ゴ−ルド・コ−ストのメイン・ビ−チ


ノザワ家三回目の滞豪生活(1996年8月1〜25日)

0.まずは出発


搭乗したカンタス航空

猛暑の日本から脱出するがごとく、ノザワ家は平成8年7月31日夜の名古屋発のカンタス便にて三度目の渡豪をした。筆者は、東京都八王子市での学会出張が30〜31日とあり、12時42分発の新幹線で浜松乗り換えて豊橋に戻り、自宅に15時15分頃に着き、タクシ−で15時30分に出て、14時10分豊橋駅前発のエアポ−ト・バスで名古屋空港へと向かういう小生にとっては大変な強行スケジュ−ルであった。目的地は、やはりお気に入りのゴ−ルド・コ−ストである。

1.到着後と滞在先


予定通りのスケジュ−ルにて到着し、予約してあったレンタカ−をブリスベン国際空港で借り、滞在先のランナウエイ・ベイ(Runaway Bay)にある滞在先のユニットに8月1日午前10過ぎに到着。よくよく回りを見てみると、何と年末年始に滞在した時のユニット群の隣であった。荷をほどき、少し休んでから早速食料品などの買い物に近くのランナウエイ・ベイ・ショッピング・センタ−へ出かけた。夕方にはお土産を配りながら、友人宅に預けてあった荷物を引き取り、ユニットに戻った。日本と違って、オ−ストラリアは冬であるから、当然冬支度が必要であるが、ゴ−ルドコ−ストは亜熱帯気候でそれほど寒くない。しかし、出発前の友人から情報では、朝夕3度まで下がったと聞いていたので、半そでシャツや半ズボンなどをほとんど持ってこなかった。ところがいざ着いてみると、ほとんど連日快晴で、6〜23度と朝夕少し冷え込むものの快適な温度であり、日中は日差しが強い。なんとも着るもの少なさに困ったが、洗濯をまめにすることと多少の衣料の購入で対処した。

3階のユニットから見た夕方の景色

2.第一週目前半(8/1〜8/4)


歓迎してくれた友人家族たち数組と食事をしたり、週末と重なったこともあり、魚釣りとバ−ベキュ−を兼ねて出かけたりした。最初に食事をしたレストランは、以前滞在していたロビ−ナ地区のレイクビュ−・プラザにある酒類は持ち込みのBYO(Bring Your Own)の中華レストラン「雅苑(Robina Garden)」であった。上海ヌ−ドル、カレ−味チキン、春巻き、中国野菜、エビと貝の炒めものなど、友人が近くで購入し持参したワインを味わいながら友人家族と一緒に楽しんだ。魚釣りとバ−ベキュ−に出かけたのは別の友人家族とであるが、ニュ−・サウス・ウエ−ルズ州とクイ−ンズランド州の境にあるキャプテン・クックが上陸したポイント・オブ・ノ−ス(Point of North)であった。しばらく粘ってみたが、残念ながら獲物はなく、バ−ベキュ−主体のドライブになってしまったが、西瓜割りをしたりして、子供たちも大喜びだったようである。

妻は3日目、友人女性たち数人と韓国レストランのロイヤル・ダイヤモンド(Royal Diamond)で炭焼き焼き肉を堪能した後、カラオケといった夜を楽しんだ。カラオケはオアシス・ショッピング・センタ−隣のナイコン・プラザにある日本人が経営するカラオケ・スナック「貴公子」で楽しんだ。また、息子は藤国際幼稚園時代から仲良しの友達の家に泊まりにいった。筆者は依頼原稿の作成とアトランタ・オリンピックのマラソンなどの番組を見て一人寂しく(?)も時間を有効に過ごした。

<エピソ−ド1>


滞在先近くのショッピング・センタ−内で買い物をした後、息子が喉が渇いたということで、Food Courtというファ−スト・フ−ドの食事や休憩ができる場所で、飲み物を飲んでいたら、隣のオ−ジ−のお婆さんが食べていたド−ナッツの一つを息子にあげようかと言ってきた。それほどおしゃれをしていたわけでもなかったので、難民家族に見られたのかも知れない。(^-^;) 捨てるのももったいないし、ちょうどいたアジア系の人にあげりゃいいかなと思ったのであろう。もちろん、親子共々お腹がすいていなかったし、いただこうという気持ちもなく、「No, thank you.」とお断りした次第である。

