19年ぶりのオ−ランド訪問とTESOL'97参加

はじめに


 東海大学の朝尾先生の呼び掛けで、進行中のプロジェクト「学習者コ−パスと第二言語習得の研究」についての中間発表的なコロキア・プレゼンテ−ションと、立命館大学のマ−クリイ先生の呼び掛けによる「日本の英語教育とCALL研究の現状」というコロキア・プレゼンテ−ションをしようということで、種々の事情で当初の発表者より少なくなったが、平成9年3月11〜15日にフロリダ州オ−ランド市で開催されたTESOL'97に出かけた。世界最大級の施設を持つデイズニ−・ワ−ルドなどがある、あのサンシャイン州フロリダである。しかも私にとって大学院留学時代の訪問以来、何と19年ぶりの再訪問であった。幸いにも今回は、ある財団から学会発表に対して初めて旅費援助をいただけ、家庭に経済的圧迫をかけずに行けたことも感謝せざるを得ない。

さあ出発、だが


 前日まで年度末の仕事に追われ、持参するハンドアウトの印刷などで、大変忙しかったが、なんとか予定通りに自宅を出発した。しかし、順調だったのは名古屋空港までで、その夕方出発予定のポ−トランド行きフライト(デルタ便)は、到着が遅れたための調整時間の関係で、約1時間近く出発も遅れてしまった。幸いに一人旅であったこともあり、時間を潰すことなど問題ではなかったが、それからのオ−ランドまでの長い旅を考えると多少憂うつであった。まさに出鼻を挫かれたと言える。また、折しも春休み中の日曜日ということもあり、卒業旅行や家族旅行などで空港内はごったがえしていた。その中で、サングラスをかけてパンチパ−マのタレントらしき中年男性が、多くの女性達を引き連れ、どこかへ出かける寸前の状況に出くわしたことが、ちょっと印象に残った。

オ−ランドまでの長い一日空の旅


 名古屋からオレゴン州のポ−トランドまでは約8時間半の空の旅である。今回初めてデルタ航空を利用したが、それまでのノ−スウエスト航空やユナイテッド航空に比べて、少しサ−ビスなどよかったかなと思った。ポ−トランド国際空港も小さいながら新しく快適な施設であった。入国審査を受け、国内便(ソルト・レイク・シテイ行き)へ乗り継いだ。

 約1時間余の空の旅後、山々が雪に覆われているものの、滑走路などには全く雪などないソルト・レイク・シテイ空港へ到着。後からケンタッキ−在住の方に聞いた話であるが、コロラドへ行くよりも空いていて、雪質もいいスキ−場を持つソルト・レイク・シテイの方が抜群によいとのことである。次の乗り継ぎ便を待つ間、しばし、冠雪のある山々を見て楽しんだ。

 さらに3時間半の空の旅後、ようやく目的地であるオ−ランド国際空港に到着したのは、米国西部との時差3時間もあり、夜10時半頃であった。太平洋と米国大陸を横断した、なんとも長い空の旅であった。

現地最初のハプニング


 研究大会開催期間中の宿泊予約をしておいたものの、利用便の関係で、当初の予定から前後に2日間長く滞在することになり、TESOL宿泊担当局に同ホテルでの追加宿泊をファックスを2度送り、申し込んであったが、出発前までに返事がなく、確証を得ていなかった。しかし、なんとかなっているのだろうと安易な気持ちでホテルまでシャトルバスを使って行ったところ、やはり予約はされていないという。はたと困ってしまったが、フロントの一人に情報をもらい、同系列ながら少し格上のホテルに電話で予約をした後、フロントに再びタクシ−を呼んでもらい移動し、1泊をした。実際に床につけたのは午前1時頃であった。疲れ過ぎていたのが原因か、その夜は良く眠れなかった。いや、時差ボケのせいかもしれない。

ユニバ−サル・スタジオ・フロリダ(Universal Studios Florida)訪問(3月10日)


 研究大会前ワ−クショップには参加申込をしていなかったので、丸々一日空いていた。一泊したホテルのロビ−には各地の入場券、イベントやツア−のチケットを購入できるサ−ビス部門があり、そこで一日券を購入し、荷物を夕方まで預け、朝食後、循環無料バスに乗ってユニバ−サル・スタジオへ出かけた。ロスアンゼルスにあるものとどのように違うのか等に関心もあったからである。

