初めての韓国旅行:「近くても疎遠な国」から「近くて親密な国」へ

ふとしたことから友達の和が広がり、友好を深める機会が訪れることがある。筆者が韓国のソウル市での学会参加(平成7年10月28〜29日)のため、初めて渡韓しようと計画したら、筆者と家族が滞豪中に知り合ったソウル在住の知人に連絡してみようということになり、手紙で連絡をしてみると、すぐに返事が来て、現地で再会することになった。

第一日目

車で1時間半のドライブで名古屋空港へ向かい、近くの駐車場(1泊千円)へ車を預けた。名古屋空港からわずか1時間45分で到着したソウルの金峰(キムポ)空港は「キムチの臭いがするぞ」などと偏見に満ちた人が言う否定的なステレオタイプのイメ−ジを一新するが如く、きれいな現代的な空港であった。しかし、一歩外に出ると工事があちらこちらでされており、まさに高度成長期の日本の時のように、人々が忙しく働いていた。宿泊した特級ホテルの一つホテル新羅(Hotel Shilla)からのリムジン・タクシ−で空港を出て、ソウル市街に近づくにつれ、まず第一に驚かされたのは、その車の多さである。道路は片側4〜5車線と広いのであるが、次から次へと他の道路から入り込んでくる車、車でごった返していた。地下鉄など公共交通網の整備の遅れが多分に影響しているのだと思われる。また、車はほとんどが韓国産車で、時折日本車以外の外車を見かけた程度であった。

ホテルに到着して、運転手にチップをやろうとしたら、その場にいたボ−イが「本ホテルはチップのシステムはございませんので、結構です。」と言ってくれた。「ホテル宿泊料金にサ−ビス料が含まれるのであるから当然のことか」と思ったが、明確で結構なことである。部屋で少し休んだ後、約束してあった友人と会うため、ロビ−に降りていった。約束時間にぴったりにその知人が彼の友達と一緒に現れた。日本語あるいは朝鮮語のどちらかでコミュニケ−ションする程、どちらも流暢でなかったので、不十分ながら自然と英語でのコミュニケ−ションとなった。車で市内を案内してくれるとのことで、その好意に甘え、乗車した。彼自身も運転は、それほど経験豊かではなかったように見えたが、まあそれは任せるしかない。土曜日の午後で車でごったがえす市内を彼の友人にナビゲ−タ−役をしてもらいながら、運転してくれた。最初にソウル・タワ−へ向かった。混んでいる細い坂道をかなりの時間をかけて登ってきたある地点で、曲がる交差点を間違えてしまった。もう一度降りてから同じ道を登ってくることを考えて、取りやめてもらった。

次に訪れたのは、朝鮮王朝を建国した李成桂によって1392年に建てられた最初の正宮であり、壬辰の乱(1592)よってほとんが焼失してしまったが、10棟余りが残っている史跡である景福宮(キョンボッグン)であった。残念ながら1日に2回しかない日本語通訳の付いたツア−は終わってしまっていたので、しばらく待った後、約1時間くらいかかった朝鮮語によるツア−に参加した。友人がおおよそを英語で説明してくれ、不十分であったが、英語と朝鮮語で書かれている掲示板を読むなどして補い、なんとか理解できた。豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に、襲われ焼失してしまったなどという説明を読むと、なんとなく心が暗くなったが、事実は事実として認識しておかねばなるまい。あちらこちらで修復作業が行なわれていて、史跡を保存していこうという熱意が伝わってきた。

