卒業生からのメッセージ

文学部での学びが社会でどのように活かされているかを、卒業生からのメッセージを通じて紹介します。

2019

教員

中国史研究から学んだ世界を、学生にも伝えたい。

東洋史学専攻 2012年卒業

阪南大学国際コミュニケーション学部 中国語非常勤講師

子どもの頃から好きだった中国史を学びたい

父母は読書家で、本棚にあった様々な分野の本を、子どもの頃から読んできました。あらゆる歴史が好きでしたが、中でも興味をもったのは中国史でした。吉川英治や司馬遼太郎の書物をはじめ、中国について書かれた小説や、エッセイを読み漁りました。進学先を決める時、京都には中国史を専門に学べる大学が多くないことを知りました。しかし、立命館大学文学部で学べることがわかり、高校3年生の夏にAO入試を受験し、合格しました。

史料を読むということは、人を読むということ

史料はレ点などの返り点がない漢文で書かれた史料を読んでいきます。ぱっと見てぱっとわかるものではないので、授業で徹底的に読む訓練をしました。大学院の時には史料を読む読書会を立ち上げたこともあります。政治、人間関係、法律など、さまざまな歴史が詰まっている史料を読むと、世界が広がります。

史料からは人の性格を読み取ることもできます。例えば潔癖で不正が大嫌いなタイプなど……。別の場面で同じ人がでてきた時に、この人は次にこういう行動をとるのかなと想像を働かせながら読むのも楽しみの一つです。人となりが見えてくれば、絶対に会えない人と会えて交流できた気がする。その瞬間がおもしろくてたまりません。

たくさんの史料を読むことによって、時代を越えて、人々の生き方、考え方に出会うことができます。現実の世界で、一生に会える人の数には限界があります。しかし、史料を読むことによって、出会う人を増やせると思うのです。出会いの数が多いほど人としての経験値は上がります。現在、大学で教壇に立っていますが、どれだけ人を知っているかによって学生の気持ちや考え方への理解も変わってくると実感しています。史料を読み、人を学ぶ。この経験が人生で活きると信じています。

「わからない」がさらなる研究熱を。さらに学びたいと大学院へ

3回生から、西暦300年から400年頃に時代をしぼって研究するようになりました。唐が建国される前の魏晋南北朝時代です。ある史料で、宴会時に泥酔した人の失敗談について書かれたものを読みました。思わず笑ってしまうエピソードを読むことにより、漢文への堅苦しさを感じなくなくなりました。と同時に、人間の考え方や本質、動き方は長い年月を経ても変わらないのだなと感じ、史料を読むことが楽しみになりました。

魏晋南北朝時代は、宗教、生活、社会、いろんなものが変化したおもしろい時代と同時に、複雑な時代でもあります。仏教が伝来したり、道教が組織的に広まったりしたのもこの時代だと考えられています。少数民族も活躍しました。そしてお酒、食べ物などの食文化の発展、生活様式の変化もこの時代に起こりました。椅子に座り出すようになったのもこの時代くらいからだと言われています。

魏晋南北朝時代は、長い中国の歴史のたった数パーセントだけれど、わかっていないことだらけで、興味がつきないのです。次の時代なんて全然進めません。これじゃやめられない、やめたら絶対後悔すると思い、大学院へ進みました。現在、中国語の講師として勤務していますが、自身の中国史の研究は続け、論文も書いています。この先も、研究者であり続けたいと思っています。

2度目の中国留学は中国政府からの奨学金で

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2019年12月中国安徽省での学会報告

大学院(立命館大学大学院文学研究科)では、中国政府の奨学金で、世界で最も古い大学のひとつと言われる南京大学へ留学しました。そこでの経験は実際に見ることの大切さを実感させてくれました。今までの史料上での学びが立体感をもってさらに語りかけてくるようでした。考古学の先生と一緒に建物や墓、出土した壺や食器などを見るのはとてもわくわくしました。また、調査手伝いで西安へ赴いた時、博物館にある展示の出土に実際立ち会った人から、直接説明を受けることができ、博物館のキャプション以上の情報が得られ、貴重な機会となりました。

戦について書かれたある史料に、「川向こうの山の上に多くの敵軍が見えた」という文がありました。日本で読んでいた時はピンと来なかったのですが、実際にその地を訪れると、納得がいきました。どれだけの危機感、緊迫感だったのか、リアルに肌で感じました。史料には地元の人にとっての「あたりまえ」は書かれていません。しかし、そのあたりまえにこそ、情報がつまっていると思うのです。行ったことで、地形や、高さ、距離感など、書かれていない大切な部分を知ることができました。

学生に伝えたい「語学力よりも大切なこと」

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私は大学1回生から中国語の勉強をはじめましたが、本当に鍛えられたのは2回目の留学のときです。それまで、座学で基本的な文法を勉強してきましたが、留学中、通用しないこともありました。町の人と使える表現、固い表現、いろんなコミュニケーションがあることが行ってみてわかりました。

ある日、50度を超える度数のお酒をいただき、飲み干すと「飲めるじゃないか」とある中国人が私に興味を持ってくれました。語学以外の知識、マナー、表情、動作こそ、いちばん大切で、「伝えたい、つながりたい」という気持ちがコミュニケーションにとって不可欠だと学びました。

現在は阪南大学国際コミュニケーション学部で中国語の講師として勤務しています。私のクラスの学生には、自身の経験から「文法はもちろん大事だけれど、それだけでは伝わらない。トータルでコミュニケーションを」と伝えています。完璧にしゃべらなきゃなんて思わなくていい。失敗しても恥ずかしがらなくてもいい。とにかく言ってみよう。しゃべってみようと学生を励ましています。

学域・専攻の選択はきっかけ

いろんな先生のいろんなスタイルで学べるこの大学はとても魅力的です。授業のバリエーションが多いと思います。ちょっとでもおもしろそうと思った授業を、学域・専攻を越えて学べるのがとてもいいと思います。学域で学ぶ1回生の時には、学問への手がかり、ひっかかり、きっかけが溢れていると思います。知識や経験の引き出しを増やすことは、将来どのような職業に就いても必ずプラスに働きます。学問に没頭し、様々な人や世界を見た後、思考が研ぎ澄まされることで、自分が見えてくることがあります。立命館は就職への支援も手厚いので、学生時代は躊躇せず、どんどんやりたいことにチャレンジしてください。

(文責:立命館大学文学部)

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