Maori culture is the basis of New Zealand

緑の楽園ニュ−ジ−ランド旅行8日間

はじめに


欧州との恋愛関係という旧体制から離れ、オセアニアはアジアとの友情関係を親密にさせながら、アジア経済圏の一員となろうとしている。農業と牧畜あるいは観光を主たる産業とする国として知られているニュ−ジ−ランドは、日本とも密接な関係にある。今回初めて南半球に位置し、日本とは季節が逆で時差は4時間しかない緑の楽園と言われる人口370万ほどとはいえ、本州くらいの大きさのあるニュ−ジ−ランドへ旅行する機会を得た。父が関係するブリジストン工業販売関連会社の海外研修旅行(1993年11月13日〜20日)に便乗したのである。

クライストチャ−チ(Christ Church):11月13日(土)〜14日(日)


新東京国際空港(成田)に完成したばかりの第二空港タ−ミナルから出発し、約11時間かかって最初の滞在地の南島最大の都市とはいえ人口37万人余のクライストチャ−チに到着した。到着するや否や入国審査を済ませ、必要なドル交換をしようとしたところ、狭い空港内に1つしかない銀行窓口は大変な混雑ぶりで、とてもスケジュール的に時間がとれない状況であり、円チェックなど交換できる最初の訪問場所である空港近くの国際南極センタ−(International Antarctic Centre)で買い物をするなどしておつりをもらい、現金化するように薦められた。南極探検のベ−スとなる米軍基地に隣接している所にあり、ニュ−ジ−ランドの南極探検の歴史や国際協力が理解できる興味ある所である。クライストチャ−チを案内してくれた現地ガイドは日本語が大変流暢で、地元の日本語コ−スを履修した後、関西でしばらく滞在していた経験もある女性で、感心させられた。しかし、ここで体験した異文化衝突は一考する価値があると思う。

エピソ−ドその1


我々のグル−プは総勢20数名であったが、このセンタ−の見学中は少人数のグル−プに分かれながら動き回っていた。私は最後あたりをついていったのだが、前を行くガイドがやや大きな日本語で説明をし続けていたところ、ゆっくりと家族で見学にきていた多分アメリカ人たちが、「うるさいな、(自動的に英語で流される)説明が聞き取れないなあ。」とぼやいていた。日本人に限らないことであるが、とかく団体行動をする場合、他の人々の存在を無視して行動しがちである。十分に配慮して行動しなければならないだろう。 この後クライストチャ−チ市内の著名な公園を訪れた後、中心部へと移動した。カンタベリ−大学(The University of Canterbury)は夏休み中ということもあり、キャンパス内を専用バスで素通りしながら、閑散とするキャンパスの一群の建物などを見たに過ぎなかったので、残念であった。広大な公園の隣接するカンタベリ−博物館を見学する機会もあったが、団体旅行の宿命である短時間多目的地訪問という枠の中では仕方ない30分ぐらいの滞在予定であったので、筆者は近くで開催されていたArt Festivalの方へ出かけた。パリのモンマルトルの丘で見かけたように、自画像を白黒かカラ−で描いてくれる絵書きビジネス、ロンドンで見かけたノミの市のような雰囲気で様々な手工芸品を売るビジネス、楽器を奏で何らかの小銭を得る音楽ビジネス、全くの余興で自分の特技を舞台で演じる者など何とも楽しい雰囲気で溢れかえっていた。筆者が訪れた時、日本の若者の一人がマイクを握り、得意のハ−モニカを使ってカントリ−・ミュ−ジックを演奏していた。ちょっと聞いただけでその場を去ってしまったので、そのパフォ−マンスがどのような結果であったかは分からない。

そこから移動して、とんでもなく広い公園(東京の日比谷公園の16個分あるいは東京ド−ムだと38個分の大きさ)のハグレ−公園(Hagley Park)を訪れた。この公園は大きく南北2つに分けられ、それぞれにスポ−ツ施設があり、憩いの場所となっている。時間の関係で、我々は北ハグレ−公園の一角で蛇行するエイボン川(Avon River)に挟まれた30ヘクタ−ルもある植物園(Botanical Garden)をしばし散策した。エイボン川は澄んだ水をたたえ、とてもきれいな川で、川の両側は芝生が敷きつめられ、沢山の柳の飢餓植えられていた。この川をのんびりとゴンドラに乗って船遊び(Panting)をする風景が何とも異国情緒があってよい。新婚さんカップルや恋人同士には特にお奨めである。

