大島 千草(おおしま ちぐさ)

専攻現代東アジア言語・文化専攻

留学先四川外国語大学(孔子学院の長期留学制度)

留学期間2017年9月~2018年6月


人々の思いやりに感激した春節体験

留学開始から5ヶ月が経ちました。

2月は中国人にとって最も重要な季節行事である春節のある月です。今年2月、私は縁あって中国の友人の実家で春節を過ごすことができました。

彼女の故郷である台州は浙江省に位置し、私が現在留学している四川外国語大学がある重慶からは、飛行機では2時間、その後、高速鉄道に乗り換えて1時間ほどかかります。一口に春節といっても台州と重慶とはその地理的な差異により、その生活や文化においても大きな違いが存在します。

私は浙江省を訪れたことがありませんでした。つまり、今回が初めての浙江旅行、それも春節の時期に中国人の家庭にお邪魔するという得難い体験ができることになり、ずいぶん前から楽しみにしていました。

人さまのお宅に厄介になるので粗相があってはいけないと、いつ訪ねるのがよいかと聞くと、2月の12日に列車で来てくださいというので出発前日の11日には荷造りをすませ、12日の出発を待つばかりになりました。当初はてっきり台州へ直接行くものと思っていたのですが、重慶から乗った鉄道が到着した駅は安徽省の合肥でした。聞けば、彼女の両親は日頃、合肥で仕事をしているとのこと。思いがけず彼女の両親に対面することとなり、かなり緊張していたのですが、彼女の両親は気さくに、そして手厚くもてなしてくれました。彼らは普段喋り慣れていないであろう普通話を使って話しかけてくれ、三食を共にしました。


【友人とそのお母さん】

その後、合肥で2日間を過ごし、3日目に台州へ向かったのですが、合肥での滞在最終日の夜に感動が待っていました。その日は朝から彼女と、その母親とともに、帰省準備のために街へ出て買い物をし、夜は外食だと聞かされていたのですが、夕食のために着いた先は大きなホテルでした。何事かとうろたえていると、彼女の叔父が会社の従業員の慰労会があるからあなたも参加しなさいと告げられました。

友人の手に引かれ、あれよあれよという間に、大理石の回転テーブルが据えられ、壁には金糸銀糸の緞帳がかけられているような立派な個室に案内されました。部屋の立派さもさることながら、年に一度の大切な食事に私などが参加してよいのかと不安になっていると、彼女の叔父が現れました。彼は私を見つけると、片言の日本語と普通話で陽気に話しかけてくれました。彼の人懐こさに少し安心して、私は尋ねてみました。ここ数日で知り合った私のようなものが、あなたの会社の慰労会に参加してもよいのかと。すると、彼は不思議そうな顔をして、そして大笑いをしながら答えました。あなたは大切なお客様であると同時に、うちの子供の友人なのだから、心配せずともいい。招待したのは私がだからと。食事中にも、彼は食事の間も私にたくさん食べるようにと声をかけ、彼らの故郷の地酒である紹興酒を勧めてくれました。思いがけない中国人の心の温かさを体感できた3日間の締めくくりとなりました。

 

【安徽での高級ホテル】と【合肥でのご馳走】

さて、翌日、台州への帰省の道中でも、さらなる発見と驚きが続きました。私はてっきり鉄道で台州に向かうものと思っていたのですが、なんと自動車で8時間をかけて行くことになりました(実際には11時間かかりました)。もちろん、鉄道の方が便利で快適なはずなのですが、自動車で行かねばならない理由は故郷へ持ち帰るお土産です。そのお土産や荷物の多いこと。比較的大きめの車2台で行くというので、余裕だろうと思っていたのですが大間違いでした。両親・親戚への贈り物はもちろんのこと、生活用品から食べ物やアルコールまで、人は荷物の隙間にでも詰め込まんとばかりのさながら民族大移動です。

以前、友人から、中国の春節時期には中国の人々が一斉に帰省するため、列車や飛行機・道路などは大混乱、大渋滞になり、チケットを買いそびれて帰郷できない人もいるという話は聞いていたのですが、まさかここまでとは思いもよりませんでした。

 

【春節にはつきもの花火・爆竹】と【手作り餃子】

台州で私を迎えてくれたのは、彼女の母方の親戚一同でした。年に一度きりの一家団欒の時に、いきなり乱入してきた他人、しかも外国人を、彼らはみずからの子供のようにかわいがってくれました。子供たちは私と普通話で話をしてくれ、お菓子を一緒に作ったり、窯でピザを焼いたり、爆竹で遊んだりしてくれました。大人たちは、毎日感激してしまうほどのおいしい食事を出してくれました。除夜の日には餃子を手作りしたのですが、上手だ、飲み込みが早いと褒めてくれました。皆さんの屈託のない笑顔に、幼いころのような無邪気な気持ちで日々を過ごし、彼らの言葉をどんどん吸収することができました。ある朝、友人についてふらりと家を訪ねた時に出してくれた温かい水餃子の味は、今まで食べたどんなに立派な餃子よりも記憶に残っています。

 

【台州の村】と【台州の家庭料理】

いつでも、どこの家を訪ねても、「よく来たね。沢山食べなさい。ここの子供のように遠慮しないでね」と言ってくれました。そのたびに、私は泣き出しそうになりました。爆竹が轟音をとどろかせて夜空を彩る除夜、彼女の両親はなんと私にも紅包と称するお年玉を包んでくれました。その時の感激は忘れられません。まさか日本から遠く離れた異国の地で、彼らがこれほどまでに優しく接してくれるとは思いもしなかったからです。彼らからすれば、私はまさに他人の子どもです。私がどれだけ中国に暮らす人々が好きだといっても、所詮は外国人でしかないのに、彼らはどんな時も優しく接してくれ、優しい言葉をかけてくれました。その中でも特に心が温かくなった言葉があります。

“我们是一家人,你也是,在这里不用客气啦”

「私たちはみんな同じ家族、あなたもそうでしょ、何を気兼ねしているのよ」くらいの意味でしょうか。なんて優しいのだろう。かつて私は日本でここまでの体験をしただろうか。そう思わずにはいられませんでした。どうしようもないうれしさがこみあげてきて、たまらずに友人にそのことを話すと、中国人にとって一番大切なものは家族であると教えてくれました。今でもあの2週間を思い出すと泣き出しそうな、そんな気持ちになります。

中国に暮らす人々の熱い思いを身をもって体験した、今年の2月はそんな特別な月になりました。