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立命館大学 国際関係学部 国際関係学部 校友会
立命館大学国際関係学部 校友会 IR校友 友達の輪 毎月、国際関係学部の校友を友達の輪形式で紹介します。
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岩井 博史

  さん
IWAI Hiroshi
1999年(平成11年)3月卒 小木裕文ゼミ(東アジア研究) 京都府立山城高等学校出身
チェンマイ美人に囲まれて
Profile
岩井 博史(いわい ひろし)
国際関係学部卒業後、ダイハツ工業(株)に入社。7年間の勤務の間に、海外営業(ベトナム担当)、生産管理(インドネシア・マレーシア担当)、トヨタ生産管理部への出向を経験。その後、アビームコンサルティングに転職し自動車業界を担当した後、2007年1月に日野自動車(株)に入社。海外企画部に2年間在籍した後、2009年2月からタイ・バンコクに駐在。
(連絡先:Hiroshi_1_Iwai@yahoo.co.jp)

大学時代の思い出

1回生の1年間は高校時代の環境から一変したことで、自分が一体何をしたいのか分からなくなり、自分を探し続けたことを今でも鮮明に覚えています。

・英語のクラスでは、帰国子女で英語がぺらぺらな人ばかり。
・基礎演習では、深い知識とロジカルな説明で常に授業リードするコーディネーター役が何人もいる。
・授業はマクロ的な視点の政治・経済・文化論等抽象的な内容が多く、自分の腹になかなか落ちない。
・友人に目を向けても、豊かな発想でどんどん面白い企画を考え実行している人もいれば、既に何カ国も海外を経験している人もいれば、自分の道を外交官にセットして努力を始めている人さえいる。

まさにカルチャーショックの連続で次第に大学から足が遠ざかり、バイト、サークルなどに自分の居場所を見つけようともがいた1年間でした。

そんな僕を救ってくれたのは、"サロン"と呼ばれた国関の先輩のアパートでした。
そこでは、8畳一間に多い時には10人以上入り、男女関係なく、夜な夜な議論を繰り広げていました。話題はその時のメンバー次第。就職や恋愛論を中心に、授業の延長線的なことや、大学のあるべき姿に至るまで、今思うと青臭い持論を各々が展開していました。

何よりも良かったのはメンバーが固定ではなく、自由に友達が友達を連れて来る雰囲気だったこと。世界観が広がるのはもちろん、初対面にも関わらず深い話しをするから仲良くもなる。そうすると、当時はパルテノン神殿と呼ばれた校舎(正式名称忘れました)で、国関生同士否が応でも顔を合わせるから、大学に行っても友人が大勢いる状態となり、無事になんとか大学に戻ることができました。

そんなある日、世界報道写真展での私のコメントを読んだ先生が誉めて下さり、益々勉強に対するモチベーションが湧いたことがありました。それは、ベルリンの壁崩壊を撮った場面だったのですが、自由の喜びに沸き立ちお祭り気分で壁を壊す若者の傍らで、淡々と険しい顔で壁にハンマーを打ち込む人の姿が印象に残りました。それで、「歴史の光りの部分だけでなく、陰の部分にもしっかりと目を向ける必要がある」というような事を書いたと記憶していますが、それを読んだ先生が「岩井君コメント良かったよ。そういうことなんだよね」。それまで大学に入って誉められた事なんて無かったので、少しは成長できたのかなと嬉しく思いました。

これは1つの事例に過ぎませんが、おそらく国関で知らず知らずの間に、モノゴトを一面からではなく多面から見る力(=バランス感覚)を養っていたのではないかと思っています。今から考えますと、政治・経済・文化等多岐の分野に渡る授業を通して、様々な角度からの見方や考え方の癖付け、多様な考えの中での議論のしかたといった基礎的な力が4年間で得た財産だったのではないかという気がします。

当然学校の授業だけでなく、"サロン"や国際関係学研究会というサークルでの友人との議論や、意識的に経験を積もうとしてやった30種類以上のバイトや、中国、インド、タイへの放浪の旅といった一つ一つのチャレンジが自分を成長させてくれたことも事実です。

タイとカンボジアの国境(ポイペト)を越える日野トラクター
タイ北部からラオス・フェイサイへはオイルタンカーもメコン川を筏で渡る
10年5月バンコク騒乱中のとある出勤時の様子
中国南部の山々を抜ける高速道路

社会人になってから

現在、日野自動車のタイ販売代理店に出向中で、バンコクに駐在しています。
自動車会社の海外販売代理店というのは、その国の市場に対する販売の司令塔として、地場のディーラーさんと共に販売策を練ったり、故障した車両を修理するアフターサービスを担ったり、また現地の仕様に合致した商品を企画することが主な仕事になります。
バンコクに赴任して1年半が経過しましたが、その間大きく3つの仕事に携わっています。

