立命館大学の学生は、自立心をきちんと持っている印象がありますね。また、「自らを磨いて社会に貢献し、そのために学ぶ」という、一貫した学風があるように感じます。私は京都市長として多くの学生のみなさんと関わりを持つ機会があり、ものすごく元気をもらっています。大人の社会では「いまどきの学生は」なんて言うけど、とんでもない。意欲のある学生は、京都に、そして立命館大学にたくさんいると思います。
私が教育長だったころ、教員採用試験の説明会で、「皆さんどうぞ、先生になってください。歓迎します。大いにチャレンジしてください」と話をしたことがありました。するとその後、先輩教員のスピーチで、若い女の先生がこんな話をされたんです。
「教育長は皆さんのチャレンジを、と言われたけれど、生半可な気持ちで教師を志さないでほしい。毎日毎日、現場に出て、あらためて教師という仕事は大変な仕事だと私は実感している。子供とどう接するのか、どう子供の力を引き出すのか、親との関係、地域との関係、あらゆることが大変だ。でも、私は耐えられる。私は知っていたから。学生時代にボランティアで学校現場に入らせてもらい、教師と言う仕事がいかに大変かを経験したから。大変さを承知の上で私はこの道を選んだ。だから私は喜んで頑張れる。皆さんも、どんどんボランティアで学校へ入ってほしい。そして喜びを感じ、心して教師になってほしい」と。
この先生は、立命館大学出身でした。私は感激しました。大学で講義を受け、本を読んで学ぶことはもちろん大事です。同時に、多様な「現場」のフィールドを積極的に体験し、人と接し、そこから学ぶというサイクルを実践している学生が立命館大学から巣立ち、社会で活躍している場面を目の当たりにしたことは、本当に嬉しかったですね。
大学時代にどんな生き方をしたか、どれだけの人と知り合って「人間浴」をしたか、それによって大きく人生が変わります。社会人と比べて大学時代はあまり利害関係のない時代だと思います。しかしそれに甘んじて責任感のない、ふわっとした関係ではダメ。一歩二歩踏み込んで、激しく議論をかわし、行動を共にし、もちろん「傷つく」こともあるでしょう、しかし「気付く」ことも多い。そして、お互いに成長していく、そんな関係を大学時代で是非つくってほしいですね。
最後になりますが、みなさん「念」という字を思い浮かべてください。念は「今」と「心」という二文字で成り立っていますね。念ずるとは、「徹底して一日一日を大事にし、今に心を置く」こと。もし念じなければ「無念」、念じてもやらなければ「残念」になります。そうならないように実行することこそが、成長のための鍵となります。「念ずれば花開く」。この信念を持ち、立命館大学の皆さんがご活躍されることをお祈りいたします。 |