在学生の声

4,000名超の文学部生、一人ひとりがオンリーワンの活動を行っています。その活動の一端を紹介します。

2019

日本史研究学域

大学でつかんだ夢への切符

坂本 裕哉 さん
日本史学専攻 4回生

私立 福岡大学付属大濠高校/福岡県

選手の自主性を尊重する立命館大学へ

小学校4年生から始めた野球は、プロに入りたいという夢を持たせてくれました。夢を叶えるために、進学先を迷っていた高校3年生の時に、監督の母校でもある立命館大学の練習に参加する機会をいただきました。レベルの高さ、そして選手の自主性が尊重された練習体制を目の当たりにし、ここで野球がしたいと入学を決めました。また文学部を志望したのは、もともと歴史が好きだったからです。中でも坂本龍馬が大好きで、時代の最先端を走っていた姿がかっこいいなと今でも憧れています。その時代を学べるのが、日本史研究学域の日本史学専攻でした。

実際、勉強と野球の両立はとても大変でした。授業の多い1回生の時は、朝5時半から練習して、練習終わりに1限へ行き、そこから詰めて授業という日が続きました。野球と勉強を5:5と考えすぎてもだめで、高い志を持って、その時やらなきゃいけないことに集中し、比率を調整しながらがんばったのが、今振り返ると両立のコツだったのかなと思います。野球以外のところでも、応援してくれる友人が増えていくことで、人間関係の幅が広がり、視野も広がりました。文学部には個性豊かな学生が多いので、入学しなかったら友だちにならなかったような人たちと出会うことができました。

忘れられない試合

登板する機会をいただいたのは2回生からでした。先輩が先発するはずだった大きな試合がありました。しかし、ケガで急遽投げられなくなり、試合当日、会場に向かうバスの中で、監督から「先発、坂本で」と言われたのです。ものすごいプレッシャーの中、精一杯がんばりましたが、4回3失点で交代しました。あの時の悔しさは今でも忘れられません。

このままじゃいけないと、体力強化、肩を痛めないようにするフォーム改善、増量、トレーニングと、あらゆる練習を積みました。常に危機感をもちながら練習し続けました。すると、緊張感や責任感が大きくのしかかる舞台でも緊張しなくなったのです。動じない強い精神面は、悔しい経験から得たものだと思っています。

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関西学生野球リーグ戦での投球

座右の銘は「磨穿鉄硯」

ひとつの強い意志をもって成し遂げることを意味する「磨穿鉄硯(ませんてっけん)」。大切な人から教えてもらった言葉です。小学校6年生の時にひじを壊し、それから1年ほど投げられず、不安で悔しい日が続きました。「君はプロにいくから」と、ずっと励ましてくれたのが、治療に通う病院の先生でした。その先生が授けてくれた言葉は、今でも強く自分を支えてくれています。

研究テーマを自ら設定できるのが魅力

文学部は、自分で決めたテーマについて研究できるというところに楽しさやおもしろさがあると思います。ぼくは、本や文章の要点を理解し、まとめることがそれほど得意ではなかったのですが、研究に使うために、いろんな本や論文を読むうちに、文章を読解する力を養うことができました。今後の人生につながる成長を実感できるのも文学部の楽しさの一つだと思います。

今は締め切り間近の卒論を仕上げるために、10冊以上の分厚い本と格闘しています。今日も、これから図書館にこもってがんばります。

卒論のテーマは「野球害毒論争」

自分がしているスポーツの学びを深めたいと思い、このテーマを選びました。1911年、「野球は害である」と東京朝日新聞(現在の朝日新聞)が紙面で行ったネガティブキャンペーンがこの論争です。当時、学生野球は大人気で、選手が必要以上にちやほやされたり、相手を罵倒するような行き過ぎた応援が問題になったり、野球でお金儲けをしようという試みがあったりした背景が、害毒論を呼び起こしました。かの有名な新渡戸稲造も批判したうちの一人で、「野球は相手をペテンにかけたり、計略に陥れようとしたり、ベースを盗もうとしたりする遊戯である」と主張しました。しかし、擁護派の他紙の対抗や、野球を愛する人たちの熱い気持ちがあり、人気が衰えることはなかったのです。

念願の夢、プロ入りへ

2019年10月、プロ野球のドラフト会議が行われ、くずれない安定感と制球力を評価していただき、横浜DeNAから2位指名を受けました。夢が叶った瞬間でした。ずっとプロ入りを心待ちにしていた家族は横浜DeNAファンで、ダブルで喜んでくれました。

DeNAには、同じ立命館大学文学部出身で2歳上の東克樹投手も在籍しています。東さんの背中を見て、プロに行こうと改めて決意したほど、存在が大きい人。一緒のチームでプレーできることをうれしく思っています。2月にはキャンプが始まります。1年目は即戦力として活躍できるようにがんばります。そして日本を代表する左投手をめざします。40歳まで先発ピッチャーを務められるよう、大学で学んだ自分で考え抜くことの大切さを胸に、息の長いプロ野球生活を送っていきたいと思っています。

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