輝いています、ときの人 #134 「地雷・クラスター爆弾をなくそう!」テレビCMに登場 柴田知佐(しばた・ちさ)さん(国際関係学部4回生)
地雷・クラスター爆弾のない世界を 一人の一歩よりも百人の一歩が世界を変える
「地雷・クラスター爆弾をなくそう!」というテレビCMを見たことがありますか? そのCMの中で地雷とクラスター爆弾の廃絶を訴えているのは、実は立命館大学の学生である、柴田知佐さん(国際関係学部4回生)です。どのような思いで地雷やクラスター爆弾をなくそうと活動をしているのか。今回は柴田さんが活動を始めたきっかけや、現在の活動内容などについて、お話を伺いました。
(2009年5月15日掲載)
Q

地雷やクラスター爆弾について、いつごろから興味が芽生えたのですか?また、今までどのような活動をされてこられたのか教えてください。

柴田

私が小学生のとき、長野オリンピックが開催されました。そのときの聖火リレーで、地雷撤去中に地雷が爆発し、右手足を失ったクリス・ムーンさんという方が走っているのをテレビで見て、初めて地雷というものの存在を知りました。その後、地雷について調べていくうちに、大きなショックをうけました。日本で不自由なく生活していた私は、手足を失うということを現実として信じられなかったのです。そのとき、「自分にも何か出来ることがあるはず。何か行動を起こしたい」そう強く思ったんです。

 

絵を描くことが好きだった私は、地雷廃絶を訴える漫画を書き、自分の通う学校で募金活動を始めました。この活動を続ける中で私は、地元のテレビ局の取材を受けました。そして、中学1年の夏休み前のある日、テレビ局の方からの提案で、実際にカンボジアに行き、地雷が埋設されている地域を訪れる機会を得たんです。

 

 

 

Q

実際に地雷のある所に行ってみて、どのようことを感じられましたか。

柴田

実際にカンボジアに行くと、ここでは地雷が身近なものであると感じました。泊まっているホテルの前に、地雷の被害にあったであろうおじさんが無気力な顔をして座っていたり…。地雷原の近くにある村では、子どもたちが普通に地雷の埋まっているという場所の近くで遊んでいたりもしました。その光景はショックでした。地雷が埋まっているすぐ近くで自分が何も出来ないということに無力感を感じ、「何かしなければいけない」という気持ちが強まりました。帰国後は、音楽の授業がないカンボジアに日本の小学校や中学校で使っていても卒業すると不要になる、ピアニカやリコーダーを送るという活動を始めました。

 

去年の3月には、クラスター爆弾の被害の多いラオスに行きました。クラスター爆弾も地雷と同じように罪のない人々を傷つけ、苦しめる兵器であるということで、関心を持っていました。ラオスでは、ベトナムと国境を接する地域において、ベトナム戦争で使用されたクラスター爆弾の被害が今も続いています。そこで私は、日本からの援助で建てられた学校の開校式に参加しました。実際に地雷やクラスター爆弾のある所へ行くと、「自分に出来ることがあれば何かしたい」と、活動の威力が一層強くなります。現地に友達ができると、その友達のために「がんばろう」とモチベーションも高くなります。

Q

柴田さんは今、国際関係学部で学ばれていますが、活動をする中で何か影響はありますか?またこれから先の目標について教えてください。

柴田

立命館大学に入ってから、周りの友達の活発さにとても影響を受けました。私が地雷やクラスター爆弾についての活動をしていると知ると、助けてくれたり、応援したりしてくれる友人がたくさん出てきましたから。みんなに刺激され、最近では地雷やクラスター爆弾のみならず、貧困や女性への問題にも関心が高まっています。実際に貧困の現状を見ようと、フィリピンに行ったりもしました。

 

今、私は進路について悩んでいます。でも、地雷やクラスター爆弾への取り組みは一生続けていきたいと思います。そして、学生のみなさんにも一緒に問題意識を持ってもらいたいと思います。一人の一歩よりも百人の一歩が世界を変えると思うんです。

取材・文/李 亘(法学部4回生)
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