そうこうしているうちに、夕暮れになってきたので、夕食を取ろうということで、夕方のラッシュで混んでいる道を走り、現大統領の家の近くにあり、現地の人々に人気のある韓国料理のレストランへ行った。予約をしていなかったこともあり、予約客で一杯のため、グル−プがやって来る前の1時間という時間制限で、牛の骨付きあばら肉をタレで味付けしてあるものを金網で焼きハサミで切ってもらって食べるカルビグイや牛肉の薄切りを甘いタレにつけて鉄板で焼くプルコギを中心に食べた。旬の様々な野菜を使ったキムチも出され、大変美味しかったが、残念ながらレストランの名前は覚えていない。ここで、その友人たちの食べ方に興味を持った。彼らは若い青年であったが、伝統を重んじる韓国ならではの行動を基本的にしていた。それ故、「食べる時にお椀などを手に持って食べない」という習慣があると理解していたが、何と手に持って食べたのである。「どうして慣習に従わないの?」と聞くと、「若い人たちにはそういった慣習は気にせず、手に持って食べるだよ。私もそうなんだ。」という答え。新しい世代によって文化も少しずつ変化していくものである。 食事後は翌日の予定もあったので、混んでいる道をしばらく走り、ホテルへ送ってもらった。

ソウル市内は、民主化されたとはいえ、いまだ政治的な不安定さや活発な学生運動の影響もあってか、あちらこちらに機動隊がいて、少し緊迫感を感じたのは否めない。

第二日目

筆者は学会へ参加するため、一人で目的地の私立の名門大学の一つ延世大学(Yonsei University)へ地下鉄を乗り継ぎ行き、一日を過ごした。地下鉄はハングルと英語で書かれているし、週末ということで混み具合も緩やかだったせいか、快適だった。しかし、地下鉄乗り場は結構深い所にあり、日本ほどエスカレ−タ−が普及していないようで、階段を上り下りしなければならなかった。しかし、ホテル近くの東大(Dongguk University)入口駅から学会会場近くの新村(シンチョン)駅まで片道130ウオンで大変安く、時間もかからず行けたので、便利な乗り物と言えよう。唯一問題があったのは、間違えて出口を出てしまうと、日本のようにキップを手渡して出入りできる所がないので、自動改札口から再度入れないようになっていて、戸惑った。しかし、それもすぐに解決方法を見いだした。現地の人たちも同じような間違いをしていたのだが、平気で下をくぐり抜け、再び入ってしまう方法を見習ったのである。

一方、妻と息子は、友人と婚約者による案内により、世界最大級の室内テ−マ・パ−クとホテル、劇場、民族館、ショッピング・モ−ルなどあらゆる施設を備えた遊びと文化の超大型シテイ・リゾ−トであるロッテ・ワ−ルドへ遊びに行った。冒険と神秘の国をテ−マにしたアドベンチャ−とマジック・アイランドでは、乗り物や劇場、ゲ−ム、ショ−などでたっぷり楽しめるが、4人であちらこちらと動き回って楽しんだようである。

夕方にホテルで待ち合わせた後、ホテルで韓定食(ハンジョンシク)を堪能した。韓定食は、朝鮮王朝時代の宮廷料理の流れを組むフルコ−ス料理で、テ−ブル一杯に並べられた料理が実に豪華であった。もちろん、値段は高かったが、味は超一流で大変美味しかった。夕食後は、2日間も世話をしてくれた友人と婚約者にお礼を告げ、再会を約束し、ロビ−で別れた。

第三日目

筆者は再び学会へ参加したが、妻と息子も会場へ行って午前中時間を過ごした。午後のプログラムはそれほど魅力的なものがなかったこともあり、すこし遅めの昼食を取るため、新村駅近くのレストランヘ行った。ガイドブックに載っていた日本語も英語も通じない地元の人向けのレストランを探し、ス−プの入ったあっさり味の冷麺(レンミョン)を食べた。

