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立命館大学 国際関係学部 国際関係学部 校友会
立命館大学国際関係学部 校友会 IR校友 友達の輪 毎月、国際関係学部の校友を友達の輪形式で紹介します。
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服部 和昭

  さん
HATTORI Kazuaki
1997年(平成9年)3月卒 モンテカセムゼミ 京都私立東山高校出身
シンガポールのオフィスにて
Profile
服部 和昭(はっとりかずあき)
国際関係学部卒業後、大日本スクリーン製造株式会社に入社。入社後すぐに東京営業所にてシャドーマスク/アパチャーグリル(ブラウン管テレビの部品)の営業部署へ配属。国内/海外のお客を担当し、アメリカ/シンガポール/上海とのやりとりを経験。入社8年目の2004年にブラウン管ビジネスの縮小と共に京都本社へ異動し、半導体海外営業部に転属される。本社勤務1年目は台湾担当、2年目はシンガポール/ヨーロッパを担当。入社10年目の2006年10月から現在に至るまで、シンガポールに駐在し、シンガポール/マレーシアの半導体のお客様全般を担当し、営業という肩書ながらいろんな雑務をこなしている。
 
大学での写真

大学時代の思い出

予備校時代に読んだ落合信彦の「狼たちへの伝言」を読み感銘を受ける。
これからは国際社会で活躍せねばと思い国際関係学部を第一志望として受験し、この学部だけ合格。当時は真剣に考えたつもりでも今思えば単純な動機でしたね。

正直、高校までは特に部活もせず人ともまれることもあまりなく、受験勉強だけしてきましたので、大学入学後、自分は何もできない人間なんだなぁと自信喪失の連続でした。

まず、ずっと男子校だったので、半数が女性というこの学部が最初に驚きでした。 女性と自然に話すことができないオタク系だったため、この雰囲気に慣れることができるか心配でした。でもみんなフレンドリーですぐに慣れましたね。入学して1週間で今までの人生で話しをした女性の数を抜いたと思います(笑)

一番困ったのは、人と議論をするということがまったくできなかったことですね。
それは基礎演習というような授業に限らず、休み時間や授業後に食堂などでみんなと話しをする時も同じでした。今まで自分の意見を持って、人と議論をするというようなことをしなかったので、どうやって良いかがわからなかったのです。
いろいろな経歴を持っている日本人や留学生が自分はこう思う、と議論をしている姿に圧倒され、人の意見を聞いているだけで自分は何も議論ができないと情けない日々でした。
半年くらいたったある日、先輩にどうやったら人と議論ができるようになるのか尋ねた時に「俺も最初は自分の意見なんかなかったよ。何もないところで自分の意見を持つなんて無理だから、とりあえず本を読んでその筆者の意見を自分の意見として思ってしまうのも一つの方法だと思うよ。」と言われそれからスタートすることにしました。本を読み、その意見を真似、人に対して「本の受け売りだけど、俺はこう思う」と口に出すことから始めました。そういう習慣を重ねるうちに、人と議論をするということがなんとなくできるようになりました。

入試でも英語の偏差値の低さを国語と日本史でなんとか補っていたのでみんなが英語で流暢に議論をしているという状態は本当に場違いなところにきたなと思いました。それでもいろいろ言い訳をしながらあまり英語は勉強しませんでした。その後、海外に駐在するということなど全く想定していませんでしたので。

おぼろげながら政治の世界も目指していたので、某政治家の事務所の政治勉強会に参加したりして徐々に活動範囲/人脈範囲の幅を広げていきました。

徐々に大学内/外で勉強や議論をして知識を増やしていきつつも、京都から出たことがない自分が本当に世界のことを知っているのか、そのような勉強に意味があるのか疑問に感じてきました。そんな中一念発起し、大学二回生の時初めてパスポートを作り一人で中国へ1ヶ月間バックパッカーとして旅行に行きました。
英語もちゃんと話せず、第二外国語で習った中国語と筆談で行き先も決めずいろんなところに体当たりでいきました。最初は食事になれず、体重も落ちましたが、困っている私を見て助けてくれる中国人に助けられ、毎日が新鮮でした。本で勉強することも大事だが、いろんなものを実際に自分で見て、経験することがどれほど意義のあることかと気がつきました。本で10の国のことを知るよりも1つの国で実際に生活し経験した知識のほうがもっと深く本当に知っていることになる、つまり経験に裏打ちされた知識のほうが本当に知っていることになり、それこそが今の僕に必要なことなんだと認識しました。(もちろん今考えると旅行で得られる経験と実際に住んでみて得られる経験ではまた種類が違うのですが)。
また、旅行中はドミトリー(相部屋)で泊まったのですが、そこにくる世界中の旅行者とは当然英語でのコミュニケーションになるのですが英語ができずうまく意思疎通できませんでした。そのもどかしさで次の旅行の時までには英語を勉強して世界中の人と話せるようになっておこうと英語の勉強のモチベーションを上げていました。その後ロシア、タイ、インド等を旅行しましたが、度胸とスラング英語は身に付き、それらの小さな達成感の積み重ねが自分の自信になっていきました。

