ノザワ家の夏'99 - ゴ−ルドコ−スト避暑滞在

 本格的な猛暑の到来直後の8月3日、ノザワ家は再び豪州はゴ−ルドコ−ストへと関西国際空港から飛び立った。今回は関空とブリスベン往復の航空券と空港とゴ−ルドコ−スト往復間の片道レンタカ−(Herts Rent-a-car)及び滞在中のレンタカ−(Costless Rent-a-car)、そして4週間の滞在先となるユニットの予約以外は何も計画なしの自由気ままな滞在生活であった。往路はアンセット航空のジャンボで順調な予定通り約9時間の飛行で晴天のブリスベン国際空港に到着した。入国諸手続き後、予約しておいたハ−ツ・レンタカ−のカウンタ−ヘ行き、レンタカ−を借りたが、滞在先での友人(Mrs. T)との待ち合わせ時間までかなりあったので、しばし空港で我々はカプチ−ノを飲んだり、息子はプレイステ−ション・デモ・コ−ナ−で遊んだりして、時間をつぶした後、ゴ−ルドコ−ストへと向かった。
空港からゴ−ルドコ−スト・ハイウエイへ向かう途中にある有料橋の料金が昨年の2ドル20セントからドルに値下がりしていたのと、道路自体がかなり良くなっていたのが、昨年と違っていた。ゴ−ルドコ−スト・ハイウエイ自体も途中まだ拡張・整備中で年々良くなってきているようである。2000年シドニ−・オリンピックへ向けての好景気を示す一面なのかも知れない。妻と息子はフライト中での寝不足や疲れのせいか、快適なドライブの途中に時折居眠りをしていた。約50分のドライブ後、今回の滞在先ランナウエイ・ベイ(Runaway Bay)に到着し、友人の到着を待った。
 1994-95年のボンド大学での外留当時からの家族ぐるみの付きあいがあるその友人の手配で今回借りたユニットはハイライズ(30階)の18階にある全部屋海側を向いている所で、地下駐車場に置いてあるベンツなどの高級車の数から想像すると、リッチな退職者を中心に住んでいるセキュリテイ度の高い高級リゾ−ト気分が味わえる所であった。屋外にはプ−ルはもちろんのこと、テニスコ−ト、クル−ザ−がある一方、屋内にも温水プ−ル、ジャクジ−バス、サウナ、トレ−ニング・ジム、パ−テイ・ル−ムなど年中利用できる施設のあるハイライズで、この地域では有名な最高級リゾ−トであった。こんな滞在先が利用できるようにしてくれた親友に感謝感謝である。


滞在先から見えるRunaway Bayの一部(サ−ファ−ズ・パラダイス方面)

 荷物をユニットに置いて、荷解きをした後、その友人とレンタル携帯電話を借りに、サ−ファ−ズ・パラダイスのRSLセンタ−内にあるJTYコミュニケ−ションズへ出かけた。今回は4週間30ドルのレンタル料を支払ってシ−メンスの携帯電話を借り、プリペイド・カ−ドを購入し、利用した。長期滞在ならば購入して利用するのもいいが、一時滞在にはこれで十分である。同センタ−内にあるG-clefというカレ−と丼物だけの日本食レストランで一緒に昼食にビ−フ&ナス・カレ−を食べた後、友人とは別れ、滞在先に戻った。息子とジムでトレ−ニングした後、屋内プ−ルで楽しんだ。しばし休息した後、近くのランナウエイ・ベイ・ショッピング・センタ−へ食料品などの買い物に出かけた。夕方にベノワの友人宅に預けておいた荷物をピックアップしてきた後、それらの荷解きをしたりした。その日は疲れていたせいか、夕食は買ってきたピザを食べてすませ、シャワ−を浴び、全員早めに寝た。
 2日目の午前中は未完成だった論文の加筆・修正をしたり、午後は再びプ−ルに入ったり、ワインを購入しに出かけたりして、家族全員のんびりと一日を過ごした。
 3日目は妻が前夜した長電話のせいか、使用料金限度額を超えてしまい、再度使用料を支払いにサ−ファ−ズ・パラダイスに出かけ、ついでに周辺を歩き回った。息子はタイム・ゾ−ンでしばらく様々なゲ−ムを楽しんだ。昨年と違って、プリペイド・カ−ドを購入して遊ぶスタイルになっていた。そしてピザ・ハットで昼食を食べた後、ユニット近くの公園で少し息子を遊ばせ、部屋に戻った。水遊びが好きな息子であるが、寒い海風のせいか、さすがに水辺で遊ぶことはせず、遊具で遊んだだけであった。その後、室内プ−ルでしばし遊び、夕方友人宅へ行って、息子の友達兄弟と妻の友人でもある母親を引き取ってきて、夜遅くまでワインを飲みながら話を楽しんだ。
 4日目は、お泊りをした友人の子供たちとのんびり朝食を食べた後、ショッピンング・モ−ルのオ−ストラリア・フェア(Australia Fair)の前にある遊具がある公園でしばらく子供たちを遊ばせた。オ−ストラリアならではの遊具もあり、子供たちは順番待ちをしながら楽しんだ。その後、オ−ストラリア・フェアの中にあるフ−ド・コ−トへ行って、それぞれ好きなものを選び、遅めのランチを食べ、その友人宅へ行き、夕方まで団欒して過ごした。夕方5時から1時間ほど友人の子供が近くのベノワ・テニス・センタ−でのキッズ・テニス・スク−ルへ行く予定であり、親もテニスを楽しむということで、筆者も1年半ぶりにテニスをした。久し振りであったので、その後しばらく筋肉痛に悩まされてしまい、改めて運動不足を痛感した。その後、友人宅に戻り、レンタル・ビデオを見たりして過ごした後、友人が招待してくれ予約してあったサ−ファ−ズ・パラダイスのカンタス・センタ−(Quantas Centre)の一角(ゴ−ルドコ−スト・ハイウエイとトリケット通りの角)にあるインド料理レストランのザ・タンドリ・プレイス(The Tandoori Place)へ行った。何故このレストランになったかというと、2日前に予約しないと食べられないというラム肉料理(Legs of Ramb)があったからである。


これが日豪プレスにも掲載されたラム肉料理(Legs of Ramb)