3.第一週目後半(8/5〜8/8)


当初は快晴の天気であったが、次第に曇り空となり、やや肌寒さを感じるようになった。しかし、軽いジャケットなどがあれば、どこへ出かけるにも問題はなかった。息子が以前通っていた幼稚園の隣にスイミング・スク−ルのロビ−ナ・アクアテック・センタ−(Robina Aquatic Centre)があるが、息子は2週間だけ週3回通うことにした。1回のレッスンがわずか30分であるが、$8(約\650)であり、楽しくレッスンを受けた。妻も筆者も、友人との交流が中心であったが、コンピュ−タの環境整備のシェイプアップ等を手伝ったりした。都合の良い友人夫婦と昼食を一緒にしたが、彼等が飲茶が好きであるということで、再び中華レストランへ出かけた。飲茶を楽しめる所は結構あるが、我々が行ったのはゴ−ルド−コ−スト・ハイウエイ沿いのマ−メイドビ−チにあるマンダリン・コ−ト(Mandarine Court)であった。ここはサ−ファ−ズ・パラダイスなどの繁華街から離れているし、値段も少し安いし、とても美味しいのでお奨めである。

息子が通った水泳スク−ル(以前通園していた藤国際幼稚園の隣りにある)

4.第二週目前半(8/9〜8/11)


天候は回復し、わりあい暖かく日々が続いた。息子は夕方からこちらの友達の家へ遊びに行ったり、再びある家庭に宿泊したり、滞在先のユニットに遊びに来てもらって、一緒にテレビ・ゲ−ムをしたりと楽しい一時を過ごした。また、週末には再び小生の友人が魚釣りに誘ってくれたので、午前中はコンピュ−タのインタ−ネット接続関を手伝い、昼食を彼の奥様と一緒にサ−ファ−ズにあるゴ−ルデン・フォ−チュン(ラマダ・ホテルの南でハンラン通り側の2階)で飲茶を食べた後、勇んで出かけた。前回の獲物なしという経験から、その友人が行く度に鯵などが取れるし、是非息子に釣れるところを見せてやりたいということで釣場として人気の高いシ−ワ−ルド北のザ・スピッツ(The Spit)岬の桟橋へ向かった。ちょうどこれから満ち潮になっていく時がよいという時間に行ったので、100人以上の釣り愛好家が押し寄せていた。2時間半ほど頑張ってみたが、残念ながら何も釣れずじまいであった。その場の釣り愛好家たちもほとんど釣れていないようであり、その時は潮の状態が悪かったのかも知れない。何とついていない魚釣り挑戦であったことか。しかし、久しぶりに魚釣りを楽しめた。息子もまた行きたいと言っていたので、獲物なしとはいえ、よい思い出になったのであろう。

妻達は様々なカジノが楽しめるジュピタ−ズ・カジノ(Jupitor's Casino)へ行き、キノ(Keno)を中心に楽しんだようであるが、勝ちには恵まれなかったようであった。まあ、少額の遊技費で時間を潰せたならよしとするべきであろう。どこかのオ−ジ−お婆さんがジャックポット(Jackpot)を当てて、65,000ドル(約600万円)を当てたそうである。夕方6時頃に合流し、夕食を「どんと札幌」にて、寿司など日本食を味わった。日本で問題となっていたO-157の問題がこちらではないので、安心して生ものを食べられた訳である。

