教員コラム

文学部には100名を超える教員が在籍しています。一人ひとりのリアルな教育・研究活動を紹介します。

COLUMN

海を渡った日系移民の足跡をたどり、 日本とアメリカの未来について考える。

英語圏文化専攻

国際コミュニケーション学域
教授

小川 真和子

広い太平洋をはさんで隣りあう日本とアメリカ。この2つの国は、ペリーの来航以来、海を通じて人やモノをやりとりし、緊密な関係をむすんできました。海は互いを隔てる壁ではなく、2つの国をむすぶ存在だったのです。そんな「海」をキーワードに日米関係の足跡をたどり、これからの2国間関係を考えるヒントを探るのが、私のメインの研究テーマです。

日米関係を考える時、多くの先人の存在を抜きにすることはできません。明治期、日本から志を持つ人が大勢アメリカへ渡り、アメリカからも近代化を手助けするために多くの人々が来日しました。中でも私が強い関心を寄せるのは、まだ飛行機もない時代に社会変革の運動に参加するためにアメリカへ渡った日本人や、新天地を求めてアメリカへ移住した日系移民の人びとです。人生の新たな転機を求めて海を渡った人々の中には、女性の姿も少なくありませんでした。

山口県の沖家室島から単身ハワイへ渡った大谷松治郎は、ハワイ生まれのカネと結婚し、8人の子どもをもうける傍ら、大谷商会を起こし、やがてハワイを代表する水産会社に育てた。この写真は故郷の家族に送ったものである。大谷亮子所蔵。

研究にあたって私が“定点観測”の場所に選んだのは、日本とアメリカのほぼ中間にあるハワイです。1885年(明治18年)に正式に移民が認められて以降、ハワイ(当時ハワイ王国)には大勢の日本人が移り住みました。その多くはサトウキビ畑で働きましたが、漁業に従事する“海の民”も多くいました。ハワイに移住した漁業関係者は、その後懸命の努力によって水産業をハワイの一大産業へと押し上げ、戦争によって壊滅的な打撃を受けながら、戦後復活を遂げて今日にいたります。

研究では、当時を知る手がかりを求め、ハワイやワシントンにある米国国立公文書館を訪ね、日の目を見ずにいる日系移民の資料を探します。また漁業関係の移民を多数送り出した和歌山県や広島県、山口県、沖縄県を訪ね、地元のお寺や子孫の方のお宅にうかがって話を聞き、古い手紙や写真を見せていただくこともあります。今は誰も住んでいない移住者の旧宅に許可をいただいてお邪魔した時、資料を捜すためにタンスの引き出しを上から順に開けると、ハワイから送られてきた写真が大量に出てきたこともありました。

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ワシントンDCでの調査の合間に。背後にはアメリカの国会議事堂。

ハワイに移住した海の民は、日本の文化や暮らしにも影響を与えました。例えば和歌山県南部の名産として知られる「ケンケン鰹」。実はハワイに移住した串本の人たちが現地で学んだ鳥の羽を疑似餌に鰹を一本釣りする伝統漁法を日本に持ち帰ったのがルーツです。埋もれた事実を発掘し、知られざる日米関係の一面に新たな光をあてることは、研究者として大きな喜びです。

日本とアメリカは、海とかかわりの深い海洋国家であり、太平洋世界の一員。ともに海と深い関わりを持ちながら歴史を刻んできた両国は、互いを映す鏡です。そんな日米関係を過去にさかのぼって探ることは、日本という国を外から見つめ直し、未来について考えることでもあります。また日米関係をめぐっては、埋もれた事実がまだたくさんあります。それを掘り起こすために各地を訪ね、多くの人の声を集める中で、みなさんは日系移民が激動の時代をいかにたくましく生きたかを知ることができるでしょう。何が起こるか分からない不確実な時代。かけがえのない経験は、人生を生き抜く力をみなさんに与えるに違いありません。

PERSONAL

小川 真和子

専門領域:
地域研究, ジェンダー, 史学一般, 西洋史, 太平洋史
オフの横顔:
旅が大好きで、知らない場所を巡ったり、クルマで遠くまでドライブしていると、時間が経つのを忘れます。好き嫌いしないのが自慢で、旅先では、ご当地自慢の美味しいものを、お腹いっぱいになるまで堪能します。