Feature #02

副総長×図書館長対談
今ここで、できること

コロナ禍で学ぶという挑戦

松原 洋子/重森 臣広

2020年1月から世界規模で感染の広がりをみせている新型コロナウィルス。新興感染症が大学の学びにもたらすこととは? これまで感じなかったことへ目をむけたり、新しい研究の視点が芽生える可能性など、コロナ禍でも上を向いて挑戦し続ける学生のみなさんにむけて、松原副総長と重森図書館長が話します。

COVID-19 Pandemic
を振り返る

新型コロナウイルス感染症の発生から緊急事態宣言の発出、2020年2月からを振り返ってみると、日々目まぐるしく変わる状況だったとあらゆる人が感じていると思います。

重森なにか感染症が流行っているとクルーズ船のニュースで聞いたときから、わたしの中では今回の一連の出来事がはじまったと思っています。今から思えば、そのタイミングでの自分は、まだ深刻に受け止めていなかったと思いますね。

いよいよ深刻だと感じたのは、大学が2020年春セメスター授業をWeb で行うこととなった時、大学が置かれる厳しい状況をひしひしと感じました。Web 授業というのは、多くの教員、学生にとって、経験がほぼなかったですから。教員として、これまで講義・演習で用いてきた教材がそのままでは通用しないことに加え、学生と対面で話せない、学生は質問もままならない、教員は答えてあげることもできないという(物理的に断絶された)状況の中で何ができるのか、ということを多くの先生方は苦労されたと思います。

松原武漢の病院が医療崩壊し、同様の事態が中国国内に留まらずニューヨークやミラノなど他大陸の大都市にも広がっている光景を目にしたとき、まるで現実とは思えないことが実際に起きてしまったと思いました。こういった事態と自分の状況をとっさに結び付けられず、パラレルワールドに移されたと思うほどでした。世界中で外出自粛となり、街から人が消えた時、ポール・デルヴォーというベルギーの画家の(静寂な街のなかただ一人女性が佇む光景をシュールレアリズムで表現された)絵を思い出しました。「これは現実だけど、現実を超えているな」と改めて思いました。

それと同時に、理事のひとりとして、立命館大学を含む学校法人立命館の運営をどうするかを早急に考え、まとめなくてはいけませんでした。4月7日に国から緊急事態宣言が出されたことを受け、翌日から大学キャンパスを入構禁止、附属校を臨時休校としました。

「コロナ禍であっても、
図書館はオンラインで開館」

緊急事態宣言下、本学図書館についてはどうでしたでしょうか?

重森図書館利用に関していえば、わたしが学生時代のころと異なる印象を持ちました。私が学生の時は、閲覧室や書架で書籍を中心とした紙に印刷されたものを利用することが主流でしたが、図書館に入館できなくなると、図書館の機能は完全に止まってしまいました。そのころと較べると今の大学図書館は、オンラインで閲覧できるデータベースや電子書籍があるので、今回のコロナ禍で図書館機能をどこまで維持したり開いたりできるだろうかということを館長として考えていました。

松原副総長の担当職務のひとつに、図書館の利用や充実を進めていくことがあります。リアルな図書館に入れない、リアルな本は使えないといった今回のような時こそ、オンラインでのサービスを最大限に展開したいと思いました。たとえば「レファレンス・サービス」(わからないことがあったら図書館司書に質問すること)を、このコロナ禍ではZoomでもできるようにしました。学修と研究を進める上でレファレンスはキーとなるものだと思いますが、学部の新入生は、このサービスをあまり知らないと思いますので、大学の図書館をどう使ってよいかわからない、うまくこのサービスが伝わるだろうか、と心配していました。

重森 臣広

重森 臣広図書館長、政策科学部教授

1959年北海道生まれ。中央大学法学部、同大学院法学研究科で政治思想を専攻。1991年、熊本大学専任講師。1994年に政策科学部が設置されると同時に立命館大学へ赴任。趣味はドライブ(ほとんどが通勤)、音楽鑑賞(クラシックとジャズとピアソラが好き)、読書(ほとんどが仕事)。

「学びのスタイル」を模索する
時期ではないでしょうか

これから大学の学修環境や学習方法、研究活動はどのように変化していくのか、社会の中で、大学の存在そのものがどういう位置づけになっていくと思われますか?

重森講義科目といわれる、これまで大教室で教員が教卓に立ちレクチャーする知識伝授型の授業は、オンデマンドの形態でも可能になるのではないかと実感をもっています。(たとえば反転授業のように)今後、学生が集い実際の教室で行う授業は、従来までとはなにか違うことを模索する可能性がいよいよ出てきたのではないかと思います。「オンラインのほうが」効果的な教育ができる、そういう授業形態も可能性としてありうると思います。

一方、演習科目のような議論したり質問したり、対面のコミュニケーションが重要となる、自ら知を創り出していくような授業がありますが、オンラインの様々なツールを使えばできなくはないですが、もどかしいところも多くあります。withコロナの状況で、何がどこまで許容されるのかなど教学的な部分に関わってきますが、これからも私たち教員は模索し続けないといけないと思っています。大学院生に1対1で論文指導するのは、実はオンラインのほうがみっちりできるという面もあります。

「オフキャンパス」の学びについてですが、国内外問わず社会の実過程の中に入りこんで、問題発見したり、課題解決のための知見を獲たりといった学修スタイルがありますが、こういった実践をソーシャルディスタンスの中でどう対応していくべきか、今のところまだ模索しているのではないでしょうか。学生を、地方自治体などの実際の現場に連れていくという授業にも超えるべきハードルがあると思っています。

例えば、私自身の専門分野は歴史思想史なので、Google Projectはじめ著作権がきれたものはどんどんオンライン化されているのでオンラインでも研究は継続できています。しかし、フィールドを伴う研究分野は、この状況がいつまで続くのかという懸念がかなり強いのではないかと思っています。

「不要不急」でわたしたちの生活の充実は成り立っているからこそ、「リアル」は大切です。

松原今回のコロナで人と触れ合う、それから現場に出かけていく、そういったことがままならなくなって、改めてその価値を認識したのではないでしょうか。よく、不要不急の外出は控えるようにといわれましたが、我々の生活の大部分は「不要不急」で成り立っていたことを実感しました。

コロナ以前から、DX(デジタルトランスフォーメーション)といわれるようにバーチャルな世界の拡張が著しく、重森先生が先ほどおっしゃたように、様々な資料、絵画、文化資源などが世界のどこからでも、いつでも目にすることができる時代になってきています。例えば「あつまれ動物の森」というゲームを使ってアメリカでは卒業式を行ったと聞きました。アバターでの交流をはじめとし、年齢やジェンダーや国・地域を超えて交流するということがいろいろなスタイルで今後進むでしょう。「アバター大学」というものも将来的にはあり得るかもしれません。しかし、大学そのものが将来的に全てオンライン(バーチャル空間)にシフトするかというと、「不要不急」で生活の充実が成り立っているという観点から考えれば、リアルな場がどれほど大切かは言うまでもありませんね。

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