「Rs be ambitious!」
磯見俊裕 氏(1979年 産業社会学部卒業) 美術監督・映画プロデューサー、株式会社トランスフォーマー副社長、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻 教授(美術領域)
自分の胸にしっかり手を当て、 自分色のレールを引いていってほしい
立命館大学を卒業し、さまざまなフィールドで活躍するOB・OGが
在学生の皆さんに熱いメッセージを送る「Rs be ambitious!」。
今回は『バトルロワイヤル II ~鎮魂歌』『誰も知らない』『血と骨』『花よりもなほ』などの作品をはじめ、
これまで多くの映画セット製作、及び映画プロデュースを手がける美術監督の磯見俊裕氏にインタビュー。
「人生には色んな迷いがある。映画美術を生涯続けていこうと決意したのはつい10年ほど前」と語る磯見氏に、
立命館での学生時代の思い出や、美術監督になるまでの背景、そして今在学生へ一番伝えたいメッセージを伺った。
(2009年1月9日掲載)

立命館大学に入学しようと思ったきっかけは中学生時代。当時の社会の先生が立命館大学出身で、バンカラな学生時代の話がとても面白く、私も立命館大学に行きたい、と自然に思ったんです。

 

産業社会学部に入学してからは、興味あることには首を突っ込み、さまざまな人たちとの交流を楽しみました。1回生のときから自治会の運営委員になり、自治のあり方を考えたり、思想系の研究会やワンダーフォーゲル同好会に参加したりと、自分がやりたいと思ったことは何気に実行していましたね。特にワンダーフォーゲル同好会の活動スタイルがとても好きでした。群れが群れを維持するために陥る活動義務のようなものに縛られず、学生たちが主体的・自主的に集まって、議論し、自らの意志で野や山に出向く。そこには大学ならではの「場」という雰囲気があって、多種多様な仲間たちと出会い、思考や物の捉えかたを学ぶことができました。

 

学生時代には、現在の職業に直接結びつくような、いわゆる芸術的、美術的活動や学習はしておらず、映画も人並みに好き、というぐらい。それよりも、様々な地域からいろいろな考えの人間が集まり、学生という日常を過ごす。その日常の関わり合いで知る知識や思考プロセス、そのズレに面白みを感じながら、皆で酒を飲み交わしていた、という感じでしょうか。そうした学生時代の出会いは現在に繋がっていますし、それが実際に映画美術をするうえで、大きな助けとなっています。

 

 

 

 

恥ずかしながら、学生時代、私は世の中で働きたくないという気持ちの方が強かった。出来れば「そのままずっと学生をしていたい」そんな風にも思っていました。とはいえ実際は、仕事をしないわけにはいかない。卒業後は、京都の山科にある鞄製造会社に入社しました。でも、やっぱり仕事が面白いと思い続ける事ができなかった。会社を辞めて、友人の紹介で職を転々とした後、日刊木材新聞社という、原木調達や製造業の市場分析から木材業界の情報を発信する専門紙の記者になりました。

 

記者時代の知人との関係から、京都で千年シアターという野外劇場の建設に関わることになり、舞台や映画のセットをつくるのが楽しいなと思うようになりました。それがきっかけで様々な制作集団に属しながら、気づけば現在では、映画美術という仕事をやらせてもらっています。この世界に入り約20年ですが、実を言うと、この仕事を生涯続けていこうと決心したのは、つい10年ほど前の40歳を越えてから。しかし、決心した翌朝に気づいた事があります。それまでは自分の可能性の視界が120度や90度ぐらいあるように思っていたのが、40歳を越えてふと気づけば10度ぐらいに狭くなっていた、というだけかも知れないと。

 

「この仕事で自分は将来やっていけるのか?」とか、「他の選択肢はないのか?」とよく考えていました。自分自身が、映像や芸術を専門分野として学んできてなかった点も、不安要素だったと思います。

 

私がこの業界に入るタイミングは、まわりの人たちと比べ10年ほど遅く、30歳頃からでした。どうも人より遅れているのが引け目だったのですが「ああ、これからの10年、人の2倍の仕事をすれば皆といっしょだ」と単純に考えそうしてきました。まぁ何よりも子どもが生まれたことで、家族を養わないといけない状況もあったのですが(笑)。以降、年間平均10作品というペースで映画美術を担当してきました。正直、定期的な休みもなければ、家でゆっくり家族と過ごす時間もないに等しいくらいの仕事量です。ひとつの映画を作るために、何ヶ月も前から撮影セットを作っていく美術部門の仕事は、来る日も来る日も永遠に続くかのような作業の連続で、実に根気が要る仕事です。印象に残っている作品を上げるとするならば、『血と骨』でしょうか。この作品中の昭和の町を再現するのは作りがいがあるぶん、とても大変でした。

 

しかし、映画というのは作品ごとにスタッフや出演者たちが変化します。実に多様な人間の集まりで、現場はまるで生き物のようです。「やっぱり映画は面白い!」という楽しみのほうが上回りますね。それは、自分が「好きだな」「面白いな」と思うことを、実現できているからだと考えています。だからどんなに多くの仕事が重なっても、常にそこに自分流の楽しみを見出して仕事をする姿勢を大事にしています。

 

今の学生を取り巻く環境は、私の時代とは大きく異なり、就職活動も早まっていると聞きます。大学には自分の可能性を広げてくれる場が本当に沢山あるので、限られた時間の中でいろいろな学生や先生との交流を通じて、自分のやりたいこと、好きなことに向かって突き進んでいってほしいと思います。決して後悔しないように。

 

これから自分の人生に悩んだり、何事もうまくいかない時期があったりと、出口が見えないトンネルに差し掛かる時期も必ずやってくることでしょう。しかし、そんな時こそ、他人の価値観、大きく言えば社会的な価値観だけにその判断を委ねることなく、これまで培ってきた自分の感性を信じ、自分の胸にしっかり手を当て、自分の気持ちが悪いことはしないことが大切です。トンネルも素敵だと思ってもかまわない。それと同時に、自分を取り巻く多くの人々の存在があってこそ、自分が存在できるという当たり前のことも忘れずに日々過ごしてください。

 

私は立命館大学の卒業生であることを今でもとても誇りに思っています。今後もそう思えるよう、在学生のみなさん一人ひとりの頑張りに是非、期待しています!

[学生広報スタッフ取材後記]
インタビューのロケーションはなんと山中の撮影現場! 今回は特別に映画セットの制作過程を磯見氏に案内していただき、見学するという貴重な経験もさせて頂きました。実に様々な環境で仕事をされてこられた人生経験に基づく考え方や表現のセンスには、とても人を説得させる力があるなと感じました。私自身も監督からのメッセージを大切にして自分らしい学生生活を過ごしていきたいと思います。
 
取材・文/李 利奈(国際関係学部3回生) 
立命館大学校友会とは?_ 立命館大学校友会は、立命館大学とその前身校の卒業生約28万人で構成され、卒業生各人の活躍と母校の発展を目的として、多様な事業を展開している団体。社会に出てからも、世代を超えてサポートし合う校友ネットワークは立命館の魅力の一つです。
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