次に訪れた所は、クライストチャ−チ市内が一望できるカシミア丘(Cashmere Hill)の中腹にある展望台とその近くにあるチュ−ダ様式の建物を利用したレストランのサイン・オブ・タカヘ(Sign of the Takahe)であった。展望台は小さな案内板があるだけの所であったし、ハワイのオアフ島の観光名所の一つヌアヌパリを思い出させるくらい風が非常に強い場所であった。窓から雄大なパノラマを眺めながらのレストランでの食事は、最初の昼食でもあり、ニュ−ジ−ランドならではの美味しい料理が並べられ、好きなだけ食べれるバイキング・スタイルであった。機中泊での睡眠不足ということもあり、あまり食欲はなかったので、おかわりはしなかったが、一通り試してはみた。

早めにホテルへチェック・インをして、各部屋で夕食までリラックスすることになったが、仮眠をするような時間もないと判断したので、整理が付き次第、繁華街へ父と出かけた。ホテルが最高級レベルで、中心地にあるパ−ク・ロイヤル・ホテル(Park Royal)ということもあり、繁華街へはビクトリア女王の像を中心とした美しい広場であるビクトリア・スクエア(Victoria Square)を斜めに横切って歩いて5分ぐらいであった。この広場には、キャプテン・クックの像、花時計、そしてタウン・ホ−ルがある。残念ながら、花時計の花は今一つの状態であった。日曜日ということもあり、開いているのはおみやげ屋やレストランぐらいなものであった。街のヘソにあたる所にあるゴシック様式の教会である大聖堂(The Cathedral)へも行った。英国のウエストミンスタ−大聖堂などに比べると規模は小さいが、回りの近代的な高い建物に囲まれながらも、堂々とした威厳を示しているのが良かった。なんとも夕食はホテル内のレストランではなく、真向かいにある中華レストランのシャングリラで、スタンダ−ドのコ−ス料理を注文したということであったが、どれも美味しいものばかりで、量もあり、やや食べ過ぎた感がした。

ホテルのロビ−が小さめではあったが、部屋はなかなかインテリアもよく快適なものであったし、サ−ビスも行き届いていたと思う。例えば、小さい箱に入ったチョコレ−トがル−ム・サ−ビスからのメモを付けてさりげなく置いてあったりした。チップなどいらないのであるが、父など「こんなサ−ビスを受けると、何故か枕元にチップを置いておきたくなるなあ。」と言って置き、小さい紙切れで折り紙の鶴を作って、ランプ・テ−ブルに置いて感謝の気持を残していた。どんな番組が放映されているのかと、テレビをつけてみると、やはり予想どおりCNNは見られるチャンネルがあるが、その他には3チャンネルしかないし、あまり面白そうな番組をやっていなかったので、CNNのニュ−スだけを見た。

翌朝の朝食は、ホテルのレストランで、やはりバッフェ・スタイルのものであり、日本人向けに用意されたと思われる御飯と味噌汁もあり、豊富な種類の中から好きなだけ食べられるものであったが、それほど食欲もなく、簡単に済ませた。


ワナカ(Wanaka):11月15日(月)〜16日(火)


