さあ、次は南部のナコンシタマラットだ。バンコクに別れを告げて、空路1時間ちょっと。眼下には海。
飛行機は、ぐっと小さくなった。しかも、一日1便。飛行機の中の外人は、恐らく私だけだろう。
どんなところだろう、ナコンシタマラット!ちょっとエキサイティングな気持になってくるから不思議だ。
ナコンシタマラットに到着した。
「予想はしていたが、これほどの田舎とは・・・」これが第一声だった。
空港にある飛行機は、到着した1機だけ。見渡す限りのジャングル。建物は全く見えない。こんな空港に降り立ったのは、私の人生で初めてであった。タラップを降りて、ゲートまでの間、思わず、何度もシャッターをきってしまった。
「もし、ワナさん(友人)が迎えにきてくれていなかったらどうしよう・・・」、と一瞬考えるのも無理のないことだった。
にこやかな顔をしたワナさんに再会したときは、正直ホッとした。
(彼女は、日本で博士号を取得し、その後、タイのワライラック大学で先生をしている。)
ナコンシタマラットの景色にも驚いたが、さらにびっくりしたのは、私が日本から来るということで、私専用の運転手を大学がつけてくれたということだった。嬉しかったが、気楽な旅行気分で訪問しただけなのに、正直戸惑いを隠せなかった。
ということで、私も人生初めてナコンシタマラットで、自分専用の運転手さんの車で過ごしたのだった。
ナコンシタマラットには5日滞在。ホテルは、結構立派なホテルを用意してくれていて、本当に良くしてもらった。彼女が言うには、このホテルは、最近完成したばかりの外人向けホテルで、これができる前は、ひどいホテルしかなかったそうだ。
ということで、1回のレクチャーだけで、高級ホテルとお抱え運転手を用意してもらい、いろいろと観光をさせてもらった。
ワナさんとも、15年ぶりの再会で、昔話に花が咲いた。あのキュートだったワナさんが今や2児の母、しかも老眼鏡をかけていたから、時の流れを感じないわけにはいかなかった。
さて、せっかくだからナコンシタマラットの話をしよう。
ここは、ちょうどプーケットの反対側に位置している。プーケットは有名な観光地だが、ナコンシタマラットはタイの田舎町。人口は10万人とか15万人とか言っていたが、一目見て小さな町と誰にでもわかる。
チェンマイ大学の学生達に、「ナコンシタマラットを訪問したことがあるか?」と聞いてみたが、誰も訪問したことがなく、また行きたいとも言わなかったのがよく理解できた。
唯一、有名なのは、お寺。ワット・プラマハートである。このお寺は、タイのコイン(0.25B)にもなっているから、タイでは有名なお寺の一つである。
タイのコインには、それぞれタイの有名なお寺が描かれている(写真)。何も考えないで訪問したナコンシタマラットだったが、0.25Bに描かれているお寺がナコンシタマラットのお寺であった。後で気付いたのだが、偶然にも有名なお寺に巡り逢えたというわけだ。
タイのコイン・お寺巡りも、ちょっと粋かもしれない。私は3回のタイ訪問で、これらのお寺を全て制覇したことになった。
ナコンシタマラットで驚いたのは、まず文化の違いだった。タイ北部と南部ではこれほどまでに文化が違うとは・・・。
一目でわかるのが、イスラム経の人々である。頭を布で覆った女性の姿を多く見かけた。また水田ではなく、放牧された牛が目に飛び込んできた。マレーシアに近いため、仏教とイスラム経が混在しているとのことだった。
ホテルからの風景
一面の広野。約3kmで海岸に到着する。
次に驚いたのが、人種が異なるということだ。顔つきも北部と南部では明らかに異なるし、肌の色も随分違う。南部の人は堀が深い人が多い。だから、ナコンシタマラットでは、自分がすぐに外人だと認識された。まるで違う国を訪問したような錯覚さえ覚えさせたのは不思議だった。
チェンマイに帰って、いろいろとナコンシタマラットを調べてみると、意外と日本とも縁のあることがわかった。簡単に紹介してみよう。
タイと、日本との交流の始まりは、タイのアユタヤ王朝時代に遡るらしい。慶長9年(江戸時代)から国交が始まったということだ。当時、民間大使として活躍したのが、山田長政であり、彼はバンコク郊外のアユタヤに日本人町を作り、多くの業績を残した。
タイ22代ソンタム王に認められ、軍の高官にも命じられた人物だ。事実、アユタヤには、日本人町跡があり、石碑も建てられていた。
その後、歴史的にいろいろとあり、山田長政はナコンシタマラット総督として派遣され、そこで没したということだ。ちょうど、私がナコンシタマラットを訪問していたとき、山田長政の業績をたたえ、ナコンシタマラットに記念碑が建てられたというニュースを聞いた。日本人として嬉しかった。
そのような訳で、タイ人の多くは、日本人・山田長政をよく知っていたし、ナコンシタマラットは日本ととても縁の深い土地である。
ということで、観光ツアーではまず訪れることがない田舎町を旅するのも違った意味でおもしろいかった。学生諸君も時間と興味があればバンコクやプーケットだけでなく、タイ北部や南部を旅すれば、一味違ったタイの文化に接することができるかもしれない。
三回目のタイ訪問も無事終わった。正直、この歳になってからの45日の一人旅はきついものがあった。逆にいえば、この歳になっての45日のフリータイムはありがたいのかもしれない(大学に感謝しなければならない。)。
大きなことは言えないが少々の国際貢献と、めったに出来ない異文化体験、そして旧友との再会を果たせた旅であった。
ニューヨークで起こった、史上最悪テロ事件直後の帰国で、航空便が心配されたが、なんとか無事日本にたどり着くことができた(飛行機の手配が出来ないとのことで、国内線の小さな飛行機での帰国となったが)。
最後に、一言。
『帰国の朝の嬉しかったこと。』
『関西国際空港に降り立ったときの涼しかったこと。』
『南草津駅に到着したときのあの安堵感!』
『お腹の調子を気にしないで食事が出来る満腹感!』
日本の良さを心のそこから実感した。
最後までお付き合いくださいまして、どうもありがとうございました。
2001年秋、久 保 幹