教員コラム

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COLUMN

2200年前の木簡から見える、古代中国人と現代人の共通点

東洋史学専攻

東アジア研究学域
教授

鷹取 祐司

私の研究テーマは、今から2000年以上前の秦漢時代の行政や法律・制度です。とくに、当時の遺跡から出土した木簡を分析することで、当時の人々の営みを明らかにしたいと思っています。

木簡や竹簡は、古代中国では行政文書や帳簿として広く用いられていました。今の湖南省で発見された秦代の役所の井戸から出土した大量の木簡には、命令文書や報告書、官有物品の出納記録などが含まれていて、当時の行政が今と同じような仕組みで動いていたことがわかりました。また、中国西北の敦煌近くに残る漢代の万里の長城から出土した木簡からは、長城で匈奴の侵入を警戒する農民兵士たちの勤務の様子や暮らしぶりが見えてきました。

漢代の農民には、万里の長城の警備を1年間担当するという義務がありました。彼らは招集がかかると10人で1つのグループを作り、大八車に荷物を載せて何百キロも歩いて辺境の万里の長城まで向かいました。その荷物の中には農民兵士が余分に持ってきた衣類なども含まれていて、彼らはそれを長城近くの辺境の街に住む人々に掛け売りしていました。その代金は、任地到着後に、農民兵士を指揮監督する職業軍人が売買契約書に基づいて回収していました。つまり、漢王朝は、辺境に赴任する農民兵士に辺境への物資輸送の一翼を担わせていたのです。ただし、「官給の衣類は売ってはならぬ」と書かれた木簡も見つかっていて、支給物資を横流しする不届き者もいたようです。

長城の警備は危険と隣り合わせで、見回り中に匈奴にさらわれる農民兵士もいました。それ故、見回り当番になった兵士には怖さで見回りをサボる人もいたようです。しかし、農民兵士が見回りをサボると匈奴に侵入されてしまうので、長城警備の司令官は農民兵士に見回りをサボらせないための仕組みも作っていました。

こんな辺境の長城にも皇帝の命令は下されていて、その命令文書は都の長安(現西安)から長城の砦まで文書伝送担当者のリレーによって届けられました。現在の郵便制度と同じような仕組みが、中国では2000年以上前に既に完備されていたのです。ただし、今と違って、文書伝送の所要時間が規定の標準時間より遅いと担当者は罰せられました。

木簡を分析していると、あわよくば仕事をサボろうとする農民兵士や役人(!)と、それを防ぐために様々な工夫を凝らす王朝とのせめぎ合いが垣間見られ、2000年前の人たちも今の私たちと変わらないんだなと妙な親近感を覚えます。時代が違っても変わらないそんな人間の営みが見えてくるのがこの研究の魅力でしょうか。

PERSONAL

鷹取 祐司

専門領域:
中国古代の法律や制度、木簡の分析
オフの横顔:
京都府立植物園の年間パスポート(なんと1000円ぽっきり)を持っており、休みの日に訪れてぶらぶらと散歩するのが楽しみです。