一方で日本のことをもっと知らないと、と思い単位交換制度を使い、短大にいき裏千家茶道の講座も2年受けました。大学卒業後も東京で茶道を続け趣味の一つとなっています。
今もあるかは知りませんが、京都らしい非常に有意義なシステムですね。

ゼミでは新しく作られたモンテカセムゼミに入り、今までリーダーのようなまとめ役をやったことがなかったので、ゼミ長にチャレンジしました。リーダーや組織についていろいろ語るよりも、実際にリーダーをやってみたほうが勉強できることが多いと思ったからでした。

私がリーダーになれていないせいで、先生や他のみんなには迷惑をかけたと思いますが、失敗して元々と開き直り、個性豊かな人間の意見をまとめ、なんとか2年間こなすことができました。正直、今思うともっといろいろできたなと思うことばかりですが、まぁ当時の自分としてはあれが精一杯だったのかなと思います。

大学では今まで経験したことをいろいろ経験し、失敗し、間違いなく現在の自分のもとになっていると言えます。


中国へバックパッカーとして旅行

社会人になってから

半導体装置の営業をしておりますが、現在、半導体は日本よりも台湾、韓国をはじめとするアジア、アメリカ等への投資がさかんで、それらの国との取引無しには考えられません。シンガポールも新規工場が建設され、投資が依然さかんです。

最初こっちにくるまではイメージできなかったのですが、この淡路島程の島で半導体工場が10社以上あります。半導体業界は寡占化、グループ化がめまぐるしく進んでおり、シンガポールでの評判がすぐにアメリカやヨーロッパに飛び火し、アメリカでの商談に影響するというような事態になっております。24時間工場は動いており、装置販売後のサポートも次期商談の重要なファクターになっており、気を抜けません。 アジアの一前線にて次期商談へのアンテナを敏感に立て、本社へ連絡を取りながら、シンガポールでの顧客満足度をあげるべく現地ローカル営業/技術と毎日奮闘しています。 シンガポールの現法という小さい組織ながら一部署を任せてもらっており貴重な経験をさせてもらっています。

さて、日本ではまだまだシンガポールのことを下にみている方が多くいらっしゃるように感じます。しかし、もう日本よりもシンガポールの方が総合的にみて上だと思う必要があるのではないでしょうか。そうしないと日本が益々駄目になっていくと思います。
この4年間でこれほど劇的に変わった国は世界でもそれほどないと思います。
2010年のGDP成長率は15%とのことで、現在、当社も採用活動をしていますが、なかなか人が集まりません。日本とはえらい違いですね。
シンガポール株式会社と言われる小さな国だからできるかもしれませんが、全てのこと、ものが合理的、効率的です。国が掲げた目標/正義(それに賛成するかどうかは別問題ですが)1本線がびしっと通っている気がします。
大阪の橋本知事が見学にきたチャンギ空港やカジノだけでなくもっと学ぶものが多くあります。日曜日も普通に通関していますし、港も船が入港に順番待ちをするくらい海にあふれており世界のハブ港としての存在感をどんどん増しています。
政府もどんどん民間人の意見を取り入れ、良いと判断したことは即法令を変更して対応します。国一体となって良い国になろうというエネルギーをひしひしと感じます。
もちろん影の部分もあって礼讃ばかりするつもりはないですが、それを補って今日本(私を含めて)が勉強するべきことが多々あると思います。
シンガポールの首相が「シンガポールの政策に気に入らなければシンガポールから出て行ってもらっても結構。」と言いきっています。それでも海外からの投資、人がどんどん集めてくる(集まってくる)パワーがすごいです。その変化の速さについていけないことが多々ありますが(笑)

蛇足ですが、合理的といえば出産もそうです。
我が家は1人目は京都でふつうの出産でした。2人目はシンガポールのローカル病院で出産しました。
出産予定日が近づいたころお医者さんから「じゃ、今度の金曜日空いてる?今度の金曜日に産もうか。」と言われ、金曜日に行くと分娩室に通され、看護婦さんから「お医者さんが10時にくるから10時から産もうね」と麻酔され人口破水し、お医者さんがきたと同時に「さぁ、産もうか」出産開始。あっという間に出産完了でした。お医者さんの都合で出産時間がきまるのかと驚いたものです。
帝王切開ではなく無痛分娩というもので、日本では自然分娩と区別されあまりやられていないそうですが、長時間陣痛で苦しむことがないので母体の体力消耗を抑えられるというメリットがあるようです。
シンガポールの女性に日本の出産の話しをすると信じられないとみんな言います。
無痛分娩だと母体への体力消耗、お医者さんの時間確保、病院の事前スペース確保などのメリットがあります。もちろんデメリットもあり、自然分娩にももちろんメリットもありますが、無痛分娩のメリットを合理的と考え選択しているのはシンガポール人らしいなと思います。

