2018.11.06

少しずつ…

前に、「たかが卒業論文、されど卒業論文」という内容を書きました。
重篤な疾患と障がいのある子の幼いきょうだいの気持ちとその家族の
あり方について、長い闘病生活を送り、他界したのお姉さんの死を経験
したご自身のライフヒストリーを卒業論文として書き上げました。

大学を退学することも考えていた彼は、このテーマを取り上げると決意
してから、驚くほどに日々変わっていきました。ご家族がお姉さんのこと
を話題にしたことは一度もなく、彼の中には大きなしこりのようなわから
なさがドカンと腰をおろしていました。小学校4年生からつもりにつもった
さびしさは、成人しても消えなかったと言います。

お姉さんの死から4年、卒業論文にこのテーマを取り上げ、ご両親、妹さん
と何度も何度も対話を繰り返しました。彼がはじめてきくご両親や妹さんの
気持ち、吐き出すことにできなかった自身の気持ちも少し表現できたよう。
今年のお正月には、仕上がった卒業論文をご両親に渡し、また語り合えた
ようです。家族がまた家族になったような気がすると話してくれたことが
とても印象に残っています。

長く障がいのある子や大人、その家族、そのきょうだいをテーマにしてきま
したが、すぐそばにいて何度も聞き返すことのできるゼミ生であり、また
きょうだい自身が書いた論文の内容に、はっとさせられることばかりでした。

同じ立場の多くの人に読んでいただきたいという欲求にかられ、教育系の
学会誌に投稿してみました。原著論文としての扱いは難しいが、内容は大変
貴重であり、ケーススタディ(資料)としての掲載という結果でした。
ただ、取り組みそのものについては、一定の高評価をいただきました。
看護や哲学では少しずつ認められつつある「当事者研究」ですが、まだまだ
その価値を押し上げるだけの研究手法が確立されていないことに加え、主観
を問題視されるところに留まっています。とても残念に思います。
それでも、ゆっくり、少しずつ、ほんとうに少しずつですが、私の領域のあり
方も変わってきていることを実感できたことをうれしく思っています。