翌朝は朝7時出発で、夏は水泳やボ−トや釣り、冬はスキ−にと訪れる観光客の多いリゾ−ト地であるワナカ湖(Lake Wakana)の一角にあるワナカの街へ専用バスで向かった。数えきれない程の羊や鹿がのんびりとしかも我がもの顔でいる広い牧場を左右に見ながらの長距離バスの旅である。ニュ−ジ−ランドらしい美しい自然風景といえばそうなのであるが、カンタベリ−大平原の単調な風景にややうんざりしながら、添乗員の説明を聞きながら旅したのである。途中ではマウント・クック(Mt. Cook)の裾野にひらけた高原地帯のマッケンジ−・カントリ−(Mackenzie Country)の中心となる美しい氷河湖であるテカポ湖(Lake Tekapo)を訪れた。石と樫の木で建てられ、小さくても有名な「善き羊飼いの教会(Church of Good Shepherd)」では記念撮影をしたり、しばしミルキ−・ブル−の水を満面にたたえたテカポ湖を眺めながら休憩した。その後、マウント・クック国立公園へと向かった。「南半球のスイス・アルプス」の別名で親しまれているサザン・アルプス山脈は、最高峰3,767mのマウント・クックと19峰の山々から形成されている。タスマン氷河(Tasman Glacier)に着陸できるスキ−・プレ−ン(skiplane)やヘリコプタ−の遊覧飛行の飛行場などに近いハ−ミテ−ジ・ホテル(Hermitage Hotel)にてバイキング式の昼食を取った。食事後、8人乗りのセスナ機による遊覧飛行に挑戦したが、風が強く曇り空というあいにくの天候だったため、氷河には着陸できなかったが、しばし自然が作り出したその雄大な景観を楽しむことができた。日本ではまだ考えられない状況であるが、パイロットは飛行時間の長いベテランで女性であった。 Mt. Cook is one of the greatest mountains.

その後に、マウント・クックから約4時間半ぐらいかけて目的地のワナカへ行った。宿泊したホテルは、ワナカ・エッジウオ−タ−・リゾ−ト(Wanaka Edgewater Resort Quality Inn)で、テニス・コ−ト、スパ・プ−ル・サウナ、それに洒落たレストランやパブがあり、いかにも避暑地にふさわしいたたずまいのホテルであった。夕食の時間まで父と一緒に近くの湖畔を散歩しながら静かな一時を楽しんだ。夕食では、鹿肉のベニソン(Venison)を初めて味わったが、やや固めの肉で、それほど美味しいとは思わなかった。同席したマオリ系バス運転手にビ−ルを一杯御馳走しようとしたら、「いいや、自分のものは自分で払うさ。」と言って断られた。誇り高きマオリ民族の振る舞いの一部でだったのであろうか。


クイ−ンズタウン(Queenstown):11月16日(火)〜17日(水)


翌日も朝食後、専用バスにてクイ−ンズタウンへ移動した。短時間滞在の駆け足見学ではあったが、途中立ち寄った所は、本場のバンジ−ジャンプ・ポイントで有名なカワラウ川(Kawarau River)の吊橋やゴ−ルドラッシュの時にはかなり盛況であった金鉱の街のアロ−タウン(Arrowtown)である。 カワラウ川では時間がなかったこと、バンジ−ジャンプをする勇気も持ち合わせていなかったこともあり、木の橋から崖沿いに清流に向かって下へ43メ−トルも人が飛び降りるのを見て、その風景を背景にした写真を取ったりした後、記念にTシャツを買い求めただけだった。ちなみに、このバンジ−ジャンプをするには、各自が飛び降り始めから終わるまでの記念ビデオテ−プ1本とTシャツを含んでいて当時80ドルを支払う必要があった。次々と挑戦する者の多さから考えると、何ともよいビジネスではないか。また、どうも日本人観光客の中では若い女性の方が男性よりもよくバンジ−しているらしい。勇気ある日本男児はどこへ行った。(筆者もその一人なのだが。。。。)

アロ−タウンでも滞在時間が30分しかなく、急ぎ町を歩き回ったが、一番時間を取ったのは金発掘時代の歴史や技術を学べたりできた博物館であった。その他数件のお土産屋さんを少し見て回っただけで、再びバスへ。

次に訪れたのは、ジェット噴射を利用して最高時速80kmのスピ−ドで浅瀬を突っ走るショット・オ−バ−・ボ−ト(Shotover Boat)と呼ばれるジェット・ボ−ト(Jet Boat)乗り場であった。バンジ−やラフテイング(Rafting)に比べると、ずっとおとなしい類の楽しみ方であるが、そのスピ−ド感は相当なものである。回転性能にも優れ、高速からのタ−ンや停止が容易で、大きな岩にぶつかりそうにスレスレを走り抜けたり、急流の上を飛ぶように走るのである。まさしくジェット・コ−スタ−に乗っているような興奮が楽しめる。この旅行中、最高の興奮が味わえたと思う。