ゴ−ルドコ−ストらしいものをと友人がそれを予約してくれていた訳である。インド料理特有の香辛料をたっぷり付けてある大きなラム肉料理が出てきた。BYO(Bring Your Own)のため持ち込んだフル−テイな味のタンバリン・ワインを飲み、3種類のナン(Naan)を食べながらではあったが、大人4人、子供3人でも十分な量であった。ナンも美味しく、ホ−ムメイドのカテッジ・チ−ズとスペシャル香辛料の入ったNaan Paneeri、豆、タマネギ、ポテトとスペシャル香辛料の入ったMasala Kulcha、モッツアレラ・チ−ズと少し香辛料の入ったCheese Naanであった。カレ−とナンやタンドリチキンもいいが、こういったスペシャル料理もたまにはいいし、お奨めである。日本の夏で食欲が落ちる時期に、涼しい豪州で食べ過ぎてしまうのが難であるが。夕食後は再び友人宅へ戻り、息子はそのまま逆にお泊りとなった。妻は久し振りに大きなベッドで一人熟睡できたに違いない。筆者もテニスの疲れもあって、シャワ−を浴びた後、11時頃床に入った。
 5日目は日曜日。のんびりとした朝となり、朝食後は妻は洗濯、筆者はこのワ−プロにてしばし時間を過ごす。食料品など不足分を購入しにランナウエイ・ベイ・ショッピング・センタ−へ出かけたら、何とまだ開いておらず、自宅にいったん戻った。日曜日の営業は午前10時半から午後4時までである。クリスチャンの多い国とはいえ、サ−ビス産業が未発達な豪州ならではの営業のスタイルと言えよう。まだ電話連絡していない友達へ連絡したりした後、再びショッピング・センタ−へ出かけた。その後、友人宅に行き、昼食(お好み焼き)を一緒にした。しばし、団らんを楽しんでいたら、突然友人の友人(Mr. N)が現れ、加わった。退職ビザでもってオ−ストラリアに住んでいる一人で、週2〜3回のゴルフを楽しみ、お酒を愛する実業家である。結局、友人宅で夕食まで一緒にご馳走になってしまった。
 6日目は来豪以来晴天続きであったが、どんよりした空模様で一日中雨かと思われる雰囲気だった。しかし、午後には快晴となった。午前中はのんびり過ごし、11時頃にパシフィック・フェアに出かけた。平日というのに結構混んでおり、この地区ではやはり一番集客力のあるショッピング・モ−ルである。あちらこちらをウインドウ・ショッピングしながら歩き回った後、大好きなスコ−ンとカプチ−ノを味わえる店で1年ぶりに味わったが、やはりうまい。息子は、レモン・スカッシュを飲みながら子供メニュ−の一品(チキン・ナゲットとチップス)を食べた。小鳥が飛んできてこぼしかすをついばむという風景は見られなかったが、チェコからの移民ピアニストが電子オルガンで演奏する雰囲気の中、一時を過ごした。もちろん、自宅で食するスコ−ンをお土産にすることは忘れなかった。その後もワ−ナ−・ブラ−ザ−ズの店で安くなっていたロゴ入りシャツなどを購入し滞在先へ戻った。
 午後は別の友人の奥さん(Mrs. M)が訪れ、息子と同じ年でこちらの私立小学校に通う娘さんをピックアップに行くまでの間、お茶を飲みながら会話を楽しんだ。この友人家族とはその夕方小さなマ−メイド・ウオ−タ−ズ・ショッピング・ビリッジ(Mermaid Waters Shopping Village)の中の中華料理店(King of Kings)で食事を一緒にしながら旧交を深めた。お奨めの赤ワインを飲みながら、こちらでは冬場限定の海鮮鍋を食べた。ラム肉鍋も美味ということであったが、今回は烏賊、海老、魚、肉、貝類、中華麺を中心にした海鮮鍋を堪能したが、質量とも十分なものであった。この時期に訪れる方々にはお奨めである。
 7日目は絶好の晴天で何をしても良い天候であったので、今回こちらへ来て初めてのゴルフに出かけた。といっても、家族でのゴルフであるので、昨年もプレイしたことのある所で、カララ・ガ−デンズ・ゴルフ・コ−ス(Karara Gardens Golf Course)という12ホ−ルが基本のショ−ト・コ−スと時間制で打ちっ放しができる所である。大人2名と子供1名のプレイ費とバギ−1台の借り賃で28ドルで、格安のレジャ−ではあるまいか。平日とはいえ午前中ということもあり、結構混んでいた。1プレイ後、打ちっ放しもしようかと考えたが、お昼の時間に近かったので、昨年も楽しんだ庶民感覚のイタリア料理を食べにブロ−ドビ−チ・ショッピング・センタ−の一角にあるフェニシアンの中のコスモポリタン(Cosmopolitan)というレストランへ行った。5ドルパスタやピザが有名で大変美味しいのである。我々は、それぞれ好きなパスタを、さらに全員で食べれるようにピザを一つ注文して、ソフト・ドリンクを飲みながら楽しんだ。その後、息子がビ−チで遊びたいというので、近くのブロ−ドビ−チへ。息子は水遊び大好きなのであるが、約1時間ほど波と砂と戯れて過ごした。着替えを持っていっていたので、びしょ濡れになっても良かったのである。それにしても我々にはほとんど寄りつかず、1/fリズムの中、自然と戯れる姿に改めて感心してしまった。そこを切り上げた後、駐車しておいたブロ−ドビ−チ・ショッピング・センタ−に戻り、お茶を飲んだり、ウ−ルワ−ス(Woolworths)で少し買い物をしてから、さらに中華料理食材などを入手するため、2件ほどアジア・日本食材店に寄り、帰宅した。それにしてもあっという間の1週間であった。
 8日目も快晴の暖かい一日であった。余りに良い天気なので、クイ−ンズランド州の休日でもあり、どこへ行っても人で一杯であろうことも予想できたが、最も近くにあるテ−マパ−クでもあり、シ−ワ−ルド(Sea World: http://www.seaworld.com.au)へ出かけた。入場料金は大人44ドルで子供28ドルであるので、家族3人で合計116ドルもかかったが、ショ−を見たり、乗り物に乗ってもそれだけであるから、日本の遊園地より安いのかも知れない。昨年とは異なる新しい3Dアドベンチャ−映画「海賊たち(Pirates)」も見られ、少し趣向の異なる部分も加味された水上スキ−・ショ−もあり、閉館に近い5時前まで楽しんだ。バミュ−ダ・トライアングル(Bermuda Triangle)の乗り物に乗った時だけ息子は怖がったが、どうも恐怖感のある乗り物は苦手であるようだ。オ−ジ−の子供たちが大騒ぎで乗っているのを見ると、怖がりの息子が少し情けなくなるが、これも性格だから致し方ない。一方、動物好きな息子が特に気に入ったのはドルフィン・ショ−やアザラシ・ショ−であり、帰り際ドルフィンのぬいぐるみを買って大喜びであった。かなり歩き回ったので疲れたせいか、最後に見た「鮫との出会い(Shark Encounter)」では全員途中で少し寝てしまった。