ユニバ−サル・スタジオの入口付近

 着いてみると、平日とはいえ、ちょうど春休み(Spring Break)の時期でもあり、家族連れ、子供たちや若者たちのグル−プが続々と入っていった。前売り券を購入してあったので、並ばずにすぐに入れた。事前調査をして、どういう順序で回るのが効率的で、待たされずにすむかなどと考えていたわけでもないので、のんびりとあちこち見回った。もちろん、人気の高い所は待ち時間も長かったが、それはサ−ビス精神旺盛な施設であるから、数知れずあるモニタ−テレビの提供するものを鑑賞しながら列を進んだのである。

 まずは、入ってすぐ右側にある世界で最初の3D仮想冒険のできるタ−ミネイタ−2(The Terminator 2: 3-D Battle Across Time)の後、その隣の懐かしき「ET」と「バック・ツ−・ザ・フ−チャ−(Back to the Future ... The Ride)」ヘと楽しみながら移動した。

バック・ツ−・ザ・フ−チャ−のある建物

 東の端にある「ワイルドな西部劇ショウ(Wild Wild Wild West Stunt Show)」開始時間まで、少し余裕があったため、ホットドックを食べながら待ち、満杯になったショウを最上段から楽しんだ。最前列に座ると、演技中の水しぶきにかかってしまうことになるので、要注意だ。

西部劇ショウの一風景

モンスタ−たちによる歌と踊りのショウの一風景

 その後も、ロスアンゼルスのユニバ−スタジオとは一味違う(と言っても最近行っていないので不確かであるが)人食い鮫「ジョ−ズ(Jaws)」がボ−トに乗っている乗客を何度となく襲ってくるシ−ンを体験できたり、「大地震(Earthquake - The Big One)」では、そのサラウンド重低音と迫力ある映像で魅了されたりした。さらには、「キングコングとの衝突(Kongfrontation)」では、あたかもマンハッタンを移動している所にキングコングが出没し、ついには捕えられ、地下鉄駅で火災と洪水に襲われるという状況を体験できた。

各種のゲ−ムが楽しめたり、レストランやお土産屋さんがある建物群

 他にも「彼女が書いた殺人事件(Murder, She Wrote)」や「アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock)」のスタジオ、視聴者参加型の子供向けの番組を作っている「ニコルジョン・スタジオ(Nickelodeon Studios)」などを楽しんだ。すでに夕方となっていたが、少し待ってちょうど2月21日〜4月5日までやっていたマルデイ・グラ(Mardi Gras)パ−テイとパレ−ドを見た。ビデオカメラで撮影しながらみていたので、パレ−ドでかなりの数のコインや首飾りが投げられたが、首飾り一つしか取れなかった。中には一人で何十個も取って、帰宅するものも多く見かけた。荷物を預けていたホテルへ戻り、さらにタクシ−を使って、その後5泊した大会会場近くのホテルへ移動した。

 チェックインを済ませた後、やや遅めの夕食をピザハットで持ち帰りにして購入し、自室でテレビを見ながら食べた。シャワ−を浴びて、床に着いたが、その夜はぐっすりと眠れた。

第二日目(3月11日)


 この日の朝は最初にコンベンション・センタ−で大会参加登録をし、資料を受け取った。その後、12日にコロキアの一つで共同発表した他の3人の発表者たち(東海大学の朝尾先生、名古屋大学の杉浦先生、中部大学の尾関先生)と打ち合わせをした。

打ち合わせ後、コンベンションセンタ−前で(左から今村先生、朝尾先生、南先生、筆者)

 娘さんを同伴してきていた尾関先生と単身参加の杉浦先生はウオルト・デイズニ−・ワ−ルド(Walt Disney World)ヘ出かけ、レンタカ−を借りていた朝尾先生と他の2人(中部大学の今村先生と創価女子短大の南先生)の我々は、同じ地域のインタ−ナショナル・ドライブ沿いにあるイタリア・レストランへ行き、会話を楽しみながら、ちょと早めのお昼を食べた。朝食をしっかり食べていたせいか、全部食べきれず、残してしまった。日本人には多すぎる量であったが、体格の大きいアメリカ人にとっては普通の量なのであろう。デザ−トは如何などと言われても、お断りせざるを得なかった。

 その後も前もって計画していなかったので、多くのアウトレットの店がショッピング・センタ−を作っている所へ行き、寿命がきていたロ−ファ−の靴を買い替えるために探したが、質的によい相当のものは見つからなかった。

そこで働く若いアフリカ系アメリカ人(2度目に行った時に、バスを待つ間会話を楽しんだ。)