S字型をしたワカテイプ湖(Lake Wakatipu)の北岸に面し、有数のリゾ−ト地であるクイ−ンズタウンへ到着したのはお昼ちょっと前で、昼食を中華料理店マンダリン(Mandarin Restaurant)で取った後、クイ−ンズタウン・パ−クロイヤル・ホテル(Queenstown ParkRoyal)にチェックインした。午後は自由行動でクイ−ンズタウン・モ−ル(Queenstown Mall)を中心に市街を散策した。


エピソ−ド2


市街の散策中にあるお土産屋さんに寄った時、応対に出た従業員に「沢山数を買うので少しまけて」と言ったら、ボスを呼んできた。そのボスは静岡県浜松市に数年住んだことのある日本語が流暢なオ−ストラリア人であったが、交渉して少しまけてもらった。「恐れ入りますが、値引きは難しいのですが」と丁寧な日本語で応対され、「おっと、これじゃ無理かな」と思った。価格通りに買うことは簡単だが、義理土産用だし、できるだけ出費を少なくしようと値引き交渉を続行した。話が打ち解け、父が他の高級品も数点購入したこともあり、少し値引きしてくれた。努力せずに諦めることなかれを再度痛感した出来事であった。

夕食は夜景を楽しみながらということで、ホテルから少し歩いて町の北側にあるボブス・ヒル(Bobs Hill)へ行くためにロ−プウエイ乗り場に向かった。時間があり脚力に自信のある場合は歩いて登ることもできる場所でもあるが、我々はロ−プウエイを使った。440mの高度差を3分で登ってしますのであるから、大変便利である。箱庭のようなクイ−ンズタウンの町並みやサザン・アルプスに囲まれたワカテイプ湖が一望できる頂上にはスカイライン・シャレ−(Skyline Challet)と呼ばれる建物がある。その中の展望レストランにて典型的なバイキング料理を食べた。確かにとても印象に残った景色で、もう一度行くなら是非行きたい所の一つである。


フィヨルドランド地方(Fiordland Area):11月17日(水)


クイ−ンズタウンから早朝の出発で一日がかりのバス旅行をした。まず最初に行ったのはフィヨルドランド国立公園で、ニュ−ジ−ランドでは2番目に大きいテ・アナウ湖(Lake Te Anau)、ミラ−湖(Lake Miller)、カスケ−ド・クリ−ク(Cascade Creek)、ホリフォ−ドの谷(Hollyford Valley)を経由しながら美しい風景にうっとりとした。初夏にも拘わらず、途中の高い山々にはすこし残雪があった所もあった。大型バスでは同時に通過できないような薄暗く長いトンネルを通って氷河の入り江で有名なミルフォ−ド・サウンド(Milford Sound)へ約4時間かけて行ったのである。

相当な人数の観光客がきており、氷河の入り江を遊覧する船乗り場付近は、沢山の観光バスや車で一杯であった。到着するや否や予約してあった遊覧船に乗船し、外海との接点となるアニタ湾(Anita Bay)往復の船旅を楽しんだ。途中、昼食が出され、狭い中で4人掛けのテ−ブルで食事をした。食事後は各自デッキに出たりして、途中の美しい風景をバックに写真を取ったりして、ドイツ人観光客などそこで出会った人々との会話を楽しんだりと様々なスタイルで2時間の船旅を満喫した。ヨ−ロッパや北アメリカなどでないと見られない氷河がこのニュ−ジ−ランドの南島で見られるとは本当に感激であった。

遊覧後は乗船前の指示通り、すぐにバスに戻り出発し、クイ−ンズタウンへと戻ったが、長いバス旅に筆者も含めて皆疲れたようで、帰りのバスの中は寝ている人が多かったようである。夕方には同じ宿泊ホテルに戻り、しばしの休憩後、夕食となった。ホテルでの夕食はステ−キ中心のものであったが、すべてきれいにたいらげてしまうほど美味しいものばかりであった。