<エピソ−ド2>


わが息子はどういうわけかマグロが大変お気にいり。1階が日本料理、2階が韓国料理のレストラン「どんと札幌」での夕食の時、注文品目を思案していると、「ぼくはマグロだよ。」と主張。「仕方ないな。それじゃマグロだけの握り寿司を注文してあげるよ。」と言うと大喜び。「値段も張ることだし、まあ5つくらい握ってもらっていいか」と注文した。食べやすいようにと半分に庖丁を入れてくれた寿司が到着するや否やあっという間にパクパクと食べてしまった。「もっと食べたい。」という要望に小生が頭を痛めていると、息子は寿司人職人に勝手に注文をしてしまったが、そこは商売人、うまく鉄火巻をサ−ビスに作ってくれて、何とかその場はしのげたのである。2日後、マリナ−ズ・ミラ−ジュ(Mariner's Mirage)の中の魚屋さん(Seafood Market)に行って、マグロを入手し、その夜マグロ寿司を作って賞味させ、満足させた次第である。その時のマグロは大変良質で値段も安く、500gほど買ったが、約18ドル(\1,500)であった。日本に比べて格安の値段である。

第二週目の日曜日の午前中は、飛び入りで、政府公認の日本語補習校ではないが、ゴ−ルドコ−ストにある日本語学校の小川スク−ルの運動会に参加した。付き合いのある在豪日本人友人家族に誘われたからである。8時25分集合ということで、妻は早起きしてお昼の弁当を作り、家族揃って出かけた。1年ぶりに会った知人との会話を楽しんだり、息子が運動会そのものを十二分に楽しんだことは言うまでもないが、小生も久しぶりに童心に帰り、いろいろな種目に参加し、楽しませてもらった。おかげで(?)翌日に筋肉痛に悩まされたので、改めて運動不足を再認識させられた。

久しぶりにリレ−競技にてハッスルする筆者

その日の午後は、息子とその友達二人を連れて、サウスポ−ト・ボウリング場(Southport Bowling Centre)へ出かけ、ガ−タ−なしのボウリングをして楽しんだ後、友人宅にてしばらくおしゃべりを楽しんだ。

5.第二週目後半(8/12-8/15)


火曜日には妻は親しい女性達をユニットに呼び、昼食を食べながら、おしゃべりを楽しんだ。一方、小生は友人の一人に誘われ、サンクチュアリ−・コ−プ・ゴルフ・クラブ(Sanctuary Cove Golf Club)の会員コ−スのザ・パインズ(The Pines)でゴルフをした。友人が会員であるので、ビジタ−としての利用料金は55ドル+カ−ト代10ドルで計65ドル(約5,460)で あるが、一流ゴルフクラブであるのでやや高めとはいえ、日本での1/3の料金でとても安いと言える。アウトはまあまあの成績であったが、インに入ると日曜日の運動会疲れが出たのかどうかは分からないが(^-^;)、メタメタのスコアになってしまった。スコアが悪かったので、クラブハウスのラウンジで友人にビ−ルをおごる羽目になってしまったが、久しぶりに一流のゴルフ・コ−スでプレイを楽しませてもらったので、致し方ないサ−ビスであろう。

水曜日はブリスベン・デイとかで、学校がお休みだったので、息子のベスト・フレンドが前夜から泊まりにきた。午前中は滞在先のユニットから車で15分くらいで行けるサンクチュアリ−・コ−プへ出かけ、ショッピング街を散策した。

サンクチュアリ−・コ−ブの一風景

その後、ランナウエイ・ベイ・ショッピング・センタ−のフ−ド・コ−トへ立ち寄り、昼食を済ませ、ユニットに戻った。その後、子供たちは共同利用のプ−ルの割合大きめの暖かい水の入っているジャグジ−・バスで1時間近く、水遊びを楽しんだ。初春とはいえ、外気温は24度もあり、日差しの強い快晴の天気だったので、泳げてしまうのである。夜は妻の友人の韓国人カップルと約半年ぶりに再会し、再び「どんと札幌」で食事をしながらおしゃべりを楽しんだ。

翌日は、午前中は食料品のショッピングをしながらオ−ストラリア産のお土産を探し回ったり、サウスポ−ト(Southport)にあるアウトレットのお店で洋服を購入したりした。オ−ストラリアから日本に持ち帰るお土産は特別これがベストであるというものは残念ながらないと言っていい。午後は息子を水泳教室に連れていきながら、隣接する友人宅のコンピュ−タ環境の整備を手伝った。そこからユニットに戻る途中に日本食料品店のサンマ−トで少し買い物をした。

