佐々ゼミ

通常学期

14年度夏期の海外合宿

その①

私たち佐々ゼミは一言に「朝鮮系」といっても、k-popから始まり韓国の整形、サッカー文化に至るまで、それぞれの興味にそって自由に研究しています。そのメンバーたちと、今回は実際にソウルで一週間のフィールドワーク。共通のテーマである「韓国」への興味を基に、共に現地での学びを経験できたことは、ゼミとしても私個人としても、とても実りのあるものとなったと思います(毎日飲み会してみんなと仲良くなりました!笑)。例えばフィールドワーク中は、挨拶が自然と「アンニョン!」だったり、日本人同士で片言の韓国語を、会話の節々に混ぜながら使ってみたり。学生間でのそのような些細なコミュニケーション一つ一つが、僕にとっては良い思い出でです。

フィールドワークは、韓国のエネルギッシュな空気感に触れながら、積極的に現地の文化を学べたように思います。辛子で真っ赤に染めあがった料理や日本のものに比べ色鮮やか過ぎる寺院など、ダイナミックな韓国文化に元気も同時にもらった気がします。

最後に、ゼミ旅行中で印象的だったのは、やはり現地の方々との交流です。現役軍人のヒョン達(お兄さん)や漢陽大学の日本語学科の学生たちとの交流会等、毎日たくさんの方々と出会いました。やはり、自国以外の文化を学ぶ人にとって、現地人との交流ははげみになります。このような様々なことをゼミの友人たちと共に学べて、とても有意義な時間が過ごせました。これからも学生間で刺激し合いながら、佐々ゼミをさらに盛り上げていきたいです!


その②

8月26日(国立中央博物館、西大門刑務所、独立門、三一門)

  • <国立中央博物館> 

 先史時代から現代までのあらゆる資料が展示されており、しかも無料で見学できるというのが衝撃的でした。その中で私が着目したのはこの表です。『千文字』(천문자)といい、漢字の音と意味を表したもので、中世以降に漢字の学習に使われていたようです。例えば「夜」という漢字の下に「밤」と「야」という文字が書かれています。つまり、「야」読み「밤」という意味だと示しています。つまり、これを調査していけば、「뫼(山)」のように漢字語に押されて失われた朝鮮語固有の言葉を知ることが出来ると考えられます。

  • <西大門刑務所> 

 ここでは、日本の植民地支配の残虐さを生々しく伝えるものが多く展示されていました。一階のフロアは主に展示物のみでしたが、地下に行くとリアルなマネキンが多く置かれていました。小学生に説明するガイドの女性の方も、ここでの日本の役人がいかに残虐だったのかを力を込めて話していたように感じられ、その場にいることに気を重く感じました。 とはいえ、マネキンよりも圧倒的に強く脳裏に焼き付いているのは、当時のまま残っていた処刑場を見学した時でした。ここで実際に多くの人が亡くなっていったということを想像すると、自分がここにいていいのかという気持ちにさえなりました。

  • <独立門>

 19世紀末に清との冊封関係から脱し、独立国としての気運が高まる中、徐載弼などを中心とする独立協会が募金を呼びかけ、それまで清との冊封関係の象徴であった「迎恩門」に代わって建てられた門です。近くには三一独立運動の碑や徐載弼の像が設置されています。この辺りは芝生などが整備されていて、子供たちも気軽に遊ぶことが出来る場所でした。

  • <三一門> 

三一独立運動の拠点となった門です。突然の豪雨のため今回は雨宿りの場所として使わせてもらいましたが、タプコル公園の入り口になっています。今回は中に入ることが出来なかったため、次は中に入ってしっかりと見学しようと思います。

 

 8月27日(DMZ)

 南北緊張の最前線に行ってきました。最短距離では境界線まで200m程のところまで近づきました。天気が良かったため、北朝鮮の町もはっきりと見渡すことが出来ました。この軍事作戦区域に入るには軍が管理する検問を通過しなくてはならず、かなり緊張感が高まりました。開城工業団地との交流が再び始まったようですが、そこで働いている人は毎回その様な緊張感を味わっているのかと思うと、その大変さが強く伝わってきました。そのほかにも、平和公園や都羅山駅など様々な場所が観光地になっていますが、南北の分断という悲劇を象徴しているこの場所が、皮肉にも貴重な観光資源になっているというのもしっかりと理解しておかなければならないと感じました。

 

8月28日(世宗路、青瓦台・サランチェ、旧ソウル駅 清渓川)

  • <世宗路> 

 世宗大王の銅像の下には「世宗のお話(세종이야기)」という展示室があり、世宗大王がどのような人物だったのかを詳しく説明されています。規模は大きいというわけではありませんが、入場は無料です。印象としては、若干子供向けのイメージがあり、映像などを用いて、その人物像をしっかりと刻み付けようとしているように感じました。僕としてはこの展示室が主張しているのは「世宗大王がいかに民衆を思いやっていたか」ということだと思います。この展示室のテーマと言ってもいいと思います。その例として訓民正音などが挙げられており、それ自体の詳しい内容はそれ程多くなかったように思いました。また、この展示室は世宗大王の銅像から少し南に行くとそびえたっている李瞬臣の銅像の地下まで続いており、李瞬臣の展示室と連結していました。

