コンセプト

私たちの目指すもの

立命館大学は、一般入試だけでなく様々な方法で入学者の選抜を行っており、多様な可能性を秘めた人材に門戸を開いています。他方、大学で行われる講義は、高校教科書の知識を大前提としており、必然的に理解度に大きな差が生じてきます。例えば、高校で物理を選択しなかった方は多いと思いますが、大学ではそれらは理解しているものとして行われます。

また講義は、1人の先生が多くの学生に対して行うので、全ての学生の理解度に合わせて講義を進めるのは困難です。

この様な理由で、せっかく大学に入学したのに講義が分からず辛い、面白くないと感じてしまう方がおられるのは大変残念なことです。一度脱線すれば再起するのは難しい。私たちはその様な皆さんを積極的に支援して行きたいと考えています。一方で学ぶことが楽しくて仕方がない、といった頼もしい方もおられます。そういう方には単に講義内容を理解するだけでなく、各自の興味に合わせて、さらなる飛躍を遂げて欲しいと考えております。

個々の理解に応じた対応

分からない、と言ってもその程度は様々。駆け込み寺ではマンツーマンで個々の理解度に合わせて対応します。“この記号の意味が分かりません”といった様な、基本すぎて他人に聞きにくい質問にも丁寧に対応します。講師の大半が、皆さんよりも少し先輩の大学院生ですので大変、質問しやすい環境です。

学ぶことの楽しさを感じてもらう

中学生の時は高校入試、高校生の時は大学入試、といった様に、皆さんにとって勉強とは常に偏差値と表裏一体でした。苦しい記憶しかない方も大勢いると思います。しかしながら本来、学問とは自由なもので、理解ができたら楽しいのです。その学ぶことの楽しさをぜひ、味わって頂きたい。これも大学生になることの醍醐味の一つです。分かった、という充実感だけで十分です。単位は後からついてきます。この自由な4年間の学びを是非、体感してください!

講師と一緒に考える

駆け込み寺は塾や予備校の質問室ではありませんし、皆さんのレポートの代筆屋でもありません。皆さんと講師が勉学に関する疑問点を共有し、ともに学んで行く場です。講師も大半が大学院生で、教育のプロではありません。皆さんの質問内容を一緒に考え、指導することを通して、皆さんだけでなく、実は講師の方も成長するのです。学生はどの様な所が分からないのか、どう教えたら伝わるのか、など、本当に学んでいるのは講師の方ではないか、と言っても過言ではありません。一人で考え込まず、講師と一緒に考えましょう。

学びの循環の場

駆け込み寺は、学生と講師が互いに考えることで、お互い切磋琢磨する空間です。ですからたまたまその場に居合わせた同じ疑問を共有する学生同士でその相互作用が起こってもよいのです。そうなると、もはや講師は必要なくなります。この様に究極的には学生同士がフラッと集まり、お互いの疑問を自然に解決しあう場になればよい、と考えています。私たちは、その様な学生同士の“化学反応”が起こりやすい様な環境(大きな白板、自由に使える教科書、椅子と机など)を絶えず心がけています。他に必要なものがあれば是非、リクエストしてみてください。こんな感じですから、質問がなくてもふらっと立ち寄ってみたり、駆け込み寺とは関係なしに椅子に座って自学自習することは大歓迎です。途中で質問がしたくなったらしてください。大歓迎です。

講義へのフィードバック

“駆け込み寺”と称していますが、実際には勉学の悩みに関する“病院”の側面もあります。皆さんが病院に行ったら必ずカルテで記録しますが、私たちも質問内容の記録を残しています。実際に私たちはそれらを精査することで、つまづき易い箇所を浮き彫りにし、講義にフィードバックする試みも行っております。この様に、どうしても一方向的になりがちな講義での関係(先生→学生)に風穴を開け、間接的ではありますが相互的に補完しあえる関係(先生⟷学生)になるのが理想的である、と考えています。