<エピソ−ド3>


日本食料品店で入手した無料月刊新聞日豪プレス8月号を読んでいたら、その中にあったある投稿記事に目が止まった。それは、SBSテレビ局が毎週提供している「にほんごだいすき」という日本語講座に出てくる「チビ」という小さい相撲取りのぬいぐるみキャラクタ−の名称が差別ではないかというものであった。日本では、小さい子供や年下の家族に向かって、「おちびちゃん」と呼んだり、「ちび丸」、「ちび太郎」などと、かわいいイメ−ジで「チビ」という呼称を使用する。しかし、それは名前の飾りとして使うのであって、名前そのものが「チビ」では、まるで子犬や小猫ではないかというものであった。この寄稿者の名称変更要請に対して、SBS側は「ネ−ム決めに当たっては、日本人や専門家からもアドバイスを受けた。ちいさいお相撲さんの意味で、チビというな名はぴったりだし、オ−ストラリアの子供たちからも親しまれている。」という回答を受け、セクシャル・ハラスメントや言葉の暴力などが最近取り上げられ社会問題化しており、肉体的特徴からくるネ−ミングに疑問を抱かずに番組を進めている局の姿勢は遺憾であると主張している。筆者もまさしくその通りであると思う。確かに相撲取りとしては小さい者もいなくはないが、基本的に皆大きな力士ばかりであるし、ぬいぐるみとはいえ「チビ」では相撲取りのイメ−ジと合わないと思う。この精神構造の中には、大柄なオ−ストラリア人からみると、平均的な日本人は小さく見えるので、無意識的な差別が入っているように思える。あるいは、最初の企画段階で、異文化コミュニケ−ションの本質を理解していない日本語教育専門家やインフォ−マントとしての日本人が同意してしまったから、番組製作担当者はそれでいいのだと思っていたのかも知れない。できれば差別語でない名称に変更し、柔軟に対応してもらいたいものである。

6.第三週目前半(8/16〜8/18)


第三週目の初日は天気もよく、割合のんびりとした一日を過ごした。午前中は息子のリクエストに応え、パタ−ゴルフに出かけた。楽しんだ場所はゴ−ルド・コ−スト・ハイウエイ沿いでマ−メイド・ベ−チ(Mermaid Beach)地区にあるパット・イン・ゲ−ムズ(Putt in Games)であった。息子だけプレイしたのであるが、1ゲ−ム6ドルでやや高い利用料金である。(しかし、最初から3ゲ−ム申し込めば、子供は10ドルでプレイできる。)2コ−スでのゲ−ムを楽しんだ後、小生の趣味であるコンピュ−タ関連部門のあるバンド−ル(Bundall)地区にある大型店ハ−ベイ・ノ−マン(Harvey Norman)へ立ち寄った。オ−ストラリアのソフトウエアでよいものがあれば購入したかったのであるが、残念ながら小生のマッキントッシュ・コンピュ−タ用のものはあっても、米国に比べて割高であるので、マウス・パッドのみを購入してユニットに戻った。一般的なあるいは教育用ソフトウエアは、基本的に米国の方が安く、魅力的なものがあっても購入する気にならなかったのである。午後は息子とプ−ルに隣接する大きめのジャグジ−で潜水ごっこをしたりして楽しんだ。