ロトルア(Rotorua):11月18日(木)

翌朝はホテルでの朝食後、専用バスによってクイ−ンズタウン空港へ行き、アンセット航空を利用して、クライストチャ−チ経由で北島の最も人気のある観光名所であるロトルアへ移動した。飛行中にはコックピットのドアが開かれ、誰でも希望すれば中が覗けた。もちろん、筆者もその中を見せてもらった。さらに美しい女性乗務員も一緒に写真を取らせてくれたりと、サ−ビス精神旺盛で感心させられた。ちなみに昼食は機内食であったが、これもまたそれなりに美味しかった。

町全体が大地熱地帯(Thermal Reserve)の中心に位置している温泉の町であり、別府と姉妹都市関係にあるロトルアに到着後は市内観光となり、ダウンタウンの北の外れにあるオヒネムツのマオリ村(Ohinemutu Maori Village)、大地熱地帯ファカレワレワ(Whakarewarewa)のシンボルである間欠泉(Geyser)、珍鳥キウイが見られるレインボ−&フェアリ−・スプリングス(Rainbow & Fairy Springs)、羊の毛刈りショ−などをするレインボウ・ファ−ム(Rainbow Farm)などを見学した後、シャラトン・ロトルア・ホテル(Sheraton Rotorua Hotel)にチェック・インした。

マオリ村に入ると、復元広場、集会場、戦闘用カヌ−などの展示物が見られ、彼らの文化を学ぶことができるようになっている。南太平洋の諸島から移り住んだ先住民族で勇敢なマオリ族がその昔人食い人種だったとは知らなかった。ニュ−ジ−ランドの独立が隣国のオ−ストラリアより50年近く遅かったのは、こういったマオリ族の先祖達の妥協がなかなか得られなかったのが原因のようだ。

そこからしばらく歩いていくと、湯気の立つパレンガ・ストリ−ム(Purenga Stream)があり、ファカレワレワのシンボル的存在である間欠泉地帯(Geyser Flat)がある。いくつもあるのだが、その中でも時に30mもの高さまで吹き上げるというポフツ間欠泉(Pohutu Geyser)が目玉である。一日に8回程お湯を吹き上げるとのことだが、運良く帰り際にその過ぎ迫力あるシ−ンが見られ、大変感激した。

レインボ−&フェアリ−・スプリングスは、世界でも珍しい種類のマスやシダ類を中心とした36,000坪もある動植物園である。大変きれいな湧き水がでており、泉の底の砂が舞い上がってくる様子はなんとも神秘的であった。

レインボ−&フェアリ−・スプリングスとは道路を挟んだ向い側にあるレインボウ・ファ−ムでは、牧羊犬、羊の毛刈り、牛の乳搾りなどを紹介されるショ−で、観客の一部もそれらの中で乳搾りや子羊へのミルクを与える実体験ができる楽しいショ−を見た。残念ながら、到着がやや遅れたため、牧羊犬のデモだけ見逃した。ヘッドホ−ンを付ければ、日本人ガイドによる同時解説も聞けるが、筆者はもちろん生の英語で説明を聞いた。多少のなまりはあったが、割合理解しやすい英国調のニュ−ジ−ランド英語であった。

その後、設備、雰囲気ともロトルア一番との評価を得ているシェラトン・ロトルア・ホテル(Sheraton Rotorua Hotel)にチェック・インした。夕食までしばらく時間があったが、希望者はガバメント・ガ−デン(Government Gardens)の南隣にあるポリネシアン・プ−ル(Polynesian Pools)の公衆プ−ルに水着着用で入れるということであったので、一部参加者がいた。いくら温泉好きの筆者と父ではあるが、30分くらいの時間制限内で慌ただしく入浴するのは大変だったので、筆者と父は入浴を取りやめ、バスで連れていってくれるとのことであったので、そのバスを利用して途中で降ろしてもらい、歩いて帰れる距離にあったあるショピング・センタ−で気ままなショッピングを楽しんだ。ここでお土産に買った子供向けビデオテ−プが、英国連邦では標準のPAL方式であったにも拘わらず、気にせず安いからと購入してしまい、帰国後北米や日本のNTSC方式への変換に時間と労力を取られる結果となった。その場にいた店員に聞いてもよく分からなかったので、日本の方式でも再生できるという思い込みが正確な判断を鈍らせてしまったのであった。

