「Rs be ambitious!」
門川大作氏(1974年 法学部卒)京都市長
「念ずれば花開く」実行こそが成長のキーワード
立命館大学を卒業し、各界で活躍するOB・OGの社長や若手社会人が
在学生の皆さんにエールを送る「Rs be ambitious!」。
今回は2008年2月、京都市長に就任された門川大作さんにお話を伺いました。
京都市教育委員会に勤務しながら通学していたご自身の大学生活のエピソードや、
公教育の改革に邁進された教育長時代の経験を基に語られた「働くこと」にかかわる哲学、
在学生へのメッセージなどを熱く語っていただきました。
(2008年6月10日掲載)

昭和44年3月、私は京都市立堀川高校を卒業しました。当時は、世の中が非常に騒然としていました。ベトナム戦争がどんどん激しくなり、学生闘争も非常に盛んな時でした。京都で起こっていた学生運動と市民運動のうねりが高校にも入ってきていた状況で、私自身は机の前で勉強するよりも実際にいろんな経験をしてみたいとの思いが強く、高校では生徒会の活動をしたり、べ平連(*「ベトナムに平和を!市民連合」)の活動をしたりしていて、結局は大学進学を断念しました。それで家から一番近い職場ということで、市役所を受験しました。いま振り返ると我ながら笑ってしまうような志望動機ですが(笑)そして、たまたま教育委員会に配属になりました。

 

それからです。「もっと勉強せなあかんな」と実感するようになったのは。教育委員会ということで私の周りには学校の先生がたくさんおられ、その先生方と仕事をするうちに、刺激を受け、進学を決意しました。翌年からは市電に乗って、当時は河原町通広小路にあった立命館大学に通いだしました。

 

私にとって立命館大学は素晴らしいところでしたね。私は法学部の二部に通っていたんですが、立命館は一部と二部で教える先生が一緒で教学の差をつけないという理念を持っていた。また、法友会(※法律討論サークル)の役員もやらせてもらっていたことから、立命館の名誉総長である末川博先生のお宅に行ったり、講演を聞く機会もありました。そのときのお話は、今でも鮮明に覚えています。「人間の顔は、骨の上にわずかな肉がついている。そのわずかな肉が動いて笑ったり、泣いたり表情が変わり、個性があふれるんだ」と。多様な価値感、モノの見方、本当に色々なことを学びました。今の私があるのは、立命館大学の二部で学ばせていただいたおかげだと言い切れます。

 

働きながらも、授業には真面目に出席し、教育実習にも行きました。しかし「地誌学」の2単位が取れず、教員免許が取れなかったことは苦い思い出です。私のキャンパスライフというのは、日中は京都市役所で働き、夜は立命館大学で勉強して、22時ごろ再び市役所へ戻ってくる。そして、夜中2時、3時まで仕事をして帰るというものでした。そんな中、印象に残っているのは学食ですね。二部の学生であった私にとって、社会人と学生とのスイッチを入れ替ることのできる場所でした。学食で夕飯を食べながら熱い議論を友人たちと出来たことが、今でも良い思い出です。

 

私は、父母から教えられた「生かされて生きている」という考え方を念頭におき、感謝する気持ちを自分の根っこに持たせてもらいたいと常に念じています。以前、世界的な指揮者の佐渡裕(ゆたか)さんが、こんな話をされました。「感謝力はかけ算で作用する」といいます。つまり、良い一日を過ごせたり、良いことがあったときは、その感謝の気持ちを掛け算していくと、3倍、5倍の力になっていく。ところが、それを0.5倍の気持ちで感謝したらそれ以下の力、つまり、その半分にしかならない。私も仕事のやりがいというのは、あらゆるものに「感謝する気持ち」によって高まっていくと思います。感謝する気持ちによって自分が高まり、そして周囲にも好影響を与えるのです。

 