土曜日は、一日中あいにくの小雨が降る雨模様の天気であった。小生は午前中に友人にコンピュ−タを教え、午後は博士コ−スの勉学に時間を費やした。早めの昼食後、妻と息子は同じような友達たちとゴ−ルド・コ−スト・ハイウエイ沿いにあるカスケ−ド・ガ−デン・ピクニック・リザ−ブ(Cascade Gardens Picnic Reserve)に行き遊ぶ予定であったが、雨天のため、友人宅へ行って子供たちを遊ばせた。息子に夕食を食べさせ、ベノワ(Benowa)地区にあるピンダラ病院(Pindara Hospital)に隣接するキッズ・ランド(Kids Land)私立幼稚園では、土曜日の夜だけ特別に小さい子供の面倒を見てくれるサ−ビスをしているので、デイナ−を一緒にした友人の子供たちと我が息子を預け、外食に出かけた。午後7時から0時まで5時間ほど預かってもらった。一人当たり20ドル(約\1,600)は格安であり、寝てしまう子がほとんどなので、簡易ベッドに寝かせていてくれるサ−ビスは、大人だけで土曜の夜を楽しみたい時には便利なシステムである。迎えに行った時には我々の子供たち3人を含めて9名の子供たちが寝ていた。我々は、サ−ファ−ズ・パラダイスにあるスペイン料理レストランのラ・パエヤ(La Paella)で、スペイン産ワインを味わいながら魚料理やパエリヤなどスペイン特有の料理を堪能した。その後、コンラッド・ホテル(Conrad Hotel)にあるジュピタ−ズ・カジノ(Jupiter's Casino)へ行き、2階にあるネプチュ−ン(Neptune)という大人向け高級デイスコに行った。ところが、小生は運動靴を履いていたため、長袖、長ズボンではあったが、入れてもらえず、女性達だけが楽しんだ。入場料金は8ドルであるが、中での飲み物はソフト・ドリンクが6ドルと結構高い料金のようだ。ゴ−ルド・コ−スト・ハイウエイを渡って反対側にあるナイコン・プラザ(Niecon Plaza)には、クスクス(Kuskuz)という若者向けのデイスコもあり、入場料金は無料とかでオ−ジ−たちには人気が高い所もある。小生は仕方なしに、1階および中2階にあるカジノで時間を潰した。もともとギャンブルは強くない方なので、ほとんどせずに、多くの日本人も含んで溢れんばかりの人々で賑わっていた種々のギャンブルを見て回って、プレイの仕方を観察しただけだった。若かりし頃の米国留学中時代にラスベガス(Las Vegas)やリノ(Reno)へ行く機会があり、何度かギャンブルをしたが、ほとんど勝てなかったので、すること自体にはあまり関心がなくなってしまっていたからである。

日曜日も雨模様の天気であったので、遅い朝食の後、少しショッピングに出かけた。軽い昼食後、息子は友達の一人と一緒に別の友人宅へ遊びに行った。その間、妻と小生は本屋やコンピュ−タ・ショップなどヘ行ったりして時間を過ごした。

6.第三週目後半(8/19〜8/21)


一転して寒い天候となり、強風が吹く一日であった。シドニ−近くのブル−・マウンテン(Blue Mountains)では雪が降り、この冬一番の寒さを記録したとのことである。しかし、ここゴ−ルド・コ−ストは雪など降る訳なく、晴天ながら寒い風が吹くだけであった。午前中は不足していた食料品の購入などで近くのショッピング・センタ−に出かけ、午後は息子の水泳教室の最終日であったためとボンド大学のデジタル写真を撮るため、早めにユニットを出た。ところが、電池がなくなっていたことに気づかず、撮影できなかった。お粗末な話である。水泳教室が終わり、その夜一緒に食事をした友人家族の家に行った。一緒に出かけ、食事をしたのは、土曜日に別の友人と行ったサ−ファ−ズ・パラダイスにあるスペイン料理レストランのラ・パエヤであった。一緒に行った友人に選択を任せた結果であるので致し方ない選択であったが、ハウス・ワインを飲みながら同じようなスペイン料理を賞味しながら、会話を楽しんだ。息子は1時間ほど楽しんだ午後の最終水泳教室のせいか、食事途中で寝てしまった。風が強く、肌寒い夜だったので、息子が風邪を引かないこと祈りながら、食事後は急ぎ家路に着いた。

火曜日は寒さが弱まり、晴天で割合暖かい天候であった。午前中は近くのビ−チにある遊具や砂遊びさせ、午後は息子を連れて近くのショッピング・センタ−へ行った以外はほとんどユニットで過ごした。帰国前に置いていく荷物、持って帰る荷物などの整理をしたりした。

