輝いています、ときの人 #100 江島大佑さん(2008年3月 産業社会学部卒業)
自分のために、チームのために若きキャプテンが世界に挑む

2008年夏、世界を熱狂で埋め尽くすであろう北京オリンピックの直後、
興奮冷めやらぬ間に開催されるパラリンピック。

立命館大学の校友である江島大佑さん(2008年3月産業社会学部卒業)が、北京パラリンピック代表に内々定した。
50mバタフライ世界ランキング4位の記録を誇る選手として、水泳日本代表チームのキャプテンとして、

また4月からは社会人として北京に挑む江島さんに
2004年のアテネパラリンピックを経てから現在までの心境を伺った。

(2008年4月17日掲載)
Q

江島さんが水泳を始めたきっかけを教えてください。

江島

もともとは「健康のために」と両親に勧められて始めたのがきっかけです。それからずっと水泳を続けていたのですが、中学校2年生のときに左半身不随になり、方向感覚を失ってしまいました。しかしある時、「今何をしなければいけないか」を考え、リハビリを始めました。その結果ある程度動けるようになり、退院した後、シドニーで行われていたパラリンピックをたまたまテレビで見たんです。そこで自分と同じく、障害を持つ人たちが泳いでいるのを見て、今まで続けてきた水泳にもう一度チャレンジしたいと思うようになりました。中学校で健常者と同じメニューをこなしながら「とにかくもう一度泳ぎたい」という想いで水泳に対する感覚を思い出していきました。

 

高校に進学してからは、ただ泳ぎたいというだけでなく、結果を意識して本気で水泳に打ち込むようになりました。そうして初めて国際大会に出たのが高校2年生、2002年に開かれたアルゼンチンの世界選手権大会でした。それまでは国内大会に出ていたのですが、初めて世界の強豪と戦ってその凄さにショックを受けたのと同時に、改めて自分の未熟さが見えました。そこからはとにかく泳ぎこみをして筋力を上げ、フォームを今の体に合うものに改良しました。そうして、アテネパラリンピックに臨んだんです。

Q

アテネパラリンピック出場までには、そのような紆余曲折があったのですね。では、そうして臨まれたパラリンピックはどうでしたか?

江島

アテネではアルゼンチンでの世界選手権以上に大きなショックを受けました。とにかく世界選手権とは規模がまるで違ったんです。選手として泳げばいいだけではなく、日本代表としてのきまりや、ふるまいなど、新しく考えなければならないこと、やらなければいけないことが多く、マスコミ対応も初めてのことだったので戸惑いました。滞在中の食事、栄養健康管理も大変でしたね。ですがそんな中で、200mメドレーリレーで銀メダルを取れたのはやはり嬉しかったです。

 

ただ、この銀メダルという結果は自分の力だけで獲得したのではなく、リレーでみんなの力を借りながらのものでした。このことが逆に「個人でメダルを取る」ということ意識するきっかけにもなりました。その後、立命館大学で大学のコーチのもと、練習メニューをこなす毎日でした。アテネでは後半バテてしまった反省から、自分なりに筋トレを増やしたりとメニューを工夫しました。また、食事やサプリメントにも気を遣うようになりましたね。

 

 

アテネパラリンピック直後の江島さん

 

 

しかし、アテネ後とアテネ前でもっとも大きくかわったのは周囲の目でした。日本代表と立場で見られることに加え、メダリストとして期待されることが少しプレッシャーに感じることもありました。また、2006年12月の南アフリカ世界選手権からは日本代表チームのキャプテンとしての役割も担うことになり、プレッシャーで水泳の調子が悪くなったこともありました。それまではメダルを取っても自分だけのものという意識があったのですが、2007年の米国パラリンピックオープン水泳選手権大会では、自分の取ったメダルがチームのためのものだという意識が強かったです。キャプテンになってからはチームをどうまとめたらいいのか悩みましたが、前キャプテンとはまた違ったやり方、自分なりのチームづくりを目指しました。イギリスの代表チームではあえてキャプテンを置かず、一人ひとりがキャプテンという意識を持って、チームのためを思いながら行動するという話を聞き、日本代表チームもそういう意識の高いチームにしていきたいと思っています。

Q

4月からは京セラコミュニケーションシステム株式会社に勤められますよね。選手、日本代表キャプテン、そして社会人と、3つの役割を担うことになりますが、不安はありますか?

江島

4月から社会人となるので、新しい生活や仕事に不安や期待を持っていますが、やっぱり一番気にかかるのは水泳のことですね。今までは何もしなくても練習メニューを組んでもらえたり、大学のクラブのメンバーやマネージャーの支えもありました。ですがこれからはそれらを自分でしていかなければいけません。ある程度は覚悟していましたが、やはり水泳に割ける時間が少なくなることに若干の不安はありますが、これから仕事と水泳を両立いきたいと思っています。

 

日本代表のキャプテンとしては、北京でどうやってチームを率いていったらいいのかはまだ模索中です。ただ、チームの代表として前に出たり、コーチと選手のパイプ役だけをこなすのではなく、みんなの精神的支柱になれるようなキャプテンを目指したいと思っています。

 

最後に選手としてですが、個人メドレーが一番気がかりであり、課題でもあります。バタフライと背泳ぎは得意なのですが、実は平泳ぎが苦手なんです。現在個人メドレーの世界ランキングは6位なんですが、北京パラリンピックに出場することになったら、メダルを取れるように頑張りたいです。他の種目の世界ランキングとしては50mバタフライが4位。100m背泳ぎは6位。特に100m背泳ぎは3歳からずっと続けてきた専門種目なので思い入れが強いですね。種目にかかわらず、キャプテンとしても選手としてもどれかの種目でメダルを獲得することが必要だと考えています。キャプテンとしてチームの士気をあげるためにもメダルを取れるように頑張りたいです。

取材・文/川口菜摘(経済学部3回生)
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