 

1.トラックの商品企画

・タイ全土での商品調査を日本と共同で実施したり、月に1度は地方に出張し、ディーラーさんや顧客との会話を通じて商品に対する要望・不満を収集しています。トラックの物を運ぶという役割は永遠ですが、細かい部分で顧客の要望は年々進化していきます。それをいかに拾い上げ、いかに他社に先駆け且つ安価に導入できるかが勝負の分かれ目です。

・その好例が、現在タイで爆発的に売れている天然ガス(CNG)エンジンのトラックです。世界的にオイル価格上昇基調の中、タイ政府はCNGの普及をエネルギー政策の1つとして据えており、乗用車もトラックもバスも国中が猫も杓子もCNGという状態に入っています。リットルあたりのディーゼル価格が30バーツに対して、CNGは政府補助もあり8.5バーツ。物流業者にとっては日本に比べてドライバーの人件費が安い分、相対的に物流コスト比率が高くなる燃料代を如何に節約するかがポイントで、正にそこを突いた商品となりました。

・これは私の前任者が企画した商品ですが、他社に先駆けて商品を導入した好例となっています。私も次代のタイ市場を担う商品を導入することを夢見て、企画を練っているところです。

 

2. 需給管理(販売予測・在庫管理・車両発注業務等)

・前職のダイハツ、トヨタで徹底的に需給管理の仕事をしてきたので最も得意分野だと思っていましたが、見事に期待を裏切られ日々一番苦労しています。赴任して以降の1年半、常に販売予測に対して実際の受注が上回る状態が続いており、ディーラーさんからは挨拶のサワディーカップ(こんにちは)の代わりに、ストックノイ(在庫少ないよ)と言われる始末です。

・タイは国民の約4割が農業に従事している農業国であり、米・キャッサバ・サトウキビ等の生産・加工が盛んである一方、GDPの4割はPC部品、自動車完成車・部品等の工業製品や農業産品の輸出で成り立っている国です。

・トラック市場は経済の先行指標と言われており、工業品や農産品の生産量、物流量、また値動きがトラック販売に大きく影響します。従い、それらが数ヶ月先にどのように動くかを見極めて、販売を予測することが重要です。しかし、タイ経済はリーマンショックからすぐに立ち直り、その後はハイペースの右肩上がりの経済成長を続けており、良い意味で販売予測を裏切り続けられています。

しかし、今年の5月にバンコクで騒乱が起き、多数の死傷者が出たことは記憶に新しいところで、さすがにタイ経済も減速は必至という論調が一般的になりました。観光産業は大打撃を受けるだろうし、世界からの投資や農産品輸出の減少も避けられないとの見方です。

確かに、アパートから100m程度しか離れていない銀行や放送局は爆破され、会社に向かう道はビルとタイヤが燃えた黒煙が充満していました。また、窓に近づくと狙撃兵に撃たれるので絶対近づかない事との大使館からのお触れが出たりと一時は戦場かと思うような有様で、経済全体への打撃も已む無しという気分にもなりました。

しかし、ディーラーやお客さんと会話をしても、農業・工業関連の輸出ビジネスは一向に衰えていません。寧ろ騒乱前より好調な状況が続いているくらいです。現地現物で掴んだ情報を信じ、今後も在庫を積み増すという強気の姿勢を貫いています。依然政情に不安が残る中当然リスクは抱えていますが、これが当たれば今までいすゞに負けていたタイトラック市場で、トップシェアが取れるチャンスと期待を抱いています。

 

3.GMS(Great Mekon Sub-region)に関する情報収集

GMSとは中国南部からインドシナ半島一帯に広がる経済圏のことで、メコン川に沿っていることからこの名が付けられています。GMSの進展によって地域の物流導線が今後どのように変わり、それに適した商品・サービス体制をいかに構築するかを検討すべく、データ収集・現地調査に勤しんでいます。

昨年12月には、タイ北部のチェンライからラオス・フェイサイに船で渡り、その後2泊3日かけて、南北アジアンハイウェイを中国の昆明まで車で縦断しました。一番の収穫は中国の持つ国力を肌で感じたことです。