<エピソ−ド4>


息子のオ−ストラリアの主たる友達は、永住権を取得している日本人の子や日本人の母親を持つハ−フの子である。同じ6才でもオ−ストラリアでは小学校1年生となっているので、公私立の学校に通っている。週末には行き来して子供たち同士で楽しんでいるが、やはり、日本語能力の維持が重要な問題となっている。前述した小川スク−ルや日本語補修校などで土曜日午前中は授業があるが、それだけでは不十分である。その結果、どこの両親も「公文式」などの塾や「こどもちゃれんじ」などの自学自習用教材をさせている。そういった友達の学習状況を見たせいかどうか不明であるが、息子も持参したにも拘らず、それまであまりやる気を見せなかった自習用教材をやりだした。競争意識が生まれたかどうかは疑問だが、多少は友達の影響を受けたらしい。親としては多少嬉しくなった一時であった。

7.第4週前半から帰国まで(8/22〜8/25)


いよいよ帰国直前となった。予定ではランナウエイ・ベイにセカンド・ハウスがある友人の一人が家族や彼らの友人たちを伴い、休暇にやってくるということで、一緒にゴルフをすることになっていた。ゴルフをする場所は、ブリスベンから北へ車で約1時間半のサンシャイン・コ−ストのク−ラム(Coolum)にあるハイエット・リジェンシ−・ク−ラム(Hyatt Regency Coolum)であった。22日朝10時過ぎに現地で合うことになっていたので、ゴ−ルドコ−ストを7時頃出発し、ほぼ予定通りに到着した。滞在するゴルフ・ビラのクリ−ニングの時間が必要ということで、チェック・インまで施設の一部を歩きながら見て回り、昼食(ピザ)を食べたりして過ごした。

友人達も少し遅れながら到着し、早速その午後にゴルフをしたいと、プロ・ショップへ行くと、平日にも拘らず、結構混んでいて、その日はハ−フ(9ホ−ル)しかプレイできないとのこと。寒い冬を逃れ、ビクトリア州などからお金持ちたちが多く来ていたせいであった。仕方なしにハ−フを2組(4人と2人のグル−プ)で回った。ハ−フを回る料金は35ドルであったが、カ−ト代金が40ドルとは高かった。ゴ−ルドコ−ストでは10ドルぐらいである。

一緒にプレイした友人の清水君(慶應義塾幼稚舎教員)

ショ−ト・ホ−ルを前にして

一緒にプレイした友人の清水君のお父さん(慶應義塾大学教授)

夕食は施設内のレストランで食べることも、滞在しているビラは小さいながらもキッチンがあるので料理して食べることも可能であったが、車で買い物を兼ねてク−ラムの街へ出て、飲み物やスナックを購入後、「金海酒家(Coolum Sands Chinese Restaurant)」での中華料理の持ち帰りをして、ビラに戻った。しかし、息子は早朝に起こされ、疲れていたせいか、車の中で寝てしまい、食べずじまいであった。

翌日は、まず始めに息子をクッカバ−ラ・クラブ(Kookaburra Club)という4才から12歳まで預かってくれる施設に朝食後の午前8時から午後1時まで預けた。おやつや飲み物もあり、玩具や遊具も揃っていて、軽い昼食を出してくれて、22ドルである。妻と小生は9時からレッスン・プロによるピッチングの講習会があったので、それに参加した。ここで、参加者達に思わぬチャンスが訪れた。それは、15〜20メ−タ−程離れた所からのアプロ−チの練習で最初にチップ・インをした人に何かご褒美をくれるというものであった。そこでハプニングが起こった。それほど意識していなかったのであるが、どういうわけか小生が最初に入れてしまったのである。結局、その後にドライビング・レンジ(Driving Range)で練習をするために、支払ったボ−ル代金(2人分16ドル)がタダになったのである。なんとラッキ−であったことであろうか。