夕食は宿泊したホテルの大きなホ−ルでのマオリ・デイナ−・コンサ−トであった。マオリ族の歌と踊り、ハンギ料理の組み合わされたデイナ−・ショ−である。このホテルのデイナ−・ショ−は有名であるらしいが、筆者の印象は今一つといったものだった。というのもハワイでのポリネシアン文化センタ−(Polynesian Culture Center)でのデイナ−・ショ−を何度かみていたせいかも知れない。食事はバイキング・スタイルで、マオリ名物のハンギ料理が中心で美味しかった。

A memorable photo with my father after the Maori show


ワイトモ鍾乳洞(Waitomo Cave)とオ−クランド(Auckland):11月19日(金)


宿泊ホテルでの朝食・チェックアウト後は専用バスにて北へ北へと走り、途中でトイレ休憩をした後、ロ−ズランド・ファ−ム(Roseland Farm)で昼食となった。いわゆる「青空バーベキュ−」で、そこの牧場主の息子なる人物がステ−キを焼いてくれ、その他はバイキング方式で美味しく食べた。日本人観光客が多いせいか、ギフトショップなどにほんへ行ったことのあり、日本語を上手に話せる若いキュウイたちが多かった。 昼食後はワイトモ鍾乳洞へと移動した。ここは世界の八不思議と言われる発光動物の一種である土ボタル(Glow Worm)が棲息し、公開されている鍾乳洞である。多くの団体客などが来ていたため、かなり待たされたが、一目に価する美しい青緑色の光景が暗やみの中で見られるのである。20人ぐらいづつ専用ボ−トにのりながら見学するのであるが、沈黙と真暗闇の中に神秘的に光を放つ土ボタルたちの生きざまは何とも言えない感銘を与えてくれた。土ボタルの発光現象の仕組みは、未だに科学の謎となっているようである。もちろん、洞窟内では絶対に声や物音を立てられなく、写真のフラッシュも厳禁である。土ボタルはとても音や光に敏感で、驚かせると光を発しなくなるからである。

鍾乳洞の見学後は一路ニュ−ジ−ランド最大の都市で海外貿易、商工業の中心であるあるオ−クランドへと移動した。夕方に到着したこともあり、ほとんど明るいうちに市内観光などはできなかった。次回に訪れる時は、ア−ケ−ド街の露店市、オ−クランド大学(Auckland University)、市立美術館や交通博物館(Museum of Transport & Technology)、ケリ−・タ−ルトンズ・アンダ−ウオ−タ−・ワ−ルド(Kelly Tarlton's Underwater World)など、のんびりとあちこちと散策したいと思う。夕食は、中心部に近い宿泊ホテルであるザ・リ−ジェント・オ−クランド・ホテル(The Regent Auckland Hotel)から歩いて数分の日本料理店「有明レストラン」でサヨナラ・パ−テイを兼ねたものであった。鍋料理が中心であったが、しばしの会話と酒の会を楽しんだ。夕食後は自由行動であったので、翌朝早い出国であったので、夜遅くまで開いている近くのお土産屋を散策し、多少の買い物をしただけだった。


11月20日(土)帰国
ホテルでの朝食後、チェックアウトし、オ−クランド国際空港へ向かった。そして10時20分発のニュ−ジ−ランド航空にて一路、成田空港へと飛び、所要時間10時間55分かかって、帰国の途についた。

おわりに


わずか8日間で著名な観光地ばかりとはいえ、慌ただしいスケジュ−ルに追われながらも、初めての南半球への旅は大変興味深いものであった。父との海外旅行は過去5年間で2度目である。いつまで一緒に行くことができるのか分からないが、できる限り一緒の旅行も楽しみたいと思う。また、今回は筆者と父だけであったが、家族にも是非機会を作り、もう少し長期間の滞在で、レンタカ−とモ−テルを利用するなどして十分観光できなかった場所も含めて再訪問したいと考えている。

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