筑紫哲也客員教授連続講義「日本論の視座」第1回目 開催
4月21日(土)、衣笠キャンパスにて、筑紫哲也客員教授の「日本論の視座」第1回目連続講義およびゼミを行った。
この講座は、2006年より立命館大学の客員教授に就任した筑紫哲也氏が、今の大学生の現状を見て、「先生が与える正しい答えを受ける学生」から「意欲的に学ぶ学生」への転換を図ることを目的として開催した。筑紫客員教授は、講義を始めるにあたって、物事の答えを1つと考えるのではなく、その答えとなりうる様々な可能性を模索するのが学生であるとし、私達には(1)常識を疑うこと、(2)現代を疑うこと、(3)自分を疑うこと、この3つの意識を日頃から持つことが大切であると示した。
まず、この講座のテーマである「日本論の視座」については、自国に対する外部からの目というものに非常に敏感な日本人が、古くから意識してきた「日本人論、及び日本論」について、様々な視点から捉えて考えることだと述べた。
そして今回のテーマである「序論:私たちは何者か」の話題になると、筑紫客員教授は現代の日本人の意識の変化として、「判官ひいきの精神」から「勝ち馬に乗る精神」へ移行している点を挙げた。日本人の1つの傾向であった、悲劇的に死ぬ義経の生涯を美しく思うような、弱者に対する第三者の同情意識が薄れ、逆に、1つの流れができそちらに傾くと安心するような「勝ち馬に乗る」という意識が、小泉純一郎元首相の選挙時より広がってきていると最近の風潮を説明した。また、「箸の常用などにより器用とされた日本人は、近代化を経て、今日の富める国日本を築き上げたが、現代は外国の食文化が参入し、手先が器用とは言えない。また産業においてもアジアの方が活発で、実際には中国の急激な産業発展に圧倒されている」と述べた。さらに、「戦後の日本の子どもは、世界でいちばん目の輝きがあるといわれていたが、近年その輝きは失われつつある」とも語った。
このように、戦後からの日本のあり方には急激な変化があるといえるが、この日々の変化を常に新しい視点で考え、「日本はこうである」という思い込みや内弁慶な傾向を打破し、自己を十分に外へ向けて説明することが重要であると示した。
会場には緊張した雰囲気があったものの、筑紫客員教授の一言一言を聞き逃すまいと、聴講生たちは熱心に耳を傾け、ノートをとる姿が見られた。
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