1回生の付き添いで、京都衣笠キャンパス隣の平和ミュージアムに行ってきました。
去年も2回ほど訪れたのでこれで3回目になりますが、改めて常設展の資料の多さや充実した企画展の内容に驚かされます。
被害者の視点だけでなく、加害者としての立場からも多くの説明がなされており、バランスのとれた展示だなぁと毎回同じように感心してしまいます。
残酷な現実を目の当たりにするとついつい人ごとのように思えてしまいがちですが、すべて同じ“人”が行った行為だと思うと、いついかなる時代にも起こり得ることのだと身につまされる思いです。
実は、こうした人が他者を攻撃するメカニズムについては多くの研究が行われていますが、他集団への攻撃行動は実験状況ではほとんど再現されていません(例えばMummendey & Otten, 1998)。
私も研究で様々な状況を設定して他集団への攻撃行動を測定していますが、「匿名性が守られている(誰が攻撃したかわからない)こと」「反撃される可能性がないこと」「コストがかからないこと」といった限定的な状況下で、やっと些細なレベルの攻撃行動(相手の課題を邪魔する、等)が出る、といった感じです。それくらい、「他者を攻撃してはいけない」という社会的な規範や倫理観は強いのです。
研究者の立場としては研究ができないので困りますが(苦笑)、これは社会的にはとても明るい話です。そもそも攻撃なんてしなくていいのが一番ですからね。
しかし、その一方で、現実の社会では、国家をはじめとした多くの集団間で問題が生じています。これはなぜなのでしょうか?
もちろん社会システムや政治的な立場も大きな影響を及ぼしているはずですが、それらを構築する“人の心”のレベルを考えた時、その動機は恐怖(fear)と搾取(greed)の2種類があるだろうと言われています。特に恐怖は厄介です。相手の攻撃を予測して先に攻撃をしてやろうということですが、その「相手の攻撃の予測」にもバイアスがかかってしまう(「攻撃してくるに違いない」と思い込んでしまう)からです。
さらに、これらの動機が先ほども言ったような社会的な規範や倫理観によって抑制されている間はよいのですが、正当化されることで行動に移されてしまいます。
個人的にもこの正当化の過程は興味があって博論の実験の一部になっているのですが、自己肯定感が他の集団によって脅威にさらされたとき、攻撃を正当化するようなイデオロギーに触れると攻撃行動が表出しやすくなることが示されました(杉浦・清水・坂田,2014)。
“攻撃を正当化するイデオロギー”というのは、例えば立場の高い集団なら「自分たちはこんなに相手の集団のためにしてあげているのに」、立場の低い集団なら「平等の実現のためにはいかなる手段も仕方ない」といった信念や価値観のことです。
短い文章を読ませただけでも行動に違いが出たくらいなので、新聞、テレビ、インターネットを介せば正当化の材料は山ほど出てくるでしょう。一つの実験の結果なのでまだまだ検討の余地がありますが、「正当化」は攻撃を抑制するうえで重要な過程だと思っています。
こうやって書くと絶望的な気持ちになりますが、もちろん集団間での良好な関係を保つためにはどうしたらいいのかという研究もたくさんされています。
また、「暴力の人類史(上下巻)」という2015年のスティーブン・ピンカーの本では、古代から現代にかけて暴力は減り続けているということが圧倒的な量のデータで示されています。
個人的には、自分の意見を持ち、その意見が本当に正しいのかどうかを考え続けることが必要なのかなと思います。自分の考えは本当に正しいのか、物事をバイアスをかけてみていないか…、こうした疑問はおそらく他者への興味や理解へとつながるでしょう。
1回生のみなさん、全クラス平和ミュージアムの見学が終わったこの機会に一度立ち止まって、自分にできることを考えてみてはいかがでしょうか?
あかん、つい自分の研究に関連することなので長々と話してしまいました。
重い話で終わるのはこのblogらしくないので、衣笠キャンパス近くのおすすめのお店情報で締めようと思います!(笑)
フルーツパーラー&カフェの「クリケット」さんです。
フルーツサンドが絶品です。平和ミュージアムから徒歩5,6分で行けますよ!
向かいにおいしいパン屋さん(ブランジェリー ブリアン)もあるので、ぜひ一度行ってみてください。