ドルフィン・コ−ブ(Dolphin Cove)でのショ−の一部

 夕方はこちらで教育事業を営む友人夫妻(Mr. & Mrs. F)とシェラトン・ミラ−ジュ・ホテルの中のレストランでシ−フ−ドを中心にした夕食を共にした。前菜、そして各種メインからデザ−トまでバッフェ・スタイルの食べ放題(All you can eat)の食材が並び、とても一通り食べることなどできないくらいの品々が並べられていた。さすが一流ホテルのレストランである。食べたものほとんど全てが美味であった。食べ過ぎてしまったことを後から後悔してしまったのは言うまでもない。そこでのハプニング。席に案内されるや否や、E-mailで知らせてあったものの、まだ電話連絡をしていなかった友人夫妻(Mr. & Mrs. P)が目の前で食事をしているではないか。よりによってシェラトン・ミラ−ジュ・ホテルで、しかも広いレストランの中で予約席の隣で食事をしているとは。何とも不思議なことである。再会を誓って、次週に食事を介して会うことにした。食事後、食事を一緒にした友人夫妻を滞在先に招き、お茶を飲みながらしばし歓談した。昨年もご一緒したが、今年もということで3日後の土曜日午前中一緒にザ・スピッツ(The Spit)に魚釣りに出かけることにもなった。
 9日目の早朝はやや曇りがちであったが、しばらくすると快晴となった。昨晩のデイナ−を食べ過ぎたので、朝はお茶だけにして、屋内プ−ルで泳ぐことにした。1時間ほど泳いで運動をした後、部屋に戻り、ブランチにした。海辺を見下ろすと、なんとペアのペリカンが羽を休めている。また、観光用のパラ・セ−リングをしているのが見えた。のどかな一瞬を感じた。しばしの休息後、家族で気楽にできるカララにある公営で9ホ−ルのメリマック・ゴルフ・コ−ス(Merrimac Golf Course)に出かけた。昨年そこでやろうと思って行ったら、降雨後だったためコンデイションが悪くできなかった所である。自分のバックとバギ−が必要で、我々はバギ−2台と息子用のバッグを一つ借りてプレイしたが、それでも費用は3人で何と17ドルと格安であった。初心者・家族向きの平たんな、しかもほとんどがパ−3の易しいコ−スである。ちょうどお昼頃のプレイとなったため、我々の後ろでプレイする者もいなく、のんびりと家族で楽しむことができた。終了した後やって来たプレイヤ−たちも家族連れやカップルであった。
 プレイ後は、Q-Superのバイロ−(BI-LO)へ不足している食料品を購入しに行き、滞在先への帰り道にサ−ファ−ズ・パラダイスのバス・タ−ミナル前にあるレ・サンジェに日本スタイルのコ−ヒ−を飲みに行った。パンやケ−キも日本スタイルであるので、息子はスプライトを飲みながらソ−セ−ジパンを美味しそうに食した。帰宅後は静かな夜を過ごしたが、妻と息子は疲れたせいか早めに床についた。
 10日目は筆者はオンライン・ジャ−ナル(CALL-EJ Online)の共編者であり、1994年以来の友人(Dr. L)が働くブリスベンのクイ−ンズランド大学(The University of Queensland)へと向かった。工事中の多いパシフィック・ハイウエイを順調にドライブしながらクイ−ンズランド大学のあるブリスベン市セント・ルシア(St. Lucia)へ1時間15分程で到着。早速、友人のオフィスが近いプ−ル脇の学外者を含むメンバ−用の屋外駐車場へに駐車しようとしたら、数台待っている状態でとてもすぐには駐車できるとは思われなかった。仕方なく、歩いて500メ−トル以上は離れている屋内一般駐車場へ駐車せざるを得なかった。約3万人ぐらいの学生数を持つ大きな大学だけに駐車スペ−ス不足であり、致し方ない状況である。午前中は今後の編集方針や9月発行予定の原稿に目を通したり、途中オフィス近くのコ−ヒ−ショップにてカップ・コ−ヒ−を飲みながら、1年ぶりの歓談をした。遅めの昼食に教職員のみ利用できるカフェテリアに行ったが、午後1時半近かったので、選択肢が少なく、残り物から選ばざるを得なかったが、仕方ない。食事後も場所を別のカフェに移し、カプチ−ノを飲みながら歓談した。午後は4時半頃までお互いの分担する仕事をした。友人に電話がかかり、帰宅しなければならなくなったので、そこで仕事を切り上げた。帰路はすでに途中のロ−ガンあたりまで渋滞気味のノロノロ運転となったが、その後のドライブは順調で午後6時過ぎに滞在先に戻った。
 11日目は土曜日で、前から約束してあった友人Fと朝7時半に待ち合わせて魚釣りに行った。シ−ワ−ルド&ナラ・リゾ−ト近くのザ・スピッツ(The Spit)の桟橋である。大人3ドル、子供1ドル50セントで自由に魚釣りができる所である。息子は大変楽しみにしていた事の一つであったので、朝早くから目が覚めたようであった。快晴の朝で暖かく、釣り人も少なかったが、魚影が下に見え、好結果が期待できる状況であった。その予想通りで、最初は鯵が結構釣れたが、突然鯖に変わった。日本から持参した息子の細目の竿では引き上げるのが苦しいほど生きの良い鯖が次から次と釣れた。所謂、「入れ食い」の状態だった。鯵と鯖あせて3人で60匹程釣れた。たくさん持ち帰っても困るので、我々の分として22匹(鯵6匹、鯖16匹)持ち帰った。我々にはそれでも多いので、内蔵を取り除き、鯖は頭も切り落とし、塩をふり保存したものを翌日別の友人家族(The Ts)に半分あげた。
