1940年、京都市中央卸売市場の関係者が資金を出し合って、京都中央信用金庫の原型となる京都市中央市場信用組合ができました。そこで両親や親戚が働いていたこともあり、京都中央信用金庫は子どもの頃からよく知っていました。
近年でこそ、銀行などを介して資金を調達する間接金融から、証券市場を通じ資金の供給者から資金を調達する直接金融のウェイトが増えてきましたが、私が卒業した1961年は、証券会社による「銀行よさようなら、証券よこんにちは」のキャッチフレーズが生まれた時代とはいえ、まだまだ銀行や信用金庫といった間接金融のウェイトが高い時代でありました。そんな時代に立命館での学生生活を通じて、ますます京都が好きになっていた私は、京都という地域に貢献できる仕事がしたいと考え、京都中央信用金庫に入庫しました。
入庫した直後の私は、金融機関で仕事ができるタイプではない、1ヶ月ももたないだろうと周りからは言われていました。しかし、「目の前のことを一つずつしっかり取り組めば大丈夫」と自分の強い意思で一生懸命働きました。その甲斐もあり34才で支店長になったときには、自分の能力にある程度の自信が持てるようになりました。
自分が望まない仕事でも、人生のチャンスとなりうることが沢山あります。支店長を経験した後、本部に転勤し、健康保険組合をつくるように指示を受けました。現在は規制緩和の時代ですが、当時は特殊な制度や商品を作りにくい時代でした。健康保険組合の設立に際しても行政認可の基準等いろいろな問題に頭を悩ませましたが、とにかく仕事は我慢が必要と強く思うようになったのがこのときでした。
他にもバブル崩壊後は、不動産価格の下落により、不良債権の処理に追われました。予想もしていない仕事ではありましたが、言ってみれば、金融機関にとって、あるいは企業にとって主要な節目ともなる業務に携わることができ、自分の仕事へのやりがいを感じると同時に、コツコツと粘り強く取り組んだことが自分への自信につながりました。
現在は理事長という職にありますが、昇進を考えて仕事をしてきたわけではありません。目の前のことや、与えられたことを、一つひとつ着実にこなすことで、後から結果が付いてきただけだと感じています。 |