある進路の中で、研究者だけが博士課程まで進んで初めてなることができる職業と言えます。
まずは、大学院へ進学した理由、研究者を目指したきっかけをお聞かせください。

「もう少し研究を続けたい」という気持ちが始まり

川村:私は立命館大学の法学部出身です。4回生の時に、「もう少し研究を続けたい」という気持ちから大学院への進学を決めたものの、当時は「研究者を目指そう」と考えていたわけではありませんでした。研究者が身近な職業ではなかったこともあって、自分の将来の職業と研究者が結びつかなかったというのが実情です。

 最初は法学研究科に進もうと考えていましたが、指導教授だった大久保史郎先生から、「法学研究科は、司法試験や公務員試験を目指している人が多い。研究したいなら研究者を目指す人たちの中で、もまれたほうがいい」とアドバイスを受け、国際関係研究科の修士課程(正式名称は博士課程前期課程、以下同じ)に進学しました。大学院に入って指導教授などから「研究者になるんでしょ」といわれて初めて、「そういう道もあるんだ」と気づきました。研究者を真剣に志したのは、それからですね。

浅羽:いわゆる「入院」ですね。我々の業界用語でいうところの。

研究者というよりは実務家志望で大学院へ

中根:私は、修士課程までは立命館大学の産業社会学部、そして社会学研究科に在籍。国際関係研究科に来たのは、博士課程(正式名称は博士課程後期課程、以下同じ)からでした。私も川村さんと同じで、はっきり進路を決めてはいませんでした。インドの貧困層を研究しているので、いずれはNGOなどに入り、現場で実務家として働けたらいいなと漠然と考えていました。

 当時の指導教授だった松田博先生に相談したところ、私の研究分野なら国際関係研究科のほうが合っているのではないかといわれ、国際関係研究科の松下冽先生のゼミを勧められたというわけです。

イギリス留学中に学問のおもしろさに目覚めて

佐藤:僕も正直なところ、研究者になるなんて考えてもいませんでした。同志社大学の商学部にいた時、もう少し勉強を続けたいと思い、大学院へ進学しました。そのまま同志社大学の修士課程へ進むつもりでしたが、調べてみると、インターンシップで単位を取得できるなど、立命館大学の修士課程のカリキュラムがどこよりも充実していたんです。国連でインターンシップを経験したいと思っていた僕にとっては魅力的でした。また、安斎育郎先生が大好きで、ぜひ先生の指導を受けたいという気持ちも大きかったですね。

 修士課程1回生で、国連でインターンシップをした時、「アメリカの大学院へ留学して研究者になりたい」という友人に刺激され、留学したいという気持ちが芽生えました。そして、イギリスのブラッドフォード大学に留学。そこで初めて学問のおもしろさに目覚め、研究者になろうと決意しました。

「ドクターに進学したら就職はない」と腹をくくった

井出:私の出身学部も、中根さんと同じ産業社会学部です。学部時代、とりわけ1、2回生の頃は勉強というよりも遊んでいた記憶のほうが多いのですが、教職課程を取っていましたので、将来は民間企業に入るか教員になるか、どちらかだろうなと漠然と考えていました。3回生の時、「就職、どうするんだ?」と指導教授に尋ねられ、「迷っています」と答えたら、「大学院へ行く道もある」といわれたのが、今思えば転機でした。

 とはいえ、遊び過ぎたつけが回って、内部進学するには評定が足りませんでしたし、社会学研究科(産業社会学部に併設されている研究科)は募集枠が少ないうえに大学院の内容も私が学びたいテーマとは異なっていました。卒論でASEANについて研究していましたので、思い切って国際関係研究科へ進学しようと方向転換することにし、必死で一般入試の試験勉強をしました。途上国政治論的なアプローチで研究するか、あるいは経済学に近いアプローチかで迷ったあげく、途上国政治を研究する院生を幅広く指導しておられた松下冽先生に「拾って」いただきました。さらに修士論文を書いていくうちに、だんだん経済学に近くなっていき、修論を審査してくださった朝日稔先生から「ドクターに進学するならうちに来い」と誘っていただきました。進学を決意した時、「ドクターへ行ったらもう就職はないだろう」と腹をくくりました。どうなるかわからないけれど、行けるところまで行こうと。

修士課程を修了したら就職するつもりだった

中戸:僕も出身学部は、ニューヨークの田舎の大学でした。大学を卒業して外資系のPR会社で少し働いていました。職場で新聞記事の切り抜く仕事を担当していて、たまたま立命館大学国際関係研究科の募集広告を見つけたんです。資料を取り寄せてみると、立命館大学が日本で初めてアメリカの大学とDMDP(共同修士学位プログラム)を採用したと書かれてあって、国際関係研究科に関心をもちました。

 進学後は、DMDPでアメリカン大学に1年間留学しましたが、当時は皆さんと同様、僕も研究者になる気はまったくありませんでした。修士課程を修了したら、外資系企業にでも就職するつもりでしたね。

 
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