 まだまだ釣れたが、11時頃魚釣りを切り上げ、まだ続けた友人と別れた。昼食に昨日会ったブリスベン在住の友人家族(The Ls)との昼食会を滞在先のユニットでする約束をしていたからである。帰宅途中でサ−ファ−ズ・パラダイスのレ・サンジュでケ−キを買ってから戻った。妻が用意していた料理(タスマニアのサ−モンを使った押し寿司、串カツ、サラダ、エビチリ、お好み焼き)とワインとケ−キでもてなし、午後4時頃まで歓談し、またの再会を願って別れた。同じような家族構成でもあり、これからも家族ぐるみの交流を続けていけるオ−ジ−・ファミリ−である。
 その日の朝急に決まった夕方の「土ボタル(Glow worm)」見学ツア−にも参加した。ツア−ガイドをしている友人家族(The Ts)が翌日朝に日本へ帰国する人たちを連れていくというので便乗したのである。車でネラング川上流の方面に約40分ほど走ると、「自然橋(Natural Bridge)」という自然保護地区があり、そこに土ボタルが生息しているのである。筆者が父とニュ−ジ−ランドへ旅行した時に北島で見た土ボタルとは異種のものらしいが、宵闇に青白く光る光景は何とも言えないものであり、息子たちは感動したようである。帰路途中、夜空が見渡せる場所に止まり、ツア−ガイドをしている友人が南半球で見られる星座を説明してくれた。天の川(The Milky Way)も綺麗に見えたし、様々な星座が明確に見えた。筆者が飛んでくる飛行機に目を奪われている時に妻と息子は流れ星を見たようだ。なんとも幻想的な一時であった。7時過ぎに友人宅にいったん戻った後、夕食はサ−ファ−ズ・パラダイスにあるトモという日本食レストランヘ出かけ、歓談しながら食べた後、8時半過ぎに滞在先に戻ったが、長い一日で皆疲れ、シャワ−を浴びて早めに床についた。
  12日目は日曜日で筆者は友人(Mr. S)たちとのゴルフに出かけた。プレイしたのはランナウエイ・ベイから車で30分ほどでドリ−ムワ−ルド近くのピンパマ(Pimpama)にあるゲインズブロ−・グリ−ンズ(Gainsborough Greens)である。カ−トを3台借りて6人が2組に別れて10時半開始でプレイしたが、前半9ホ−ルは少し待たされる時もあり、18ホ−ルを終了したのは3時半頃になってしまった。グリ−ンが難しく、1年ぶりのフル・コ−スでもあり、後半バテ気味でスコアは良くなかったが、パ−をセイブできたところもあり、全体的にはまあまあであったと言えるかもしれない。途中、カルガモの親子が横切ったり、カンガルーがあちこちに出没したり、フェアウエイを陣取ったりしていて、プレイヤ−たちに写真を取らせていた。何ともオ−ストラリアらしいゴルフ・コ−スの一つと言えよう。帰路、友人宅にてお茶をご馳走になり、家族共々歓談して、妻が迎えに来る時までしばし楽しんだ。妻と息子は地元の友人家族たち15〜16人でのマリオット・ホテル裏側辺りの公園でのバーベキュ−に出かけていた。日本から持参したピカチュウ・グッズが当たるくじや水辺での遊びで大いに楽しんだようである。息子を預けてあった友人宅に行った後、近くのベノワ・ショッピング・センタ−の中にある中華レストランに電話し、持ち帰り料理を注文して取りに行き、歓談しながら食べた。9時過ぎに滞在先に戻ったが、前日同様に活動量の多い一日で皆疲れ、シャワ−を浴びて早めに床に入った。
 13日目は約束していた友人(Mr. F)のオフィスに出かけ、コンピュ−タの使い方を伝授した。マキントッシュを使用してきたのを最近ウインドウズに変えたので、基本的な操作方法を中心に説明したのである。息子も連れていったが、持参したラップトップで遊んだり、本を読んだりさせ待たせた。一方、妻は友人(Mrs. T)の仕事を手伝いに出かけていた。午後一時頃、友人夫妻と我々家族で近くの中華レストランへ飲茶を食べに出かけた。そのレストランは先日別の友人と夕食を共にした所で、平日だったせいか飲茶の数もそれほど多くなく残念であったが、それなりに楽しめた。
 昼食後の帰路、ハ−ベイ・ノ−マンのコンピュ−タ・ショップに立ち寄ったり、ランナウエイ・ベイ・ショッピング・センタ−の中でお茶を飲んだり、食料品の買い物をした。屋内プ−ルで泳ごうと思ったが、疲れ気味だったため止めて、夕方はテレビを見たりしてのんびりと過ごした。
 14日目の午前中は屋内プ−ルで息子と泳いで遊んだ。妻は部屋で読書後、友人(Mrs. M)とランチに出かけた。メイン・ビ−チ付近のイタリア料理を食べたらしい。筆者と息子は、その間スタ−ウオ−ズの映画でも見ようとオ−ストラリア・フェアの映画館に出かけたが、この日は午後4時からの一本しかなく、仕方なくKFCでのランチ(Two Pieces Feed, $5.45)を食べた後、Time Zoneで遊ぶことにした。ところが、持っていたカ−ドが購入したサ−ファ−ズ・パラダイスの店しか使用できないとのことで、サ−ファ−ズへ向かった。あちこち動き回りながら、息子は大喜びでゲ−ムに興じていた。筆者も協力してするゲ−ムもあった。おおよそ数時間遊んだ所で、妻の友人に電話をし、近くのカフェのレサンジュで待ち合わせた。友人の娘さんをピックアップした帰りでもあるので、家族ぐるみでしばし歓談しながらお茶を楽しんだ後、帰宅した。その夜はテレビを見たり、コンピュ−タで仕事をしながら静かに過ごした。あっという間に2週間が過ぎてしまった。
