浅羽:大学教員として定職に就くのが難しいことは、深刻な課題です。博士課程を修了しても、その後何年も職に就けないこともあります。皆さんは、テニュアを取るまで、どう食いつないでいましたか。
非常勤講師やプロジェクトの手伝い、アルバイトで
川村:私が博士課程に進学する頃には、助手制度がなくなっていたので、在籍時には学部の基礎演習のチューターをしていました。一コマ3千円くらいでしたでしょうか。また、学内や科研のプロジェクトのRAを掛け持ちしていました。
佐藤:僕らの世代以降は、ポストドクター(PD)という制度ができ、研究費を得て研究を続けることができるようになりました。そうした制度のまだなかった井出さんの世代が、一番苦労されたかもしれませんね。
井出:今日集まった皆さんの中で、食えなかった時期が一番長かったのは、おそらく私でしょう。博士課程に在籍中は、助手として一定の収入を得られるうえ、奨学金も得ていたので何とか生活できましたが、「満退」と同時にほとんど収入はなくなりました。数コマの非常勤講師の口があれば良いほうで、それすらもない時期は、引っ越しセンター、国際関係学部の事務室、東山のライトアップイベントのスタッフなどさまざまなアルバイトで食いつないでいました。
中戸:僕が博士課程だった頃も、PD制度などはありませんでした。非常勤講師で生活をしていた頃は、毎月の収入が7万5千円。夏休みに塾で夏季講習の講師のアルバイトを集中的にして1年分の家賃を稼ぎ、7万5千円を生活費として暮らしていました。健康保険にも入っていませんでしたよ。その他、研究プロジェクトの手伝いなどで小遣いを得ていましたね。
浅羽:当時、先輩だった中戸さんの家に遊びに行ったことがあるんですが、窓ガラスが割れたままになっていて、冬でも風がピューピューと吹き込んでくるんです。どうして直さないんだろうと不思議でしたが、今思うと単にお金がなかったんですね。
中戸:それでも当時は、それを辛いとか、しんどいとはあまり感じませんでした。いつか何とかなると思っていたのでしょうね。実際には、なんとかならないケースもたくさんあるのですが。
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