岡村 覧(おかむら らん)

専攻現代東アジア言語・文化専攻

留学先北京大学(孔子学院の長期留学制度)

留学期間2013年9月~2014年6月


北京で学んだことと気付いたこと

 20138月末から一年間、私は中国の北京大学に留学しました。

私は小・中学と横浜の華僑学校に通いました。その頃の友達の多くは中国にルーツを持った台湾外省人の華僑でした。その後進学した県立高校では、中国人の友人もできました。「私は中国語を話すのに中国のことを知らない」という思いが次第に強くなりました。また、伸び悩んでいた中国語の力をさらに磨かなければと思い、留学を決意しました。

 私は、立命館孔子学院の奨学金生として留学しました。この制度は、留学中の学費や寮費が免除され、毎月生活費も支給されます。ただ、立命館大学の交換留学制度とは異なり、単位互換や4年間での卒業は出来ません。留学中は休学の扱いとなります。4年間専攻の学びを深め、中国では1年間好きなことを学びたいと思っていた私にとって、孔子学院の留学制度は最適でした。

 北京大学では初め、外国人留学生が通う対外漢語教育学院(留学生教育センターのような所)に入るのだろうと思っていました。しかし、入学前のクラス分けテストの結果、本科への入学を許可されました。当時どのような学院があるのかよく知りませんでした。唯一知っていたのが国際関係学院であったため、あまり深く考えずにその場で「国関にします!」と言って決めてしまいました。とっさの判断でしたが、後から考えるとこの学院で良かったと思うことがたくさんありました。

北京大での前期(9月~1月)の授業

 大学では前期・後期それぞれ3科目ずつ履修しました。前期は「中華人民共和国対外関係」「外交学」「中文報刊(新聞を読む授業)」を受講しました。授業は1科目3時間ずつで、1クラス200人以上学生がいる教室もありました。留学生の数は、韓国人が突出して多く、どの授業でも韓国人の友達ができました。その次に多いのは、シンガポール人やタイ人そして日本人でした。

私は他学院の授業も聴講しました。歌劇研究院に行き、教務担当の先生に直接授業を聴講させてほしいと頼みました。すると、先生はこころよくカリキュラムを教えてくださり、私は「形体(中国舞踊の基礎)」と「声楽」を聴講することができました。

 前期には大きなイベントが二つありました。一つは、129合唱コンクールです。「129」とは129日のことです。1935129日、北京大学の学生が抗日デモを実行し、それを記念して各学院対抗で行う合唱大会だと、入団してから知りました。コンセプトは愛国。日本人が私一人だったということも後で気が付きました。12月のコンクールまでの3カ月間、夜11時まで練習したこともありました。しかしその間、日本人だからといって排斥されたことは幸い一度もありませんでした。私の声が好きだから、歌を教えてほしいと言ってくれる中国人がいるなど、楽しく練習できました。コンクール当日の会場は熱気に包まれていていました。「祖国万歳」と歌う学院や、中国の国旗を掲げて歌う学院もいました。中国人学生たちは大きな声で舞台に向かって声援を送っていました。その様子はエネルギーに満ちていて、圧倒される思いでした。

 もう一つのイベントは、国際文化祭です。国際文化祭は、北京大主催のイベントで、各国の留学生による舞台パフォーマンスやブースでの文化紹介を行います。私たち日本人学生は盆踊りとAKB48のダンスを舞台で踊りました。また、ブースでは人気アニメのポスターを貼ったり、浴衣を着て写真を撮ったりしました。特に人気があったのは餅つきで、餅が出来上がる頃には、中国人学生が長蛇の列を作っていました。出来上がった餅にきな粉をまぶしてふるまいました。前年度は反日デモの影響で、日本だけ文化祭に参加できなかったと聞いていましたが、昨年起こった反日デモが嘘だったのではと思うほどの大盛況でした。

