教員コラム

文学部には100名を超える教員が在籍しています。一人ひとりのリアルな教育・研究活動を紹介します。

COLUMN

使い慣れた母語を土台に、外国語を学ぶ。 バイリンガル教育は、言語教育の新たな挑戦。

国際英語専攻

国際コミュニケーション学域
教授

佐野 愛子

みなさんは、日本に来た外国の子どもたちに日本語を教えるとしたら、どんな方法がいちばん効果的だと思いますか?日頃使っている母語をシャットアウトし、朝から晩まで日本語の本を読んだり、テレビを見たり、日本語に囲まれた環境をつくれば、早く上達できるでしょうか。

私が研究するバイリンガル教育は、そんな今までのやり方とは正反対のアプローチを行なう言語教育の手法。子どもたちが大きくなる過程で身に付けた母語や継承語※を、これからの成長のために必要な土台(言語資源)として大切にしながら、それをむしろ積極的に活用して第二言語の習得に結びつけていきます。
※継承語:両親・祖父母とのやり取りの中で身に付けた言葉


私が研究の一環で支援を行なうある小学校を例に、もう少し具体的にお話しましょう。その小学校には、日本人に混じってガーナから来た児童も通っています。子どもたちは、家庭ではガーナの公用語である英語やファンティ語を使うため、日本語をまだ自由に使えず、授業についていくのに苦労します。そこで、原作が英語の読み物を国語で学習する際に、英語での読み聞かせをしたり、日本語、英語、挿絵などの情報を駆使しながら説明するなど、さまざまな工夫をしています。

こうした取り組みは、英語を母語・継承語としない児童・生徒の指導にも広がっています。子どもたちは、今まで学校で使ったことがなかった自分たちの母語で話せることがうれしくて、自信も生まれ、自分の感じたことをイキイキと話すようになり、先生との会話を通じて日本語のより深い意味まで理解するようになります。2つの言語・文化を持つことを誇りに思い、自らが持つ言語資源をフル活用し、主体的・対話的に学ぶことによって思考力を高め、自分の言いたいことを適切に表現できる人を育てることがバイリンガル教育のめざす目標です。

また意外に思われるかもしれませんが、バイリンガル教育は、ろう教育の場面でも活用されています。「聴覚に障害がある子ども」とネガティブに捉えるのではなく、「日本手話と日本語を使うバイリンガル」とポジティブにとらえるところから、バイリンガルろう教育は始まります。ろう者が使う日本手話は、日本語とはまったく異なる固有の言語ですが、書記言語がないため、日本手話で育つ子どもたちは必然的に2つの言語を習得する必要があります。ここでも、重要な言語である日本手話の発達を基盤に日本語の力を育てるというバイリンガル教育のアプローチが有効に作用します。

教育の現場では、言葉が障害となって思い悩んだり、苦しんでいる人がたくさんいます。バイリンガル教育は、そうした課題のひとつひとつを解決する力を秘めた言語教育の新たな挑戦。現場の先生方と議論を重ねながら、新しい言語教育をめざす試行錯誤は今も続いています。

バイリンガル教育に関心を持ち、私の授業やゼミで学んでいるのは、先生志望の学生だけではありません。複数の言葉を使いこなすマルチリンガルな人材になるための知識や経験を積もうと、さまざまな目標を持つ人が集まっています。多様な言語資源の活用をめざすバイリンガル教育の考え方と手法を学ぶことは、自分のまわりにいるすべての人間が、自分に何か新しい価値をもたらしてくれる存在であることに気付き、多様な考え方や意見を受け入れ、吸収していく柔軟性と広い視野をあなた自身の中に育てます。バイリンガル教育は、先生志望の人はもちろん、社会で役立つ能力を身に付けたいという人にも、ぜひ学んでほしい学問です。

大学を出て、高校で英語の先生をしていた私が、バイリンガル教育を初めて知ったのは、30代なかばで留学したカナダの大学。ジム・カミンズというバイリンガル教育の理論的基礎を築いた世界的な心理学者と出会い、「これこそ、自分のやりたかった教育だ」と思いました。グローバル化が進む世界で、言語の異なる人たちが互いに言葉の壁を越え、自由に対話できるような社会をつくるために、バイリンガル教育にできることはたくさんあります。バイリンガル教育の世界を探検し、その可能性を一緒に探ってみませんか。

PERSONAL

佐野 愛子

専門領域:
外国語教育, 教科教育学, 日本語教育
オフの横顔:
山登りが大好きで、学生時代はワンダーフォーゲル部に所属。年間100日は山で過ごしていました。山登りは今でも大好き。京都嵐山に近い小倉山には、かなりの頻度で登っています。今年の夏休み、北海道に帰省した時は、大学の同期と一緒に久しぶりに大雪山に登りました。テントを張って上を見上げると、そこには満天の星空。学生時代に戻ったような気分になります。