 引き続き、5つのデパ−トや著名なスペシャリテイ・ストアが入居しているフロリダ・モ−ル(The Florida Mall)へも足を伸ばし、探していた靴を購入した。最初、デパ−トの一つのデイラ−ズ(Dillard's)の靴部門へ行って、メイド・イン・アメリカの気に入ったものがあったが、サイズが合わなく断念しなければならなかった。そこで親切に応対してくれたマイケル君はおばあちゃんが日本人だよといって、電話をしてくれ、29年前に渡米した彼のおばあちゃんとしばし話をした。なんとも偶然な出来事であった。友達との待ち合わせ時間が迫っていたが、フロ−シャン・ブランドの靴専門店に立ち寄り、ピッタリの靴を購入した。翌日から使用したことは言うまでもない。

 ホテルに送ってもらって、しばし休んだ後、南先生とホテルのレストランでバッフェ・スタイルの夕食を食べながら、談笑した。期待していたほどの美味しさではなかったが、価格を考えれば致し方ないものだったと思う。

研究大会での発表と参加(3月12日〜14日)


 12日及び13日の2つのコロキアで共同発表者の一人として発表した以外は、3日間終日コンファレンスに参加し、主としてコンピュ−タ利用の語学教育関連の発表を聞き歩いたり、展示会場で資料収集をしたりした。2つの大きな研究大会が同時に開催できるほどの大きさを持つ会場はかなり広く、歩き回るだけで結構疲れた。TESOL大会は、100カ国以上から8,000人以上が参加した、世界最大級の大会である。朝7時半から夜8時半まで、様々なスタイルのプレゼンテ−ションがあり、どれを選択して参加するかが大変なほど数多くのプログラムが同時進行の形で提供されている。筆者のプレゼンテ−ション内容については、ここをクリックして下さい。

エプコット・センタ−(EPCOT Center)訪問(3月15日)


 大会最終日である15日にもまだ参加できるプログラムがあったが、興味のあるものが少なく、朝ホテルをチェックアウトした後、隣接するホテルにあるレンタカ−会社で前日予約した車を借り、ウオルト・デイズニ−・ワ−ルド(Walt Disney World)の1つエプコット・センタ−へ出かけた。EPCOTとはExperimental Prototype Community of Tomorrowの頭文字で、未来社会(Future World)の実験的なモデルをテ−マ・パ−ク化した所である。

 5ドル払って広大な駐車場に車を入れ、何百人も乗れる長い列車風バスで入り口まで行った。駐車した場所と車のナンバ−などをしっかりと覚えておかないと、戻った時に自分の車をみつけるのが大変であるので、注意しよう。事実、夕方早めに戻ったため、なんとか見つけられたが、同じような車が沢山駐車されていたので、結構苦労した。

入り口を入ると25周年記念の看板がある

 入り口を入ってすぐ真っ正面にあるのが、「宇宙船地球号(Spaceship Earth)」であるが、結構列を作っていたので、最後に入ることにして、左回りで「技術革新館(Innoventions)」、「エネルギ−館(Universe of energy)」、「生命の不思議館(Wonders of Life)」、「21世紀展望館(Horizons)」を見た。

エネルギ−館前

湖の眺めの良い所から

 湖の一部を渡るボ−トにも乗りながら、メキシコ、ノルウエ−、中国、ドイツ、イタリア、アメリカ、日本、モロッコ、フランス、連合王国、カナダのそれぞれのユニ−クな建物を見て回った。その国特有の文化と産物が理解できたり、購入できたり、食事が楽しめる「世界のショ−ケ−ス(World Showcase)」と呼ばれる地区である。ちなみに日本は、お寺とお城風の建物を中心に、伝統文化を紹介するコ−ナ−もあり、伝統工芸品などを含めた日本製品を売っていたが、なんと三越デパ−トがやっていたのである。

アメリカ館の中で美しいハ−モニ−を披露していたコ−ラス

 そこから「創造のへの旅立ち館(Journey into Imagination)」、「土地の館(The Land)」、「生きている海館(The Living Seas)」、「宇宙船地球号(Spaceship Earth)」へと回って、最後にお土産を購入した。大人が駆け足で回ったが、子供連れとなるとこうはいくまい。また、夜9時からの25周年記念のイルミネ−ションと花火を見るまで滞在しなかったが、さぞ美しかったに違いない。

