2017.10.14

今につながる想い出

 日中は少し暑さが残るものの、秋晴れの日が続き、家の近くの田んぼでは稲刈りを終え、籾殻を燃やす煙が、アカネ色に染まった夕焼けの空を靄が立ちこめたように覆い、秋の深まりを感じさせます。一面田園風景の越後平野のまっただ中に育った幼い頃、あぜ道を裸足で走り回った想い出につながり、懐かしさ共に、一種の安らぎを覚えるエピソード記憶として残っています。このように、故郷での子どもの頃の日に経験した忘れがたい風景が深く心に刻みこまれ、半世紀以上も前の出来事と共にありありと蘇ってきたりしますが、原風景、原体験とも言われ、その人の深層意識として、心の在り方、考え方にも影響を与えたりしているのではないかと考えられています


 

 臨床スポーツ心理学では、“アスリートの自伝的記憶、幼少期における原風景・原体験をどのように受け止めているか、それらの特徴や現時点での競技行動とのつながりについて、どのように意味づけているか”についてみた研究手法があります(ナラティブ・アナリシス)。

最近の小生のカウンセリング事例のなかでも、現在直面している競技行動の問題点の背景に認められる必然性を原体験とのつながりから課題の整理を行なった学生(クライエント)がおります。

 学生時代の体育史の講義で、イギリスの近代スポーツ興隆を支えたパブリックスクールでのフットボール、クリケット等スポーツの導入の意図(集団への自己犠牲の精神やnoblesse obligeなどの倫理観)と成果について教わったことを思い出します。特に、ナポレオンを破ったArthur Wellesley, 1st Duke of Wellington 17691852)が言った「ワーテルローの戦いはここで(イートン校の運動場)勝ち取られた」(異論があり疑義が唱えられていますが・・・・)名言は、スポーツの原体験と言えるのではないかと思います。

競技スポーツとの関わり方や継続を規定していると思われるこのような“アスリートの原体験”について卒論に取り組んでいるゼミ生がおり、結果が楽しみでもあります。(老ブロガー・ハル)