シンガポールから日本をみていて思うのが、政治も経済も会社もみんなで足をひっぱりあっているなぁという気がします。こうあるべきだ、失言を謝れ、など、みんなで足を引っ張り合って、結局、日本はどの方向に向かっているのか全くわかりません。
たちの悪いことに、みんな自分のことを正しいことと思ってやっていて、人の足を引っ張っているだけというのがわかっていません。
もうアジアの国は日本のカルチャーや食事にだけ興味はあるがそれ以外は興味無しという方向になっていることに気がつく必要があると思います。なぜこれほど総理大臣が交代するのかシンガポール人にいつも聞かれるのですが、みんなを納得させることはできません。

会社でも学ぶべきことはたくさんあります。アジア人は欲に限界が無いですね(失礼な言い方かもしれませんが)。よく会社で目標管理というのをやっていて当社もボーナス/給料査定のためにやっています。日本人の場合は自分のことをそれほど高く点数つけることはないですが、シンガポール人は間違いなくほぼ満点をつけてきます(笑)。
どれだけ失敗していてもそれを認めず、良いところだけ報告します。そのため私は部下に悪いことを先に報告しろといつもいっています。また、言いたいことは上司に全部言います。日本のように愚痴を居酒屋で言うということはあまりないですね。
あまり働かないかというとそうではなく、バリバリ働きます。でもちゃんと定時には帰って家族とご飯を食べます。有給は100%使い切ります。(シンガポールでは共働きが主流で、その代わりにメイドさんを雇っている家族が多いです。ちなみにアジアから日本は休日、ゴールデンウィーク、夏休みがあり、非常に休みが多いと思われているのですが有給はあまり使えず実際はそうでもなく、日本人は損していますね)
仕事も家庭もちゃん両立させ、休みも取り、かつ給料アップも要求するのがこちらではノーマルです。最初は日本人とのマインドの違いになれませんでしたが、日本でも今後はこのようなマインドがないと世界ではいきていけないのではないかと最近は思っています。

時には喧嘩しますが、翌日にはけろっとして普通に仕事します。そのようなオープンなところや貪欲なところをこれからも吸収して将来に生かしたいですね。

 

将来の夢

70歳くらいになっても一人でアジアの国で頑張って仕事して、週末ゴルフを楽しめるくらいタフな人間になることですね。

シンガポールにきてゴルフを始めたのですが、おかげで今まで交流のなかった年代や業界の方と知り合う機会を持つことができました。(こちらではメンバーになるとゴルフをするのが一回1500円ですので、日本とは全然環境が違います)
今までは交流が広いと言っても、やはり社内であったり仕事繋がりでした。
いろんな会社から駐在でこられている方もいますが、会社をやめてこちらで働いている方も大勢います。そんな中老後60歳、70歳になっても一人で会社を経営され、毎週のゴルフを楽しんでらっしゃる方がいらっしゃいます。
私は駐在できているので会社から給料が払われる恵まれた立場ですが、一人で異国でビジネスをするというタフさはまだもっていません。
会社で守られているのと、一人で異国の地で頑張っているのでは全然違います。
でもみなさんそのような大変さはみじんもせず、毎日明るく豪快にすごされています。

家内とも老後はどこに住もうかと最近相談し始めました。どこの国で住もうか考えると楽しいですね。

 
度胸とスラング英語が身に付いたインド旅行

校友へのメッセージ

シンガポールの立命OB会に今年から参加させてもらいましたが、ここシンガポールでも国関卒の先輩、後輩が頑張っていることが判りました。国関卒の先輩とシンガポールの居酒屋で酒を飲みながら「尖閣諸島の日本の対応について」を議論することになるとは、学生時代想像すらしていませんでしたが、それも国関卒ならでは?ですね。
インドネシアで頑張っているゼミの同期生もいます。
卒業生が他に比べて少ないにも関わらず、日本や世界で校友の方が頑張っているのを知ると自分も学部の名前に恥じないように頑張らないと、と思います。

先日マレーシアのジョホールバルでシンガポール在住の関関同立OBゴルフコンペが行われました。立命館は過去4回連続最下位だったようですが、今回私も初めて参加させて頂き(国関からは二人後輩も参加)、なんとか立命館は3位と最下位を免れました。

 

在校生・受験生へのメッセージ

先日、日本のテレビ番組で若者が海外で働きたくなくなっているという傾向にあるという特集がありました。それは非常に勿体ないことで、もしそのようなチャンスがあればぜひ海外にでることをお勧めします。もちろんそのチャンスをつかむためには論理的なものの考え方や人とのコミュニケーションや英語等学ぶべきことや準備すべきことはたくさんあり、国際関係学部はそれらを学べるよい場所であると確信します。

もちろん自分が何を必要としているのかを分析した上でそれを貪欲に吸収していくことが大切ですので、仲間と話しをして本を読み自分をしっかりみつめ、目標に向かって頑張ってください。

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