その後は、地下鉄で明洞(ミョンドン)駅まで行き、そこから1398年に都の城門の一つとして建てられ、現存する朝鮮最古の建物である南大門(ナムデムン)まで歩いた。そして、そこから少し足を伸ばし、地元の人々や観光客でごった返している南大門市場(ナムデムンシジャン)へ向かった。1日に50万人もの人々が行き来するという場所であることから、その熱気は一言では言い表せないくらいだった。食料品、衣料品、皮革製品、アクセサリ−など格安で多彩な商品が所狭しと並べられ、かき分けるように歩いた。特にその7割を占めるという衣料品は大変魅力的な値段のものばかりであったが、偽物も混じっており、購入予定もなかったので、見て回っただけであった。息子は、食料品の店の中で、豚の頭が並べられている様子に驚いたようであった。なんとも笑っている顔のままの頭がいくつも店頭に並んでいる風景を今でも思い出してしまう。ここでは、シ−ズンも終わりになりつつある時期で、やや高めではあったが、お土産に持ち帰ってきた韓国産マツタケを購入したのみであった。

少しいやな思いをしたのは、日本人観光客だと分かってしまうせいか、「社長、安いよ!」という声があちらこちらから飛び交ってくることであった。皆が皆「社長」ではないのであるが、そこは商売である。「社長」という言葉でお客を持ち上げて、少しでも売り上げを伸ばしたいというのであろうか。

そして、再び地下鉄でホテルに戻り、休憩した後、夕方1時間置きにホテルのバスによる送り迎えが出ている南山の南麓に広がる商店街で、米軍基地に隣接している梨泰院(イ−テウオン)ヘ出かけた。横文字の看板も多く、外国人の姿も目立つ国際的な雰囲気をもつ場所である。皮革製品、ジ−ンズ、毛皮、オ−ダ−メイド衣料品、靴などの店が多く、高級品が免税扱いで購入できるのである。筆者は必要であったテニスシュ−ズを購入したが、ブランド商品であったため、値引きはしてもらえなかった。夕食を食べなければとあちこちと探して、ある韓国料理レストランに入り、韓国式混ぜご飯の石焼きビビンパップや、ひな鳥のおなかにもち米、なつめ、ニンニク、高麗人参を入れて長時間煮込んだス−プ仕込みの鶏煮込み料理である參鶏湯(サムゲタン)を食べた。栄養満点で、美味しかった。食後は、最終バスの時間まであちらこちらを歩いて、ウインドウ・ショッピングを楽しんだ後、ホテルに戻った。

第四日目

帰路の飛行機がお昼頃であったので、チェックアウト後、荷物を預けて、ホテルからはそれほど遠くはなかったので、手芸品、陶磁器類、レジャ−用品、衣類、寝具などを売る専門店街といった東門市場(トンデ−ムンシジャン)ヘタクシ−で行ってみた。南大門市場より混んでいないが、次から次へと小さな店が沢山あり、迷宮みたいな市場の集合体である。息子のゲ−ム・キャラクタ−の帽子とちょっとしたお土産品を購入しながらの散策であった。ホテルへ戻って、預けてあった荷物をピックアップし、再びホテルのリムジンで一路空港へ向かった。

滞在したホテルは世界でもトップ50に入る特級ホテルということで、ホテルで働く人々の笑顔を絶やさない愛想の良さに加えて、サ−ビスの良さも好印象をもたらした。朝食付きのセミ・エキュゼキュテイブ・ル−ムであったことから、一流の朝食が同じフロアのラウンジでビュッフェ・スタイルで自由に食べられ、夕方には、お酒やコ−ヒ−などが自由に飲めるハッピ−・アワ−・タイムもあり、家具など調度品も立派なものばかりで、大変快適な宿泊となった。また、そのフロア・マネジャ−がいて、支払いもフロントまで降りてする必要もなく、空港へのリムジン・サ−ビスの手配や飛行機の予約確認もしてくれた。再びソウルへ行くとしたら、もう一度宿泊したいホテルとなってしまった。

忙しい10月末の週末を挟んだ初めてのの韓国3泊4日の旅であった。短い異文化体験であったが、これまでのイメ−ジが一新させられてしまったばかりか、再度の訪問をしたい国の一つに加わってしまった。それほど魅力的な異文化を持つ国の一つであると言える。次回はいつになるか分からないが、別の友人がいる釜山へ行ってみたい。


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