私の前を歩く人たちにどことなく不思議な感じがしたので、
しばらくその後ろを歩いていました。
ご高齢のご婦人の周囲をなんとなく囲むように歩く、数名の高校生らしき男の子たち。
ほんの一瞬、「もしや、よからぬことをするのでは!」との思いが頭をよぎったのですが、
そういう雰囲気では一切なく、ごく自然に、楽し気に、会話をしながら歩いています。
でも、その歩調はとてもゆっくりと、そのご婦人のスピードにまるで合わせるかのようです。
その光景に惹きつけられ、そのまま彼らと同じ方向に歩きました。
ご婦人が改札を出て、待ち合わせの方と合流すると、高校生らしき男の子たちは、
別の方向へ歩き出しました。
そのとき、ピンときました!
彼らは、杖をついて歩くご婦人をそれとなくガードしながら歩いていたのです。
杖をついた小柄なご婦人は、誰かの体が少しでも当たれば、転倒してしまいます。
スマートフォンを見ながら歩いている人、イヤホンをつけて歩いている人が多く、
小柄な・杖をついて歩くご婦人に注意が向く人は多くありません。
これまで、サポートが必要な方をサポートする光景は何度も見てきましたが、
このような光景に出くわしたことがなく、気持ちが昂りました。
この機会を逃すまいと、彼らの後を追って、突撃インタビューをしました。
さっき私が見た光景について、ご婦人をガードしていたのではないか訊ねました。
私の突然の出現と質問にぎょっとした様子でしたが、答えてくれました。
彼らの通う高等学校のある先生が、次第に筋力が低下していく難病になったそうです。
2年間でみるみる筋力が低下し、歩くことも次第に難しくなっているそうです。
先生の歩行が難しくなるに伴い、先生の周囲には、先生を転倒から守る生徒の
クッションの壁ができ始めたそうです。「人間の肉壁」とも言っていました。
「『歩けるうちは自分の足で歩きたい』と言った先生のことばが頭に残っている」
と、彼らの一人が話してくれました。
また、別の子は、「先生は自分の足で歩きたいから、先回りした手伝いはしない」
と、話してくれました。
このような環境の中、駅構内で目の前にいたご婦人に対し、彼らは、自然に
自らがクッションのような壁となる歩行をしたようです。
「あんまり意識してないけど、まあそんな感じに勝手になるかなあ」
「別に急いでないし、ちょっとゆっくり歩くだけだから」
とても穏やかな気持ちになりました。
私は、障がいや特性、障がいや特性のあるひと、に関する講義を担当していますが、
その伝え方にいつも苦戦しています。講義だけでは、イメージに留まり、現実的な
こととして実感されにくく、とても行動変容にまでは届きません。
彼らとの出会いにより、「生の体験」や「接すること」には敵わないとの思いが
強くなり、私自身の無力さを禁じえませんが、同時に、さらなる工夫をしなければ
と、改めて気持ちが引き締まりました。