立命館大学図書館

   
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「第13回:自然に本のある暮らし」上田 高弘 先生(文学部)

インタビュー:学生ライブラリースタッフ 橋本(文学部3回生)

上田 高弘 先生

上田 高弘 先生の研究概要

―― 学生時代に影響を受けた雑誌・書籍はありますか?

多くの分野の数え切れない文献から影響をうけましたが、第一にあげるべきは、現在の専門分野=美術批評のいわば私の師にあたる藤枝晃雄さん(武蔵野大学名誉教授)が書かれた文章群です。最初は美術雑誌に掲載された文章から入りました。
正確には藤枝さんを批判する文章がある雑誌に載っていたことがきっかけでした。その批判はそれ自体として説得力があったのですが、批判されている当の藤枝さんの文章 (批評)を読もうと思って同じ雑誌のバックナンバーを繰ってみると、もう圧倒的に藤枝さんの批評のほうが優れていました。当時、私は、絵描きになろうと思っていたし、美術批評なんて絵が描けない人間がすることだと思っていたのですが、藤枝さんの文章を読んだときに批評というものの面白さを知りました。
彼が書いた批評を集成した単行本『現代美術の展開』が出ていて、当然すぐ読みました。その思考にもっと肉迫したいと思い、単行本に収録されていない文章群を求めて、様々な雑誌のバックナンバーに片っ端から当たり集めました。実はそれが、図書館を頻繁に利用するようになったきっかけです。

―― 学生時代の図書館の利用頻度や利用方法を教えてください。

もともと画家を目指して美術大学に入学した経緯があったので、はじめは書物を読みたいという意欲も低く、よって図書館は私にとって重要な施設ではありませんでした。書物の魅力に開眼するのは、さきほど述べた「批評体験」が二十歳過ぎですから、晩生〔おくて〕でした。
ただ、在籍していた学科(東京芸術大学美術学部芸術学科)が伝統的な美術史、美学に力を入れていましたので、私が関心を寄せる近現代美術関係の書物の収集に、図書館も積極的ではありませんでした。蔵書としては近現代美術はきわめて弱い分野だったため、画集や研究書は自分で買う習慣がつきました。ほぼ学生として過ごした20歳代後半は、予備校講師としてもそこそこ稼ぎましたが、多くは本の購入資金になりました。特に画集が高価になる事情もありましたが、年間に150万円ぐらいは平気で使っていましたね。だから、生活費とかは今の家内にお世話になっていました。いわゆる「ヒモ」に近い状態で、そうした事情を知っている友人がぼくにつけたあだ名が、ロープマン(笑)でした。

ちなみに、図書館利用の目的という点では、先に述べた雑誌のバックナンバーの閲覧を別にすれば、その空間で「作業」する場所という意味合いが途中から強くなってきました。絵ばっかり描いていた人間が、研究することに目覚めたんですよ。いえ、まずはある時、手に絵の具がつくと汚いと思うようになりました。絵描きは普通、絵の具で手が汚れても平気なはずなのに、少しでも洗い残しがあると白いページが汚れるんです。次に、「絵を描いているコノ時間がもったいない。コノ時間にたくさんの本が読めるのに」と思うようになりました。さらに、自身の主たる関心が欧米の近現代美術だったので、時間をかけて外国語文献を読む必要が生じてきました。単に自分のために読むのではない翻訳することの歓びも、そのころ知ることになります。そうして、大学院博士後期課程の在籍時から雑誌論文を中心に翻訳をまかさせるようになりましたが、それを万全にこなすためには、複数の言語を扱う辞書、様々な分野の事典類が必要です。今のようにネットで簡単に検索できる時代ではありませんでしたから、辞書、事典類が揃った図書館は貴重だし、何よりそこで翻訳作業をおこなうことがもっとも効率的となったのです。

―― 現在の図書館の利用頻度を教えてください。

少し遠回りした回答となることを許してください。ある時期、自分だけの書庫を充実させることにエネルギーとお金を注ぎ、その結果、ある程度は図書館を利用しなくても研究が遂行できるような環境を整えた件は、さきほど述べました。もちろん、研究は日々、進(深)化しているため、それを追尾するためには原理的には購入し続けねばなりませんが、30歳で地方の美術系大学の専任教員のポストを得たため、その時点では、大学図書館の図書選定方針に食い込む努力を払いました。しかし36歳で転出してきたこの立命館大学は、(もちろん自分で選んだ転出だったのですが)総合大学で、しかも私自身が目指すのも美術批評の後進の育成といったこととは別のところにありますので、もはや私の専門分野に関する蔵書を過度に図書館には期待していないというのが実情です。しかも、2009-10年度は学部執行部にある身でもあるため、公務で忙殺され、図書館に足を運ぶ機会に恵まれません。よって図書館の「利用」は、いまは教育的観点が大半です。専門分野以外の古典的な書物を参照しなければならなくなって図書館に駆け込み、目指す本が迎えてくれたときは、ホッとします。美術に関する研究には、歴史学はもちろん、哲学、社会学、…など様々な分野の知識が必要です。立命館は総合大学のため大概の分野の重要書物は揃っているため、その点では助かっています。