また私は、自分自身のモットーとして「人間浴」という言葉をよく使います。先ほどの「感謝の気持ち」もそうですが、「人」は人との間でこそ成長すると信じ、たくさんの方と接してきましたね。その人間浴のおかげで多くのご縁もできました。そうして様々な方の多様な考え方、価値観に触れるにつれ、それぞれの方の話の中でも最も力がこもるのが現場での体験談であることに気づきました。現場には様々な問題もありますが、改革の芽や問題解決への潜在力もあることから、私は「現地・現場主義」を貫いています。

 

教育長時代の経験から導き出された「共汗」も私にとっては重要なキーワード。「共汗」とは文字通り、共に汗をかくということです。現場で働く誰もが実践し、ときには評価者にもなるという相互関係を作り上げ、まさに共に汗を流し、高め合うことが出来てはじめて、改革や改善が進むことを確信しています。

 

立命館大学の学生は、自立心をきちんと持っている印象がありますね。また、「自らを磨いて社会に貢献し、そのために学ぶ」という、一貫した学風があるように感じます。私は京都市長として多くの学生のみなさんと関わりを持つ機会があり、ものすごく元気をもらっています。大人の社会では「いまどきの学生は」なんて言うけど、とんでもない。意欲のある学生は、京都に、そして立命館大学にたくさんいると思います。

 

私が教育長だったころ、教員採用試験の説明会で、「皆さんどうぞ、先生になってください。歓迎します。大いにチャレンジしてください」と話をしたことがありました。するとその後、先輩教員のスピーチで、若い女の先生がこんな話をされたんです。

 

「教育長は皆さんのチャレンジを、と言われたけれど、生半可な気持ちで教師を志さないでほしい。毎日毎日、現場に出て、あらためて教師という仕事は大変な仕事だと私は実感している。子供とどう接するのか、どう子供の力を引き出すのか、親との関係、地域との関係、あらゆることが大変だ。でも、私は耐えられる。私は知っていたから。学生時代にボランティアで学校現場に入らせてもらい、教師と言う仕事がいかに大変かを経験したから。大変さを承知の上で私はこの道を選んだ。だから私は喜んで頑張れる。皆さんも、どんどんボランティアで学校へ入ってほしい。そして喜びを感じ、心して教師になってほしい」と。

 

この先生は、立命館大学出身でした。私は感激しました。大学で講義を受け、本を読んで学ぶことはもちろん大事です。同時に、多様な「現場」のフィールドを積極的に体験し、人と接し、そこから学ぶというサイクルを実践している学生が立命館大学から巣立ち、社会で活躍している場面を目の当たりにしたことは、本当に嬉しかったですね。

 

大学時代にどんな生き方をしたか、どれだけの人と知り合って「人間浴」をしたか、それによって大きく人生が変わります。社会人と比べて大学時代はあまり利害関係のない時代だと思います。しかしそれに甘んじて責任感のない、ふわっとした関係ではダメ。一歩二歩踏み込んで、激しく議論をかわし、行動を共にし、もちろん「傷つく」こともあるでしょう、しかし「気付く」ことも多い。そして、お互いに成長していく、そんな関係を大学時代で是非つくってほしいですね。

 

最後になりますが、みなさん「念」という字を思い浮かべてください。念は「今」と「心」という二文字で成り立っていますね。念ずるとは、「徹底して一日一日を大事にし、今に心を置く」こと。もし念じなければ「無念」、念じてもやらなければ「残念」になります。そうならないように実行することこそが、成長のための鍵となります。「念ずれば花開く」。この信念を持ち、立命館大学の皆さんがご活躍されることをお祈りいたします。

 
Link 京都市ホームページ「京都市情報館」
Link 門川市長のページ
取材・文/安藤賀菜子(文学部2回生)
立命館大学校友会とは?_ 立命館大学校友会は、立命館大学とその前身校の卒業生約28万人で構成され、卒業生各人の活躍と母校の発展を目的として、多様な事業を展開している団体。社会に出てからも、世代を超えてサポートし合う校友ネットワークは立命館の魅力の一つです。
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