特別展開催に寄せて(チラシ裏面に記載)
ペシャワール会代表
中村 哲氏
今回、私たちの現地活動を紹介する企画があると聞き、大変光栄に存じます。昨近の情勢を見ると、一見勇ましい強硬論が幅を利かせ、扇情的とも言える過熱報道で皆が冷静さを失いがちであります。
この中にあって、暴力や経済力にものを言わせる力の論理が、世界を動かしている事は憂慮すべきです。本当に人間にとって必要なものは何か、私たちは現地での医療活動や旱魃(かんばつ)対策を通して、事実を見てきたつもりです。
アフガニスタンでは、大地に張りついて生きる農民や、貧民たちの声がほとんど届きません。どうしても私たちは紙上のニュースを頼りに現地像を組み立てがちですが、人々が何で困っているのか、おそらく知られなかったと思います。政治的な動きだけではつかめない現実があります。「国際世論」を背景とする「正義」の名の下に、多くの理不尽な殺戮が行われ、罪のない多くの人々が死にました。
私たちペシャワ―ル会は、政治の世界とは無縁に、今ひとつの挑戦を行っています。多くのアフガン難民たちは、実は大旱魃(だいかんばつ)によって発生したものです。パキスタンに逃れた難民200万人のうち170万人が帰還したと伝えられましたが、ほとんどが再難民化しており、150万人が戻っています。食物も水もない所に強制的に帰しても生きてゆけません。アフガン情報は首都カブールに限られていて、こんな事さえ正確に伝わらないのです。廃村はさらに増えています。
私たちは2000年7月以来、アフガン東部で飲料水源を確保して何とか住民たちをつなぎとめ、現在その作業地は900に上っています。しかし,水だけでは生活できないので、灌漑設備を整備して自給自足の農村復活を目指し、治水工事、井堰(いせき)や堤の大規模な建設を行い、農業、牧畜を本格的に復活させる計画です。生きるに不可欠なのに、誰もやらないからです。
武力や政治スローガンは、旱魃(かんばつ)対策になりません。平和の基礎は、相互扶助による生存の保障です。私たちは「生きること」、そのことに希望を見ます。猛々しい軍隊のライフルや頭上を飛ぶ米軍機をよそに、今日も黙々と作業に励みます。
立命館大学国際平和ミュージアム館長
安斎育郎
パキスタンのペシャワ―ル・ミッション病院から日本キリスト教海外医療協力会に医師の派遣要請があったのは、1982年のことでした。翌83年、中村哲医師のペシャワ―ルへの派遣が決まりました。その年の9月、中村医師の支援組織として、福岡に「ペシャワ―ル会」が発足しました。
以来、中村医師を中心とするペシャワ―ル会の活動は、現地の民衆の必要にこたえて、パキスタンとアフガニスタンを舞台に精力的に進められてきました。医師たちは、歩いて何日もかかる地域にも行きました。干ばつに襲われた人々を助けるために、井戸掘りもしました。2001年12月には「緑の大地」計画も発表し、農業支援にも乗り出しています。
人が人に手をさしのべ、いのちを紡ぎ出す―ペシャワ―ル会のめざましい活動は、私たちに人間としてのありようを考えさせてくれるでしょう。