 15日目は、朝のうち曇り空であったが、次第に晴れだした。またまた外出にも絶好の天候であったし、前日会った友人からドリ−ム・ワ−ルドへの有効期限付き割引券(通常の大人料金44ドルが26ドルになるもの)をいただいたので、期限内に利用しなければと思い、早速ながら飲み物とおにぎり持参で出かけた。1年ぶりのドリ−ム・ワ−ルドであったが、新しい乗り物の「恐怖タワ−(Tower of Terror)」もでき、人気を博していた一方、ワイプアウト(Wipeout)は故障中なのか修理中なのか閉鎖されていた。いずれも高所恐怖症気味の筆者を含む家族にとっては乗りたくないものばかりで、なんら問題はなかったのではあるが。各種のショ−やコアラ・カントリ−を中心に一日中楽しんだ。息子は要求された身長に到達し、初めてコアラを抱いて写真を撮ってもらいお喜びであった。4歳の頃にも筆者が息子とコアラの両方を抱いて写真を撮ってもらったが、息子自身で抱いた経験は良い思い出となるであろう。また、カンガル−や鳥たちにもエサを購入して与えて触れ合いを楽しんだ。
 途中、親しい友人(Mrs. T)から電話が入り、彼女の従姉妹の子供たちが1週間遊びに来ているが、なんとドリ−ム・ワ−ルドに来ていて、閉館まで遊んでバスで帰るとのこと。特徴を教えてもらい、偶然にも会えれば乗せていってあげようと思った。終了間際、帰路ゲ−ト付近で彼ら3人を偶然に見つけ、事情を説明し、一緒に車で滞在先の友人宅へ送り届けた。その夜は、その友人宅でバ−ベキュ−・パ−テイを開いてくれたので、我々もビ−ルやワインなどを近くのベノワ・タバ−ンで購入し、参加した。食べたソ−セ−ジやステ−キは美味であった。平日の夜にも拘らず、子供たちは子供たちだけで、大人は大人だけで大いに盛り上がって、楽しい一時を過ごした。それにしても家にバ−ベキュ−の用具が備え付けられているのはいいものである。
 16日目の午前中は、再度カララ・ガ−デンズ・ゴルフ・コ−スへ家族ゴルフをしに出かけた。しか、到着してみると、かなり混んでいた。木曜日の午前中は1ラウンド10ドルでさらにドライビング・レンジでの料金2ドル割引というサ−ビスがあったからのようだった。仕方なくそこから近いロビ−ナ・タウン・センタ−に行ってみた。あちこち歩き回って、ナイキのスポ−ツ・ウエアを購入したり、フ−ド・コ−トで早めの昼食をとったりした後、ゴルフをしに戻った。その頃になると、プレイヤ−たちは結構いたが、息子に合わせてプレイできるほど空いていた。ラウンド後も息子と筆者はドライビング・レンジで30分ほど練習した。
 その後、パシフィック・フェア・ショッピング・センタ−に立ち寄り、不足分の食料品をコ−ルズ(Coles)で、翌日に招待しているオ−ジ−夫妻用デイナ−に使うものをサンマ−ト日本食材店で、レ・サンジュでデザ−トを購入したりして帰宅した。
 17日目は息子と友人(The Ts)宅に滞在中の若者たち3人を連れ、カランビン・ワイルドライフ・サンクチュアリ−(Currumbin Wildlife Sanctuary)へ行った。出発がやや遅れたので、午前8時から始まっていたロリキ−トの餌付け(Lorikeet Feeding)はすでに終わりかけていたが、何とか経験できる時間があった。息子たちは、係からアルミ皿に甘いミルクを入れてもらい、どこからともなく舞い降りてくるロリキ−トが時には腕や頭の上乗って驚きながら、大喜びだった。その後、トレインに乗って、コアラ・ジャンクション駅で降り、カンガル−・カントリ−へ行った。ちょうど餌付けをしていたところで、息子らは餌を分けてもらってカンガル−との一時のコミュニケ−ションを楽しんだ。それから歩いて川ワニを見て、ツリ−・カンガル−の所へ向かった。管理職員による説明があり、ツリ−・カンガル−の特徴などを聞いてから、亜熱帯気候の森林に生息する鳥類の場所へ移動した。
 次に、コアラ、ウオンバットを見に行った。いづれのコアラも寝ているものばかりであり、ウオンバットは起きてはいたが、のんびりくつろいでいるような様子であった。それからタスマニアン・デビルとデインゴを見に行った。タスマニアン・デビルの所では、ちょうど餌をやる時間とぶつかり、その様子を見た。2匹いるうちの1匹が元気よくにおいを嗅ぎつけ、投げ入れられた餌を美味しそうに食べていた。夜行性動物なので、日中はあまりよく目が見えないのであるが、臭覚ですぐに餌の位置を見つけられるようだ。ビデオなど見るタスマニアン・デビルとは違い、餌を規則的に与えられており、丸々と太ったオスであった。


ノ−マルな寝方のコワラ、太っちょタスマニン・デビル、思わぬ所で出てきたリザ−ド


 次に、クロ−ス・エンカウンタ−ズ・ショ−(Close Encounters Show)の所で、管理職員によるプレゼンテ−ションを聞き、ドラゴン・フリル・リザ−ド、ポッサムなどについての生態を理解できた。その後、コアラ・ジャンクション駅までにある亜熱帯ならではの鳥類施設を幾つか訪れた。さらに、水鳥たちがいる池付近を歩き、持参した食パンを与えながら観察した。再び、コアラ・ジャンクション駅へ行き、トレインで出入り口付近に戻った。何も購入しなかったが、少しお土産店を見て回ってから出た。
 カランビン・ワイルドライフ・サンクチュアリ−を出て、駐車してある場所に向かう左側に新しくできた蜂の世界(The World of Bees)へ立ち寄り、少し生態を学習した後、色々な種類の蜂蜜を味わったりした後、帰路についた。
 若者たちの滞在する家に戻る途中、お昼を食べ、その後、筆者がお世話になったボンド大学の美しいキャンパスを訪れ、しばし見学した。私立大学として一時期困難な状況にあったが、最近順調にそういった問題をクリアしてきているニュ−スを聞いたので、大丈夫なのだろう。
 午後6時過ぎからは、先日シェラトン・ミラ−ジュで偶然にも会った時に約束していたオ−ジ−友人夫妻(Mr. & Mrs. P)を滞在先に招待し、妻の手作り料理などでもてなしながら、1年ぶりの正式な再会をした。二人はそれぞれ大学で教鞭を取る学識者であるが、4人の子供たち(息子3人、娘1人)全員が日本へ長期に出かけた経験を持つ日本通の人たちである。様々な話題に花を咲かせながら団欒し、楽しい一時を過ごした。息子もリコ−ダ−で何曲か演奏し、盛り上げてくれた。二人ともかなり疲れていたようであったし、翌日にまだ仕事を残していたようで、来年の再会を誓って9時頃別れた。
