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2022.07.15

【レポート】第46回AJI研究最前線セミナーを開催しました!Dr.十河和貴が戦前日本の政治体制の問題点を当時の国際的文脈の視点から発表

 2022年7月12日(火)、第46回AJI研究最前線セミナーがオンラインで開催されました。今回は、Dr.十河和貴(立命館大学アジア・日本研究機構 専門研究員)が「戦前期日本の政治構造と議会主義政治の限界:海外への経済進出と国内政治のリンケージ」と題して、非常に興味深い発表を行いました。Dr.十河は日本政治史を専門としており、特に、第一次世界大戦後の1918年から第二次世界大戦(アジア・太平洋戦争)に突入していく戦間期における日本の政党内閣の構造とそれを支える議会主義の理念の変容過程を解明する研究を行っています。

 今回の発表では、はじめに、明治憲法体制下で確立された天皇を中心とする統治体制において、政党内閣の自立的な意思決定能力と統治責任能力をいかに確立するかという課題が当時の文脈において見出された経緯について明快な説明がなされました。Dr.十河は、こうした課題のもとで、実効的な統治責任をもつ内閣制度(「責任内閣制」(美濃部達吉))が実際に1924年から1932年の間にいわゆる「憲政の常道」として実現し、また、それが第二次世界大戦に向かう過程で解体していく経緯について、細やかな分析とともに論じました。とくに興味深かった点として、Dr.十河の研究では、大臣・官僚・経済主体・植民地行政などの多様なアクターの間の結びつきのもとで、政党政治システムの変容・解体の本質に潜むメカニズムをあぶりだそうとしている点です。とりわけ、植民地を含めた対外的な経済活動規模の拡大をめざす試みのなかで、日本国内で省庁・大臣間での利害対立や行政プロセスの複雑化を招いたことが政党内閣の統治責任能力の衰退を招いたこと、そうした混乱を克服するために挙国一致体制の確立が要請されたことなど、国内政治の変容を当時の国際的文脈に開いて理解する試みは、非常に刺激的な歴史への視点を示すものでした。

 発表後の質疑応答では、このような歴史的過程において鍵となる国務大臣の大臣職の性質が時代ごとにいかに変化したのか、「帝国日本」の変容過程についての研究をその他の帝国をめぐる歴史研究といかに関連させることができるか、また、国際的な日本政治史研究におけるDr.十河の研究の位置づけなど、様々な論点をめぐって活発な議論が交わされました。

46回 十河先生フロンティアセミナー1
発表を行うDr.十河