―― 学生におすすめの本があれば教えてください。

事前にこの問いをお知らせいただいていて、悩んだのですが、田川建三さんの『書物としての新約聖書』という本を紹介しようと思い至りました。聖書は『聖書』という一冊の書物としてある、と皆さんはたぶん思っているでしょう。それは間違いではないのではないのですが、『聖書』とは第一に、様々な背景をもって生まれたテクスト群を束ねたものです。一個一個のテクストにも編集的な要素があり、一冊の正典(キャノン)となってからも、そのときどきの諸制約のなかで「書写」あるいは「印刷」され、また何より重大なことに「翻訳」され、流通してきたのです。こうした、「書く」、「編む」、「訳す」といったプロセスが複合的に絡み合った、ダイナミックな生成のプロセスを思うと、唯一正しい聖書なんてどこにも存在しないということになります。そういう書物としての全体像を、新約聖書学の成果を存分に盛り込みながら描き出し、しかもある種の入門書たろうともしているのが、この『書物としての新約聖書』という書物です。書物そのものはもとより、版の問題にも深く関わらざるえない人文系の学生は、キリスト教に関心があろうとなかろうと、面白く読めるのではないでしょうか。あるいは図書館のライブラリースタッフである皆さんにとっても同様です。

―― 他大学・外国と比較して立命館大学の図書館をどう思われますか?

大学時代には留学を経験できなかったのですが、2007年度に学外研究の機会を得て、ニューヨーク州のロチェスター大学に客員研究員として在籍しました。蔵書の充実もさることながら、夏場など午前3時まで図書館が空いていて、しかも併設施設にスターバックスがあって同じように深夜まで営業もしていることに驚きました。マイカップを持ち、ベーグルをかじりながら勉強するのが、そこの学生の普通のスタイルでした。

―― おしゃれですね。憧れる空間です!他の先生とお話した際にも図書館に併設するカフェか何かあればいいなというお話がでました。

もちろん文化の差、大学の歴史の差もあるんだろうけど、図書館が大学の心臓部であると感じました。そして研究・教育のなかだけでなく、生活のなかにも、自然に本があるのです。その意味では、日本の大学の図書館も、もっと学生の生活スタイルと溶け合ってもいいんじゃないかと思います。

―― 図書館への意見・要望をお願いします。

衣笠に関していえば、雑誌・学会誌・紀要類のコーナーが、立ち入ろうという気持ちを喚起してくれません。つまり、1階閲覧室の壁際に貼りついた書架の、各誌ごとの収納用ボックスに、それらは背表紙だけ見せて配架されているのですが、スペース的に厳しいのを承知でいえば、雑誌は表紙がパンと視覚的に見えてほしい。(そういう図書館もめずらしくないのですが)最新号の表紙が蓋の部分に立てかけるように見せてあって、それをパカっとあけるとバックナンバーが入っているような仕組みですね、望ましいのは。さらに、いまはその書架の前はただの通路ですが、「引き」があって、もうすこし広い範囲が見渡せるとありがたい。

―― わかります。もし雑誌が分野ごとで分かれていて表紙が見えていたら、関連雑誌も探しやすそうですよね。さらに、表紙をみせることで自分が興味のない分野の雑誌を手にとる機会もふえるかもしれません。

ジャーナルというのはある意味、単行本になる前の最新の研究の様子をみせてくれるもの。ぱっと目に入ることで学生の学びの意欲を増幅させる可能性があります。で、さらに贅沢をいえば、そういう「雑誌」をくつろいで読める空間・設備があればいいですね。すぐはどうのこうのという問題ではありませんが、そういうアメニティの向上も念頭においた将来構想も検討されているみたいですから、少しは期待していいのではないでしょうか。

―― 今後のハード面の図書館の変革を待ちながら、私たちライブラリースタッフはソフト面での充実に力をいれていきたいと思います。今回貴重なお時間ありがとうございました。

今回の対談で紹介した本

現代美術の展開――美術の奔流この50年 / 藤枝晃雄著 美術出版社 1986
書物としての新約聖書 / 田川建三著 勁草書房 1997