 18日目は3回目の週末である。友人家族(The Ts)と一時滞在中の若者3人、退職者ビザで滞在中の老人(Mr. N)と我々家族は、3台の車に分乗し、ブリスビン国際空港へ行く途中のゲイトウエイ・ブリッジ(Gateway Bridge)近くのボ−ト乗り場へ。そこから約1時間15分ほどで世界で3番目に大きい砂の島であるモ−トン島(Moreton Island)にあるタンガル−マ・ワイルド・ドルフィン・リゾ−ト(Tangalooma Wild dolphin Resort)へ出かけたのである。残念ながら今回の滞豪では初めての曇り空であったが、内海での航海であるので、それほど揺れずスム−スな船旅であった。その名の通り、1992年以来、保護目的も含めた野生イルカの餌付け(Dolphin Care Program)をしてきており、一方、近海でのクジラ・ウッチ・クル−ズ(Whale Watch Cruise)や元プロ・レ−サ−であったドライバ−による四輪駆動車の運転で行くサファリ・ツア−(Safari Tour)も魅力の一つである。
 現地に着いて、早速チェック・インし、宿泊したロッジで荷解きをした後、リゾ−ト中心部に幾つかあるレストランへ昼食のために移動。軽めの昼食後はサファリ・ツア−に出かける午後3時まで海岸などでのんびりした。サファリ・ツア−は砂漠でのサンド・スレッデイング(Sand Sledding)がメインである。筆者を含めたグル−プの2/3が挑戦した。このサンド・スレッデイングができる場所は火事で焼けてしまい、自然とできた砂山である。薄いボ−ドへの蝋燭の塗り方や基本的な滑り方を教えてもらった後、砂山を登り、滑ったが、その砂山のてっぺんまでボ−ドを担いで登るのが結構疲れた。コンタクトをしている者にはゴ−グルが用意されている。ツア−の時間的な制約の関係で3回だけしかできなかったが、高さに怯えていた息子もようやく3回目に筆者の背中に乗り、二人で滑って、その楽しさを味わった。妻は挑戦したくないということで下から写真やビデオを取っていた。筆者は機会があれば、また挑戦したいものである。帰路にツア−ガイドが筆者が質問したこの島の生き物たちについて説明していた時、車が突然止まり、「コアラを見つけたぞ!」と運転手が言って飛び降りた。ところがこれは真っ赤な嘘。この島には野生の豚やポッサムなどはいるが、コワラやカンガル−は生息していないのである。コアラに必要なユ−カリの木がなかったり、大陸部からかなり離れているのが原因かもしれないと言う。
 ロッジに戻った後、子供たちはビ−チで打ち寄せる波と砂浜で遊んだ。筆者らはその様子を見ながら日陰でのんびりしたり、部屋で休んだ。日が沈んだ夕方の6時半から「イルカの餌付け」に参加した。それぞれ名前を持った8頭の野生イルカがその頃になると、桟橋(Jetty)に集まってくる。保護管理員の指示に従い、ある程度の間隔をおいたスタイルで、保護管理員を間に挟んで二人一組づつとなり、小魚を片手に持って、膝のあたりの深さまで進み、餌を与えた。絶対にイルカの身体には触らずようにと注意を受けていたが、そのかわいらしさに息子はつい手を出しそうになるが、保護管理員にすぐ止められる。野生ゆえにタッチングについても敏感なのである。結構な人数の人たちが体験したが、まだ小魚が余っている状態であることが分かり、急遽2回目も並んでやることができた。2回目は両手に小魚を持ってである。このイルカたちに与えられる小魚の量は一日に必要な量の10〜15%だそうである。何故なら、目一杯あげてしまうと、自分たちで漁をすることをしなくなるからで、納得できる理由と言えよう。


重くなった息子を背に乗せて滑るシ−ン、野生いるかに餌付けしているシ−ン

 「イルカの餌付け」に参加した後、一度ロッジに戻り、シャワ−を浴びてすっきりした。そしてみんなで夕食に出かけた。ビ−チ・フロント・ビストロ(Beach Front Bistro)で14ドルにしてはボリュ−ムのあったミックス・グリルとサラダを食べた。もちろん、我々はメイン・バ−から赤ワインを買ってきて飲みながらである。食事後はロッジに戻り、しばし歓談したが、全員疲れていたので、9時過ぎに解散。
 19日目の翌朝はやはり曇り時々晴れで、時折霧雨の降るような天気であったが、涼しくて気持ちが良かった。早朝から海岸沿いを散歩するカップルや家族連れが見えた。朝食は持参した食料品で済ます人たちもいるが、我々はタ−シオップス・レストラン(Tursiops Restaurant)のバフェ・スタイル朝食へ出かけた。食べ放題で、大人12ドル、子供8ドルである。朝食後は、ロッジに戻り、しばしリラックス。10時頃再びメインバ−付近へ行き、ビリヤ−ドをしたりして暫く時間をつぶす。そして11時半過ぎにモ−トン岬(Cape Moreton)付近の海に向かってクジラ・ウオッチ・クル−ズのため出港した。その周辺の海は1952年頃から年間600頭の鯨(humpback whales)を捕獲し、岬付近で120人が2交代制で24時間解体作業をしていたクイ−ンズランドで唯一の場所であり、その様子を見るためにブリスベンから観光客が見に来ていた所である。しかし、1962年にはそれまでの捕獲数が多すぎたため、年間68頭まで激減した結果、鯨油、鯨骨、鯨肉を加工して輸出するビジネスとして成り立たなくなり、同年8月に閉鎖されたと共に、翌年捕獲が禁止された。現在は約250頭いるようである。その一部で出会うため出かけた訳である。外海に向かうに従って波が高くなり、舟の揺れは大きくなる。船酔いしそうな者は全員あらかじめ船酔い止めの薬を飲んでいたので大丈夫であった。それでも大きく揺れる舟に息子は怖がっていたが、妻が無理やりデッキに立たせて、鯨が出てきた時の喜びを共に味わせたが、やはりその感激は大きかったようである。いくらアクロバット的な動きをする鯨たちとはいえ、今回は残念ながらそこまではやらなく、写真の対象としては撮影が困難だった状況であった。