中国南部からラオスにかけては深い山が連なっている為、ラオスでは険しい山道を酔いそうになりながら走行するしかありませんでしたが、中国の国境を跨いた瞬間に景色が変わりました。立派な高速道路がどーんと向こうの方まで貫通していました。でも険しい山々が聳え立っている事には変わりがありません。では、どうやって高速道路を作っているかというと、険しい山にはトンネルを掘り、川や谷には橋をかけ、ほぼ一直線に高速道路を整備していました。13億人が持つ官民一体の国力に凄まじいエネルギーを感じると共に、今後のGMS進展のポイントは中国の影響力をどこまで読むかにかかっていると確信しました。

その他時間を見つけては、何箇所かあるタイ-ラオスとの国境やインド・中東輸出の玄関口を期待されているタイ南西部の港に出張したり、長期休暇は日本に帰国せずにミャンマーに行ったり、陸路でのカンボジア旅行を楽しんだりと、公私を越えたところでGMS現地調査がライフワークとなりつつあります。

 

将来の夢

今年で社会人11年目に突入しましたが、その間に所属する組織は様々な理由で5回も変わってきました。しかし、「アジア」「自動車」「サプライチェーン」の分野で一貫して実務を経験し知識を増やすことができ、逆に様々な組織で蓄えた経験が大きな強みとなっています。今後暫くはこの世界で幅を広げしっかりと実績を積み、業界に岩井ありと言われるくらいまで活躍したく思っています。

一方で長期的に考えた場合、大風呂敷を広げますと、ASEANが共同体の実現に向けて動いている中、ASEANと日本を経済の分野でより密接に結び付けるリーダーになりたいと思っています。

一介のサラリーマンがそんな無茶な夢を考えるのは、タイに駐在し様々な情報に触れる中で、ASEANでの日本のプレゼンスが相対的に低下しているのでは感じている為です。

例えば、中国の直接投資の飛躍的な増加、ASEANとインドやアフリカ等新興国との貿易の活発化、また世界がミャンマーへの参入の機会を虎視眈々と伺う中、中韓・欧米勢に対して一歩も二歩も遅れていることです。

そのフィールドが政治なのか経済なのか、企画系なのか現場系なのかまだ分かりませんが、焦る事なく目下の仕事に全力で取り組む一方で、怠ることなくまずは将来を見据えたロードマップを描き上げたく思っています。

 

校友へのメッセージ

こんな事を言うと怒られそうですが、世間での国関の評価はもっと高くても良いのではと思っています。それだけの学びの場と人材が揃っていると確信しています。立命で言うと政策科学部が先行している感があり、広い世界では慶応のSFCなんか有名で、新聞や雑誌なんかでそれら特集記事を目にすると正直悔しく感じます(笑)。

また、私は大学卒業以来タイに来るまでの約10年は立命館のキャリアアドバイザーに登録し、年に数回就職活動中の学生にいろいろと話しをして来ました。国関卒業生はいろんな分野・業界で活躍されている方も多いと思いますが、アドバイザーが少なく寂しく感じていました。

創部20年あまりとまだまだ若い学部ですが、皆様の活躍の場はグローバルにまた多種多様な分野に広がっていると思いますので、今後もネットワークを築き協力しながら、共に各々の青臭い理想を現実に変えていければどんなに面白いだろうと思っています。

 

在校生・受験生へのメッセージ

自分自身まだまだ成長途上なので偉そうなことは言えませんが、国関は様々なきっかけを与えてくれる場であり、無限の可能性を追求できる場と言えます。4年間という限られた時間の中ですが、最大限に国関を活用すれば、自分のインフラが作れるように思います。一歩離れた今感じることは、多感な年代にじっくり時間を与えて、思う存分やりたいことを提供してくれる場ってそう多くはありませんが、国関にはカリキュラム、教授、友人等と宝の山が転がっているという事です。チャンスを掴むも、逃すも自分次第です。

私自身、社会人になってからも松下政経塾のアジアワークショップに参加したり、様々な異業種交流会に参加したりして来ました。

特に、2年ほど前ですが、開発協力について無性にまた勉強したくなり、3ヶ月ほどFASIDという機関で改めて勉強する機会を得ました。これは面白かったです。私みたいな民間企業勤務者もいれば、官僚、国際NGO、会計士等々メンバーが個性的で、各々の見地からあるテーマに関して意見を述べ合うから議論が広がっていきます。幾つもの新しい発見、視点を養うことができました。

でも、そんな中でもしっかりと堂々と渡り合える自分がいました。その時思ったのは大学で基礎を築けたからこそ、こういう場でも自信を持って自分の意見を発し、認めてもらうことができるのではないかという事でした。

バンコクにはあと2年程度は駐在しているのではないかと思うので、もしこちらに来る機会があれば、是非ご連絡下さい。シンハービールでも一緒に飲みましょう。国関について更に熱く語らせて頂きます(笑)。

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