 ウオルト・デイズニ−・ワ−ルドには、エプコット・センタ−に加えて、デイズニ−・ランドのような子供向けのマジック・キングダム・パ−ク(Magic Kingdom Park)、デイズニ−・エムジ−エム・スタジオ(Disney MGM Studios)もあり、4日間のパスでも購入しない限り、全部を回るのは不可能である。ロスアンゼルスのデイズニ−・ランドの160倍もある大きさの中にあるのだから、当然といえば当然であるが。さらにはシ−・ワ−ルド(Sea World)やケネデイ−宇宙センタ−(Kennedy Space Center)などもあり、フロリダ中央部だけでも訪れたい所は多く、とても学会参加を兼ねた形では回りきれないのである。そういった所を訪れるだけでも最低一週間は必要だし、一人で楽しむより、家族と一緒に楽しんだ方がよいと思った。次回訪問する際は、是非とも家族連れで行きたいものである。

最後の夜と帰国朝の出来事


 早朝便にてアトランタ、ポ−トランド経由で帰国するため、早い時間にオ−ランド国際空港に到着しなければならなかったので、空港近くのモ−テルを探した。明るいうちに探しておけばよかったのであるが、暗くなってしまい、どこが一番便利か、迷いながら走っていた。また、途中で、頼まれていたビタミン類の購入と夕食をするため、フロリダ・モ−ルへ立ち寄ったりしたのも、遅くなってしまった原因であった。  結局のところ、空港へは一本道で行けるチェ−ン・モ−テルのデイリ−・イン(Daily Inn)の一つに泊まることにした。決して快適な部屋ではなかったが、一人で一晩寝るだけであったので、妥協した。しかし、どういうわけか、夜遅くまで騒ぎまくっていた若者(バカ者)がいたせいで、よく眠れなかった。朝5時頃起きてチェックアウトし、レンタカ−も返却する必要があったのであるが、朝方ぐっすり寝てしまい、起きられたのは5時半であった。その結果、急いで朝も明けぬ暗やみの中を、空港からは少し離れているレンタカ−会社の営業所へ向かったが、道を間違ってしまい、なかなか見つからず、非常に焦ってしまった。途中であるレストランに入り、従業員に聞こうとしたが、忙しそうで、入り口付近には現れない。仕方なしに、入ってくるお客に聞いたりして、なんとかレンタカ−会社にたどり着けたが、なんとも冷や汗をかいてしまった。今後は、早朝に車を返却する場合、多少高くとも空港内に返却する大規模レンタカ−会社のものを利用した方がいいかなと思った次第である。

 なんとか空港へ着いてみると、到着した航空会社付近外側からの荷物受付場所前では長蛇の列。いやはや困ったぞと思いながらも、その列の後ろに並ぶしかない。約20分ほど待ってようやく順番が来て、荷物を預けようとしたら、なんと私の場合は国際線へ乗り継いでいくので、チェックイン・カウンタ−が違うという。何ということだ。指示をしてくれる人もいない状況で、仕方なしに航空会社のチェックイン・カウンタ−前の列に従って並んでいたのに、全くの無駄なことをしていたのだ。すぐに中へ入ってみると、通常の列に従って並んでいる所は非常に混みあっていた。特急扱いの方へ移動し、関係者らしい人に尋ねると、そこでよいと言われ、何とか間に合った。それにしても焦りの連続の帰国朝の出来事であった。

帰り途中のよい出来事


 オ−ランドからアトランタ、そしてアトランタからポ−トランドまで隣席に座った人との会話を楽しみながらの空の旅であった。ようやく、同一帰路で名古屋まで戻る予定だった杉浦先生ともポ−トランド空港で出会った。一緒にお土産を買ったり、出発時間まで待っていると、アナウンスがあり、杉浦先生が呼ばれた。私も一緒に行ったら、なんとオ−バ−ブッキングしていて、杉浦先生はFFM(Frequent Flyers' Member)なので、ビジネスクラスへ席を格上げという。私もメンバ−だよと言うと、日本人担当者は同じようにしてあげましょうという。思わず心の中で「やった−!」と叫んだ。その結果、ポ−トランドから名古屋までの約9時間の空の旅はまことに快適であったことは言うまでもない。普段の行いがいいからかも知れない。。。。それにしても、やはり、ビジネス/ファ−ストクラスはいいなあ。やめられませんね。でも、現実はなかなか、最初からビジネスで予約できないし。早く、そういう身分になりたいなあと改めて感じてしまった。次回の旅は、家族同伴で8月に行くオ−ストラリア。どうなりますことやら。

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