ゴルフ練習場にて

ドライビング・レンジでの練習後、妻はハ−ブを使ったボデイ・エステに行き、小生は友人達とゴルフ・コ−スに出た。ゴルフは混んでいたり、歩いてのプレイであったこともあり、4時半ごろまでかかった。妻はエステの後、息子を引き取り、プライベイト・ビ−チへ行ったりしたが、風が吹き、泳ぐには無理な天候であったので、早々に切り上げ、ビラに戻って休んでいた。疲れを癒すため、スパ&フィットネス・センタ−(Spa & Fitness Centre)へ行き、ジャグジ−やサウナに入ったりして、リフレッシュした。夕食は、友人達のビラに招待された関係で、ビ−ルやワインを飲みながら、カレ−ライスなどを食べ、10時頃まで楽しく談笑した。日本の特定の分野では超多忙の結構名の知れた人たちであるから、話はゴルフ談義にとどまらず、様々な話題で盛り上がった。息子はその中の子供好きのひょうきんオジサン(いやれっきとした某在京私立大学の教授なのであるが)にまつわり付き、笑いに笑って楽しませてもらった。

帰国前日である24日は、ゆっくりと朝食を取り、9時半頃チェック・アウトした。友人達と別れた後、我々は北に20分ほど走ってヌ−サ・ビ−チ(Noosa Beach)へ行き、しばし息子を遊ばせた。その後、ブリスベ−ンヘと南下し、ブリスベン北部地区にあるマイヤ−・デパ−トのあるショッピング・センタ−を見て回ったり、近くのイタリア料理店にて昼食(ピザとパスタ)を食べた。その後、さらに南下し、別の友人の家に夕食を招待されていたこともあり、近くにモ−テルを探しながら、アッパ−・マウント・グラバット(Upper Mt. Gravat)にある家の場所を確認しに行った。何と、95年4月との96年1月の帰国前日にもお邪魔していて、それが3回目であった。近くのモ−テルを見つけ、荷物を下ろして、夕方出かけた。ワインとチョコレ−トを持参してである。その時初めてお会いした別のインテリなオ−ジ−一家と一緒に、オ−ジ−らしくもあるがアジア的な料理を食べながら、様々な話題を楽しんだ。息子も次第に慣れ、友人家族の一番下の20歳の青年ピ−タ−に遊んでもらって、帰る直前まで騒ぎまくっていた。10時過ぎに失礼し、モ−テルに戻って、シャワ−に入って床についた。

帰国日となった25日は、出発が8時45分だったため、5時起きし、6時にモ−テルを出て、6時半頃ブリスベン国際空港に到着した。いつもながら朝出発の便を利用するので、なんとも慌ただしいスケジュ−ルである。空港近くでガソリンを満タンにし、レンタカ−を返して、帰国手続きをし、日本人観光客などで混雑していた待合ロビ−で出発時間を待った。夏休みのせいか、若者や家族連れの観光客が多かった。また、一つ驚いたのは、近くで30分ほど早く出発する日本航空の搭乗員(Flight Attendants)たちが集合し、搭乗前の打ち合わせをしていた。ブリスベン国際空港は1995年に開港したばかりで相当の広さを持つ新しい建物でありながら、こういった航空会社の会合場所を提供していないのか思った次第である。このような状況はどこも同じなのだろうか。


「マンハンタラ・ナランジ(Manhantharra Nalanji)」。アボリジニ−の言葉で、未来のために万物の命の根源である地球を守るという意味を持つカンタス航空の飛行機に乗り帰国した。

ケアンズ経由にて名古屋空港に夕方6時20分到着。荷物が出てくるのが遅かったため、6時47分発の空港バスに乗れず、約1時間ほど待って、次のバスで豊橋駅へ戻り、タクシ−で9時半過ぎに自宅に戻った。なんとも長い一日で、大変疲れた。

8.おわりに


 今回の滞豪生活は基本的に快適な天候と住環境のもと、家族ぐるみの友人たちとの交流を通じて家族共々十分にリラックスできた。いわゆる観光地と呼ばれる場所へ出かけたのは、カジノで有名なコンラッド・ジュピタ−ズ以外は帰国前に旅行したク−ラムぐらいであった。地元に住む人々との交流が主体になると、何故か観光地へは足が遠ざかる。しかし、それなりに楽しむ方法は結構あるものである。大好きなオ−ストラリアへは毎年1回は行くというパタ−ンは当分続きそうである。(^-^;) 1996 Summer in Gold Coast