2018.02.03

時々の初心

  大学院の口頭試問に備え、少し早めに床についたせいか4時に目が覚め、いつものようにラジオのスイッチを入れたら、いきなり時々の初心忘るべからずと生き方についてのインタビューが紹介されていました。初心忘るべからずは良く耳にしますが、時々の初心忘るべからずははじめて耳にしました。世阿弥の「花鏡」で述べられているとか(恥不勉強)。

  妙に気になったので、調べてみましたら(「教育名言辞典」寺崎昌男,東京図書)、年齢を重ね、上手になった後で慣れが出てくるのを戒めて初舞台の賢明さを忘れるなという言葉で有り、さらに、老後の初心忘るべからずでは、60歳を過ぎて名人と言われる域に達したとしても、絶えず初心に立ち返って精進がなければならないことを戒めたものである、とのこと。初心の大切さや懸命さを大切にして努力することの意義を説いたものではありますが、初心は常に不変である必要はなく、年齢や境遇の変化に応じて、自分自身を向上させるに応じて変化していくものであり、慣れで無自覚に過ごすことの問題点を戒めたものと勝手に解釈しました。その意味では、初心はいつでも無限の可能性を持つのではないかと思い、今からの初心もあり得るのではないかと思っています。

 3回生の後期試験の最終日であり、大学院の口頭試問が終わったので、この日の晩、ゼミ生としてのこの1年の振り返り、特にスポーツ心理を選択し何を自ら学んだかと、これからの覚悟(卒論&就活)=時々の初心について語りながら一時を過ごしました。(老ブロガー・ハル)

 以下は、学部生のゼミに積極的に加わり、この間ゼミ生としての勉強の仕方、過ごし方を示してくれた院生の少し感傷っぽい一文を紹介します。



   130日、修士論文の口頭試問を終えることができました。2年間の「学び」の成果を出し切ることができ、今は「やりきった」という気持ちでいっぱいです。今回の研究をベースに、投稿論文を今後書いていきたいと思っています。この日の夜には、3回生のゼミ生が飲み会を開催するとのことで、先生と参加しました。1年間、毎回ゼミに参加し、この日が最後・・・と考えると、感慨深いものがありました。ゼミでは見ることができないような個々人の表情を見たり、それぞれの話を聞き、非常に楽しい時間を過ごすことができました。ゼミ以外のこのような塲の大切さを改めて感じた時間でした。卒業するまで見届けられないのが悲しいですが、今年の4回生のような「頑張り」を見せて、無事に卒業してくれることを少し遠くから見守りたいと思います。