第9回メディア資料研究会を開催しました

第9回メディア資料研究会を開催しました

会場の様子

 

 今回のメディア資料研究会は、広島市立大学より日本近現代史が専門で、フィリピンにおける対日戦犯裁判の研究を行っている永井均先生をお招きし、当館所蔵の横山静雄資料を中心にお話しいただきました。はじめに先生からは、マニラ近郊のモンテンルパにあったニュービリビット刑務所での戦犯の様子、激しい対日感情があるなかで公正を示し裁判にのぞむフィリピン側の姿勢など、フィリピンにおけるBC級戦犯裁判史の概説があり、そこから浮かび上がる横山静雄資料の意義について、また現代におけるBC級戦犯の私的な資料がもつ役割についてなどに議論が及びました。

 当館所蔵の横山静雄資料は、元陸軍中将横山静雄がフィリピン軍事法廷によって裁かれた戦犯裁判資料(起訴状、尋問調書など)および、書簡類、ニュービリビット刑務所収監後に記した日誌や句集など私的な文書を中心に構成される資料群です。

 横山静雄は、1909年に陸軍学校に入学後、主に満洲で鉄道関連の部署に配属され、1944年に第8師団の指揮官としてフィリピンに渡りました。終戦後、彼が高位の指揮官だったことから、フィリピン人虐殺に関する指揮官責任をはじめとする残虐行為や強姦など58の項目で起訴され、1949年に死刑判決を受けました。1953年には、ほかの有罪判決をうけた戦犯とともに、キリノ大統領による恩赦で減刑となり帰還しました。歌手渡辺はま子が歌う「ああ、モンテンルパの夜はふけて」(1952年)の紹介もありましたが、こうした戦犯支援が重層的に効を奏したことに加え、日本・フィリピン間の戦争賠償問題等の政治的な意図をふくんだ結果とみられています。

 フィリピン戦犯研究における一次資料としては、GHQ/SCAP文書、フィリピン公文書館、国立公文書館、外交史料館、フィリピン側の当時の新聞などがありますが、抜け落ちている箇所もあり、裁判記録でも全てがそろっているわけではありません。こうしたいわゆる公的資料に対して、私文書にあたる横山静雄資料は、対日戦犯裁判研究において特異な存在だという指摘がされました。永井先生はこの資料を、日本人兵士がフィリピン人をどうみたか、軍人の戦争観がどう変容していったかを読み解くことができる、稀有な個人文書と位置付けました。また、少数ながら他にも存在する元戦犯の私文書の今後の保存の可能性と合わせ、当資料を多くの人に知っていただき、研究に活用されることも大切だという示唆もありました。

 質疑応答では、BC級戦犯の思想的側面についてや個人責任をどう捉えるかという議論があり、永井先生は、実際に聞き取り調査を行い本人や家族との関係性を考えると、その問題は単純な善悪だけで図ることはできないという話もされました。

 戦犯に対する問題は多様な視点から研究が進んでいますが、戦争犯罪を裁かれた当事者がどのように内省した(あるいはしなかった)か、戦争をどうとらえたか、原資料をひも解くことで、今後、国際平和ミュージアムでの活用の道が開けそうな研究会となりました。

 

第9回メディア資料研究会
「フィリピンの日本人戦犯の記録について―横山静雄元中将資料を中心に」
日時:2018年7月27日(金)17:00~19:00
場所:立命館大学国際平和ミュージアム 2F会議室
報告:永井均先生(広島市立大学教授)
参加者:13名


▲永井均氏  

▲資料閲覧の様子 ▲資料閲覧の様子


 


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