北京大での後期(2月~6月)の授業

 後期は「中日関係史」「中国辺境問題概論」「経済外交」を受講しました。授業では、日本の右傾化についてレポートを書き、尖閣諸島問題、A級戦犯合祀・首相の靖国参拝問題、日本の対中ODAなど様々な話題をプレゼンテーションしました。各授業の先生から『日本人の考え方や意見をまとめてほしい。』と出された課題でした。

中日関係史では、首相の靖国神社参拝問題について発表しました。発表が終わると、A級戦犯合祀問題についてディスカッションしました。「中国の儒教文化の考えでは、ある人の根本が悪であったとき、その人が後にどんな良い行いをしようと、悪であることはずっと変わらない。だから重大な戦争犯罪人であるA級戦犯は今も昔も絶対的な悪人であると中国人は考えていると思う。そのために、中国人は首相が靖国に参拝することが理解できないのだと思う」と、同じグループだった中国人学生が話してくれました。またある先生は、「少なくとも首相が参拝しないことが、現時点でこれ以上中日関係を悪化させない最善の策だ」とおっしゃっていました。

 後期の授業が始まって間もなくの頃、ある先生が、「中国と日本の関係を研究しているとどうしても悲観的になる。毛里和子先生もそう言っておられたが、自分もそれに共感する」と言われました。その先生は、留学中私が最も尊敬した方でした。先生と話すことが好きだった私は、授業が終わるとしばしば質問に行き、何を聞いても優しく、冷静に答えてくださいました。しかし、今まさに北京に留学して、将来の日中関係改善のため中国について学ぼうとしている私にとっては、先生のその言葉はショックで、この先どうすればいいのだろうと途方に暮れる思いでした。ただ、こうした先生との交流や授業の発表を通して、私は日本にいる時以上に日本について学ぶ機会を得たと思います。

北京という街

 首都である北京には、色々な人が住んでいました。寮から大学に行くまでの歩道橋に、いつも座って空き缶を前に置いて物乞いをする人がいました。雨の日も風の日もそこで寝泊まりしていました。地下鉄に乗ると、両足がなく松葉杖をつきながら、ほどこしを求める人がいました。民謡のようなゆっくりと流れる独特の音楽をかけ、小さな子供に物乞いをさせる女性の姿を見たこともありました。歩道を歩いていると、自転車の後ろに縦2m1.5mほどの山積みになった空き缶を乗せて走る人を見かけました。空き缶を小さくつぶして、ゴミの収集場に持って行くと1缶当たり7分(0.07元)になるのだそうです。そうしてその日のご飯代を稼ぐそうです。

 北京は、私たち留学生が集まる町であり、貧しい人が住む町でもあり、裕福な人が生活する町でもあるのだと実感しました。首都・北京の「今」を肌で感じられたことも、留学ならではの学びだったと思います。

1年を振り返ると

 日本の中国に関する報道と私の留学中の実感には大きな隔たりがあります。留学前は、日本人であることによってどんなことが起きてもおかしくない、と思っていました。しかし、私が北京で過ごした一年間の間、結局嫌な思いをしたことは一度もありませんでした。私が日本人であることが分かると、日本の家電製品は良いと話しかけて来たり、日本に旅行に行ったことを自慢されたりしました。また、日本のファッション誌の『Vivi』や『CanCam』の中国語版が屋台で売られていました。おしゃれに敏感な若者は、雑誌やサイトで日本のファッション情報に触れているのだと思いました。両国の関係が厳しい時期であっても、北京の人の生活には日本の文化が様々に届いているのだと思います。

 北京で一年間留学生活を送り、実際に中国人学生と接し、自分の目で見て、感じたことがたくさんありました。その中で一番大切だと思ったことは、何事にも先入観を持たずに人々と接し、その言葉を聞くことだと思います。「百聞は一見にしかず」です。

中国留学を考えている人、是非、自分の目で今の中国を見てください。加油! 

Photo Gallery

  • マロニエ公園でのサムルノリの公演会
  • 語学堂の修了式
  • 休日に友達と漢江公園にて