  • <青瓦台・サランチェ>

 青瓦台の中にはさすがに入ることは出来ませんでしたが、その外観を見ようと多くの人が集まっていました。日本の総理官邸を見にこれだけの人が集まるかと考えたときに、少し特異性を感じました。またその近くに併設されている政府機関のサランチェには、今までの政府の歩みや、今の政府の方針などがしっかりと宣伝されていました。また、それだけではなく、絵画などの文化芸術、花などの自然に関するものも多く展示されていました。その一方で、目の前の広場で横断幕を掲げ、反政府運動を行う人たちが多くいました。

 

  • <旧ソウル駅>

 現存する旧駅舎は日本の統治時代に建築されたもので、現在のソウル駅ができるまでの間、解放後も利用された。日本統治時代の象徴ともいえる一方で、韓国の史跡284号に登録された建物です。文化施設として現在は機能しているようですが、今回私が行ったときは残念ながら改装中ため、利用することは出来ませんでした。9月半ばごろにリニューアルされるようなので、機会があればぜひ訪れたいです。ちなみに、前方にある像は西大門刑務所で亡くなった姜宇奎(강우규:カンウギュ)という人の像です。

  •  <清渓川>

 かつて、開発の過程で、コンクリートの下に隠れてしまった河川が2005年に復活しました。以前は川の上に高架橋があったのですが、それが撤去され近隣住民の憩いの場になっています。たまたまそこで出あった人の話によると、今は魚も住んでいるということです。かつて死の海と言われていた状態から回復した北九州の洞海湾のように、環境問題とその問題意識の高揚の象徴といえるのではないいでしょうか。ぜひこの自然を大切にしていきたいものです。

 

 8月29日(奉恩寺、龍山基地)

  • <奉恩寺> 

 この寺院は大韓仏教の曹渓宗という宗派に属しているようです。以前に釜山で訪れた梵魚寺と同じ宗派のようです。江南という都会に位置しながら、その境内には緑が生い茂り、日常から離れてリラックスした空間に入り込むことが出来ます。また、この寺院ではテンプルステイも行われているようで、日常から離れて、自然を満喫したりするにはとてもいい場所ではないかと思いました

  •  <龍山基地> 

 アメリカ軍の韓国駐屯地。2016年にはすべて移転するということで、今回が最後のチャンスでした。現在はアメリカ軍の駐屯地とは言え、清が利用した後に、日本植民地支配の拠点となった土地であり、それを戦後アメリカ軍が引き継いだという形になっています。そのため、敷地内には日本軍が建てた建築物が多く残っています。 敷地内にスーパー、コンビニ、生活支援センター、郵便局などがあり、敷地内だけで一つの村を形成しています。そこで勤務している(勤務というより兵役中の)韓国軍の方と交流しました。この場所に配属されたほうが、一般の韓国の兵隊より居住環境や自由さなどの面でかなり待遇がいいそうです。アメリカ軍としてここで任務を遂行するためです。しかし、アメリカ軍と同じ仕事をしながら、軍の規定は韓国軍のものが適応されるため、アメリカ兵が普通に用いている携帯やパソコンなどが敷地内で使えないなど、不平等だと感じることも多いようです。

 

 8月30日(発表)

 この日、漢陽大学校に到着し、即発表ということで、少し緊張しましたが発表、討論と交流を深めることが出来ました。この日まで連日で夜遅くまでお酒を飲んでいたこともあって少し疲れは溜まっていましたが、この日も例外ではなくばっちり飲み明かしました。やはり、少しでも韓国語ができると楽しいと思えた瞬間でした。どうしてもお酒が入らないと口数が少なくなってしまうのですが、お酒がなくてもこれくらいはしゃべりたいと思いました。

 

8月31日(韓国民俗村)

 この日はフィールドワークで、水原華城と韓国民俗村に分かれて行動しました。私は韓国民俗村に行きました。そこでは、単に昔の風景が残っているだけではなく、数々のイベントが行われていたり体験設備なども備え付けられていたりするなど、いわゆる「かたい」イメージはなかったです。文化体験というよりは、テーマパークという性格も強かったように思います。子供向けに遊園地のようなものもあり、大人向けにはドラマのロケ地などもあり、広い層のニーズに合わせたものになっていました。このようにすれば文化を大切に思うのも当然だと思いました。いくら教えても興味がなければ衰退していくのが文化です。そのため、まずは楽しく肌で感じてもらおうというのがこの施設の特徴だったように思います。

 

<総括>

 今回のゼミ旅行で訪問した場所については、以上に述べたように、感じるものが非常に多かったように思います。また、移動中にみかけた風景にもいろいろと感じることが多かったです。セウォル号事件のために追悼し、祈祷するキリスト教団体による活動、大統領の選挙の不正を主張する団体、ショッピングモールであるホームプラスの労働組合による労働条件改善を要求するデモなどがあり、地下鉄明洞駅やソウル駅にはホームレスの方もいて、今までいかに光の部分を見ていたのかということを実感する瞬間が多々ありました。また、以前に明洞に来たときには、日本語しかないというくらい看板も言葉も日本語が飛び交っていましたが、今回は日本語にとって代わって中国語があふれかえっていたように思います。観光の要所に、日本語ではなく、中国語が飛び交うのをみて、以前より日本から遠ざかっていく韓国を感じたような気がします。それまで、マスコミが騒いでいるほどには日韓関係は悪くないと思っていただけに、少しさびしく思いました。このように韓国のリアルな姿を肌で感じ、目で見ることが出来たこの旅行はとても有意義だったように思います。次にソウルを訪れるときどのような変化があるのか楽しみに思います。