 約3時間ほどのクジラ・ウオッチ・クル−ズから戻って暫くすると、帰路の船の準備ができ、乗り込んだ。約1時間15分の船旅で、前日出港した場所に、さらに車でゴ−ルドコ−ストへと戻った。その夜はサ−ファ−ズ・パラダイスの日本食レストランで夕食を食べ、友人宅へ同乗者を下ろしてから滞在先に戻った。今回の週末旅行で全員疲れ気味であったので、早めに床に入ったのは言うまでもない。
 20日目は、朝から曇りがちでシャワ−が降ったり止んだりしていたが、風も結構あり雲を吹き飛ばしたのかお昼頃からは晴れた。洗濯などを終えてから、夕食会用の買い物に出かけ、ついでに昼食も済まして帰宅した。帰宅後は妻は料理に、筆者はコンピュ−タを使った仕事に、息子はリコ−ダ−の練習などに時間を過ごした。夕食(照り焼きチキン、スペアリブ、いなり寿司、水ギョウザ、シ−フ−ドサラダなど)には親しい友人家族(The Ts)とそこに滞在する若者3人を招待して我が家で楽しい一時を過ごした。滞豪生活もあっという間に3週間が過ぎた。残り1週間である。
 21日目も朝から小雨の降る肌寒い天気であった。しかし、昼頃から薄曇りの天気となり、時折強い日差しもあった。午前中はのんびりと過ごし、お昼を食べて、午後2時頃映画「スタ−ウオ−ズ:エピソ−ドI (Star Wars - Episode I)」を見に行った。一番近いオ−ストラリア・フェア・シネマに行ったら、すでに先週で終わっていた。チケット売り場で聞くと、パシフィック・フェア・ショッピング・センタ−内にあるパシフィック・フェア・シネマならやっているとのこと。早速移動して開始時間の4時10分までショッピング・センタ−内を見て回って時間を潰した。開始15分前ぐらいに割引券をもらったキャンデイ・バ−でコンボ・2ドリンク&ポップコ−ン($6.50)を購入し、シネマ6に入った。ここには全部で10の映画館があり、好きな映画を見ることができるのである。また、通常火曜日が一番安い料金設定となっており、我々は大人も子供も7ドル50セント(約70円x7.5 = 525円)で楽しめたのである。日本の映画鑑賞料金が1,800円(割引で1,500円?)だから、1人分で約3人が見られたことになる。日本の料金が高すぎるのも映画を見に行かなくさせる原因なのかもしれない。画一的な料金設定で対応する日本のシステムは再考の余地があると思う。シネマ6は快適なイスが200席ぐらいあり、ベイビ−カ−を持ち込んだり、車イスの人のスペ−スもあり、社会的な弱者への配慮がされている。我々が入場した時は平日の4時頃でもあり、50人くらいしか見ていなかったので、楽な体勢で見ることができた。息子は英語が分からなくとも、ジャ−ジ・ル−カス監督の作った奇妙な生物の演じるアクション・サイエンス・フィクションなので大喜びで見ていた。筆者もこういったコンピュ−タ・グラフィックを多く使った映画は好きなので大いに楽しめたし、妻がスタ−・ウオ−ズを見るのは始めてだったが、彼女自身もかなり楽しめたようである。
 22日目の朝もやや曇り空の天気であったが、次第に晴れた。午前中は朝食後、滞在先でのデイナ−に若い友人カップル(Mr. & Mrs. S)を招待しているので、足りないものの買い物に出かけた。シェラトン・ミラ−ジュの反対側にあり、高級品で有名なマリ−ナ・ミラ−ジュ(Marina Mirage)で以前あったシ−フ−ド・マ−ケットを探したが、それを含む多くの店があった場所は、ベルサ−チのホテルが建設中で、全て無くなっていた。しかし、帰り際よく見ると、近くにポツンと1つピ−タ−ズ・シ−フ−ド・マ−ケット(Peter's Seafood Market)があるではないか。早速入ってみると、良質のシ−フ−ドが並べられており、我々は大好きなマグロを買った。マグロ・カルパッチョで食べるためである。ランナウエイ・ベイ・ショッピング・センタ−に戻り、買い物をして滞在先に戻った。昼食後は、妻が料理の準備をしている間、屋内プ−ルで息子と泳いだ。

 デイナ−は、様々な話題のもと、ワインを数本あけながら、深夜に及ぶまで楽しんだ。息子も得意のリコ−ダ−を演奏したりしてもてなしたが、疲れが出たのか、途中で寝てしまった。我々も飲み過ぎたせいもあるが、かなり疲れた一日であった。  23日目は朝から小雨が降る天気であったが、やはり次第に曇り時々晴れの天気となった。午前中は遅めの朝食後、家族全員で屋内プ−ルで泳いだ。気候も良く、友人たちとの会食も多く、食べ過ぎ、飲み過ぎの傾向があるので、全身運動の水泳などで体調を調える必要があることは言うまでもない。昼食後は、息子の希望でゴ−ルドコースト・ハイウエイ沿いのマ−メイド・ビ−チ(Mermaid Beach)にあるパット・イン・ゲ−ム(Putt In Games)へ連れていった。以前も遊んだ所であるが、3コ−スのうち、1コ−スが修理中で、その日は2コースしかできないと言われ、2コ−ス分の料金(12ドル)で3コ−ス分できるのに、しかたなく1コ−スだけ楽しませた。その後、パシフィック・ショッピング・センタ−により、しばしウインドウ・ショッピングを楽しんだりしてから帰宅した。夜は予定ほど進んでいないコンピュ−タでのデ−タ処理をした。
 24日目も朝は曇り空であったが、晴れたり曇ったりで、暖かい一日であった。前から約束してあったFご夫妻との釣りにバ−レイ・ヘッズ(Burleigh Heads)におやつと昼食持参で出かけた。そこはバ−ベキュ−をする設備のある海岸から少し入った運河沿いで公共トイレも近くにあり、便利な所であった。今回はバ−ベキュ−をする手間をかけないようにとの配慮から、昼食持参となったのである。あいにくの引き潮の時間帯であったため、魚釣りには決してよい条件ではなかった。筆者、息子、友人(Mr. F)の3人で挑戦したが、残念ながら白鱚1匹、チグ2匹、河豚1匹という結末で午後2時過ぎに引き上げた。近くにいた多くの釣氏たちもほとんど釣れていなかったので、仕方ない状況とも言えよう。河豚がかかった時、息子は大喜びだったが、飲み込んだ針を取ろうとすると、大きく膨らみ、怒った目つきになり、命耐えてしまった。針を取り除くや否や逃がしてやろうと思っていたので、なんともかわいそうであった。その後、帰路途中のマ−メイズ(Mermaids)というカフェ・レストラン・バ−に立ち寄り、お茶を飲みながら団欒し、来年の再会を誓って別れた。
 一端、帰宅後、シャワ−を浴び、トランプをしながら時間を潰し、夕方の別の友人家族(The Ts)とのデイナ−時間を待った。デイナ−に出かけたレストランはサウスポ−トのオ−ストラリア・フェア手前にある橋の左手にあるリベ−ジ・ロイヤル・ビル(Rivage Royale Building)内のスパルゴス(Spargo's)という名のイタリア料理中心の高級感のあるシ−フ−ド・レストランであった。日本人向けの豪華版ツア−には組み込まれているらしく、多くの日本人が食していたが、ある程度の時間が過ぎると、あっという間にいなくなり、我々とその後からやって来たオ−ジ−たちだけになった。前菜からメイン、そしてデザ−トもワインも美味しく、フレンドリ−な雰囲気の中、質・量とも満足できる内容であった。色々な味を堪能すべく、種類を多く注文し、皆で分け合って食べた。機会を見つけては行きたいレストランの一つである。食事後は、息子がその友人宅にお泊りに出かけたので、その場で別れた。
 25日目は、筆者は早朝から友人(Mr. M)とのゴルフに出かけた。難しいコ−スでもあり、伝統あるロビ−ナ・ウッズ・ゴルフ・クラブでである。鹿児島出身の日本人妻を持つオ−ジ−・ビジネスマン(Mr. J)が加わり、3人で回った。そのオ−ジ−は子供の頃からゴルフをしていたというだけあって、とても上手であった。筆者のスコアは言うまでもなく100を切れない状態で池にも入れて幾つかボ−ルもなくした。楽しくゴルフすれば良いというものの、もう少し練習して上達したいものである。午前中にラウンドは終わって滞在先に戻ったが、妻は掃除洗濯などをしながら、待っていた。息子がお泊りした友人宅へ行く途中、オ−ストラリア・フェア内のフ−ド・コ−トでお昼の中華麺を食べ、しばらくブラブラした。友人宅へ着くと、仕事途中で休憩中の友人がいて、コ−ヒ−を飲みながら、夕方まで団欒した。夕食は息子の現地の友達たちが集まってくれて一緒に食事をしたり遊んだりしたベノワ・タバ−ン(Benowa Tavern)へ出かけた。ライブ・ミュ−ジックで少し騒がしかったが、かなりのオ−ジ−たちで混んでいた。予約しておいたので、テ−ブルは確保できていたのが幸いした。親達はワインを飲んだり食事をしながら、1年ぶりの会話で盛り上がった。子供たちは食事も済ませるやいなや遊び回っていて、咽が乾いた時だけ戻ってくるような状況で10時頃まで大騒ぎであった。さすがに疲れたらしく、帰宅後シャワ−を浴びてすぐに寝てしまった。
 26日目は帰国前日となり、筆者はすごい土砂降りの中、長期借りたレンタカ−の返却、一日レンタカ−への変更、携帯電話の返却などに早朝から動きだした。妻は朝から掃除洗濯に追われていた。キッチンも綺麗にしていく関係上、料理はしないことにして、朝食は筆者が帰路マクドナルドの朝食メニュ−を購入して持ち帰り、食べた。昼食も息子と一緒にオ−ストラリア・フェアに行き、済ませ、妻にはKFCのチキンを持ち帰った。午後4時過ぎに滞在先を去り、一路ブリスベンへと向かった。アッパ−・マウント・グラバット(Upper Mt. Gravat)のP友人夫妻に夕食に招かれていたからである。途中、近くのモ−テルにチックインして、友人宅に行った。息子は前日からの疲れが出たのか、車に乗ると寝てしまい、友人宅に着いても寝たままで、食事もせずにソファに寝かせたままであった。P友人夫妻には4人の子供がいるが、そのうち2人の息子たち、さらに前の家に住む夫妻も加わり、食事をしながら様々な話題で楽しい一時を過ごした。
 27日目は帰国日である。早朝モ−テルを出て、国際空港へ向かった。国際空港近くでガソリンを補充し、まずレンタカ−を返却した。ところが、出発時、変更されたブスリスベン〜シドニ−便は国内線からのものであり、国内線タ−ミナルへ移動しなければならなかった。そこから直接国際線に乗れた方が便利なのであるが、満杯状態で変更はできなかった。幸いに大きな荷物類はそこから関西国際空港まで遅れたので、少し楽になった。シャトル・バスで移動し、国内線タ−ミナルに着いてから、カフェテリアで軽い朝食を取った。しばらく、そこで待たなくてはならなかったが、息子は朝の漫画時間帯であったので、テレビの前で時間を潰せた。出発が20分ほど遅れ、少し焦らされた。というのも、シドニ−で国内線から国際線への移動もあり、時間的余裕があまりなかったからである。その心配は見事に的中。出国手続をした後は、空港内を少し走りながら、ゲ−トへと向かった。なんとか間に合ったが、搭乗するのに長蛇の列。というのも8月30日でもあり、我々も含め、多くの夏休みを終えて帰国する家族連れで一杯であったのと、カンタス航空と日本航空の合同運行便ということもあって、大変混んでいたからである。お昼過ぎに飛び立ち、順調に飛行し、夕方8時過ぎ関空に着陸。日本に近づく飛行機の中にいる時から暑さを感じていたが、関空に下り立った途端、残暑厳しい日本に帰国したんだなと感じ、朝までいたオ−ストラリアの快適さを懐かしみながら、現実の世界を認識せざるを得なかった。


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